[過去ログ] 哲学者のウィトゲンシュタインという人の思想を解説できるケンモメン、0人 [185423565] (641レス)
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590: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)23:16 ID:CMhCoB+l0(17/22) AAS
つまり〜をしたい、〜をする、〜をしているということまで含めたようなヒトラーやナチス的な「意志の勝利」みたいなもんはいわゆる学問的な哲学の言う“意志”とは違うと思う。意志という言葉を使うなとは言わんけど。
まあただの根性論だよね前者は。お勉強的な哲学の範疇ではない。
591: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)23:19 ID:CMhCoB+l0(18/22) AAS
だから単なる一般論的な意味でなら君の言ってることは正しいかもしれない。俺の考えとは違うし知らんけど。
592(1): (アウアウエーT Sadf-tjD1) 2021/06/12(土)23:19 ID:ZTxprI9Ia(5/7) AAS
>>588
意志と物理的連関及び世界は無関係であり関係がある。
意志と物理的連関及び世界は同じものの二側面だという考え方がわかるかな?
593: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)23:21 ID:CMhCoB+l0(19/22) AAS
ヒトラーもショーペンハウアーを読んでたらしいけど絶対哲学的には理解してなかったでしょ。ヒトラーとショーペンハウアーの考え方全然違うかって言われると優生学的な考え方とか女性差別的な考え方とかかなり近い部分もあったけど。
594(1): (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)23:29 ID:CMhCoB+l0(20/22) AAS
>>592
だから唯物論的にはそうだと思うよ。
ただ形而上学的主体としての意志、つまりプラトンのイデアやアリストテレスの実体のような、“変わりえないもの”と定義するような“物自体”としての意志は、
生起するものたち、かくあるものたちである表象としての世界とは全くの別物だということ。
だって意志は絶対であり世界はただの現象なんだから。
595(1): (アウアウエーT Sadf-tjD1) 2021/06/12(土)23:33 ID:ZTxprI9Ia(6/7) AAS
>>589
後者は前者に昇華していかざるをえないんだよ。
だって、「我」と言った瞬間に、それは「非我の否定としての我」ではないか。
非我に否定されて人間は具体性のある大人の意志を身に付けていかざるを得ない。
596: (ワッチョイW 4382-un1C) 2021/06/12(土)23:39 ID:/2Dy4Zpx0(1) AAS
昨日から複数回線で連投する基地外が大量書き込みしてスレが機能停止しているね
自演連投基地外に関しては速やかに適切な医療的措置を施す為に一般社会から隔離されることを期待する
597: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)23:39 ID:CMhCoB+l0(21/22) AAS
プラトンのイデア論って知ってるやろ?
肉眼に見えるものは全部偽物だけど心の内にあるものごとの真の姿や原型は本物だっていうアレ。
本物のものだけが意志、他は全部偽物。
プラトンは、イデアという言葉で、われわれの肉眼に見える形ではなく、言ってみれば「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」に言及する。プラトンのいうイデアは幾何学的な図形の完全な姿がモデルともとれる。
イデアWikipedia
外部リンク:ja.m.wikipedia.org
598(1): (アウアウエーT Sadf-tjD1) 2021/06/12(土)23:41 ID:ZTxprI9Ia(7/7) AAS
>>594は子供の頃から完璧な意志を持っていたの?
誰しも子供の頃は動物のような心しか持っていないけど、現象の世界の中でそれを否定されて反省する中でイデア界のような完璧な意志に近づいていくんじゃないの?
だとすれば、>>594の意志は現象の世界で経験したことの反省の結果。そういう意味で意志と世界は関係がある。
599: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)23:53 ID:CMhCoB+l0(22/22) AAS
>>595
だからそれは社交的な社会性のある実際の世の中で生きていく人の一般的意味での意志だよね。一般人が「我思う故に我あり」って哲学用語ではなく真面目に普通の社会の場で言ってたら怖いでしょ。え、本当のものは君の中にしかないんだ、みたいな。あるいは哲学的意味をまったく頭ですら理解してない人もいるかもしれないけど。
もしも哲学的意味でなく一般人が一般社会で使うような意味での意志が形而上学的な主体、“物自体”のように世界や現象と比べて絶対的なものだっていうならそれはあり得ないでしょ。それは神だけの全知全能の意志。
600: (ワッチョイW 3f1d-istX) 2021/06/13(日)00:10 ID:HtG8qX/j0(1/3) AAS
要は物自体ってちんこのことなんだよね
601: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/13(日)00:13 ID:mYIt+DHK0(1/20) AAS
>>598
否定されるかどうかはともかく人間は経験がなければ(>>438のダブラ・ラサ)言葉すら話せない解らないってのは同意。
形而上学的主体なんぞを最高のものと置いていれば人は猿の世に戻ることもあり得る。
その意味で意志は哲学的には形而上学的主体であり“物自体”であったとしても、そう定義できたとしても、そんなものを崇めているのは馬鹿げている。
形而上学的主体、“物自体”は世界となんら関わりがないなんて言ってないで唯物論的に生きてた方が得だろう。
ただその場合でも意志はなんの力も持たない。
人は環境によって規定されるのだし人は自由意志を持たないと言うこともできる。>>438の自由への挑戦
> 人の行動はすべて環境に左右されるという事実を受け入れるように読者に促すものでした。
> 自由意志を否定し、極端な環境決定論に軍配を上げたスキナーは、
むしろこういう考え方の方が俺個人の考え方としては近い。
省1
602: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/13(日)00:21 ID:mYIt+DHK0(2/20) AAS
だから形而上学や観念論なんて学んでもある意味なんの価値もない。
さっきから俺が言ってることにしたって俺がそこから学んだことなんて要は“俺の意志は尊いんだ!”くらいのものでしかない。
しかし核ミサイルが落ちてくれば死ぬし貧困の中で朽ちるかもしれない。
結局学問として唯物論的な価値があるのはどこまで行っても唯物論のみで、唯心論、形而上学、観念論なんてものは物質的実りがない、学問としては、現代で言ってもあまり価値のない学問。それこそウィトゲンシュタインの言うように沈黙していればいい。
603: (ワッチョイW 3f1d-istX) 2021/06/13(日)00:22 ID:HtG8qX/j0(2/3) AAS
ちんこの話は下品だからここではやりません!
これが「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」通称カタチンの本質
604(2): (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/13(日)00:24 ID:mYIt+DHK0(3/20) AAS
大学なら、文系なら法学部や経済学部、理系なら医学部や工学部などの実学系に行くのがセオリーであり唯物論的正解なのである。文学部哲学科なんぞに行ったら就職できないのである。
605: (ワッチョイW 3f1d-istX) 2021/06/13(日)00:27 ID:HtG8qX/j0(3/3) AAS
>>604
それってちんこゴシゴシ思考じゃない?
なんか物自体染みてる気がする
606: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/13(日)00:55 ID:mYIt+DHK0(4/20) AAS
心理学ですら人に唯物論的な影響を与えて人の心がどういう反応をするか、どういう判断を下すか、どう動くかみたいな唯物論的なことしか研究してない。>>428,435行動主義
文学的な研究、形而上学的な研究などしていないのである。
現代心理学にとっては人の心すら“モノ”でしかないのである。
そして私もその考え方に概ね同意である。
人の心は唯物論的影響でコントロールできるのである。これを否定しようとするのは愚かである。
内省的になることは、人間にとって全く素晴らしいことではある。事実は、我々は意志のない造物であるということ、一方、創造的な力が存在するということである。これを否定しようとするのは愚かである。誤ったことを信じている者でも、何も信じていない者に比べればはるかにましである。[8]
ヒトラーwikiquote
外部リンク:ja.m.wikiquote.org
また偉大なる毛沢東が唯心論と形而上学を否定したのも事実である。>>389
毛沢東の批判による中国での影響
省3
607: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/13(日)01:00 ID:mYIt+DHK0(5/20) AAS
ヒトラーや毛沢東は政治哲学的には間違っていたが、政治哲学的にも人をコントロールできればそれでよい。唯物論は正しいし、世界は進歩するに連れてますます唯物論的性格を帯びてくるであろう。
608: (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/13(日)02:34 ID:mYIt+DHK0(6/20) AAS
カント曰く、
形而上学と言えば、他の一切の学よりも古く、たとえほかの諸学が、一切を滅絶するような野蛮状態という奈落の底に陥いるようなことがあっても、これだけは生き残るであろうと思われるほどの学である。
純粋理性批判第二版序文(一七八九年)
岩波文庫純粋理性批判(上)p.31
だが、形而上学が野蛮状態でも生き残るというより、むしろ形而上学は野蛮状態にこそ相応しい学であると言っていい。
609(1): (ワッチョイW cf4e-y35m) 2021/06/13(日)02:50 ID:rS6b2m0Q0(1/2) AAS
>>522
ウィトゲンシュタインは単に「そうすべきである事」は「そうであること」では無い
と言ってるだけだと思うんよ😌
世界とはそうであることの総体であって意思から導かれたそうすべきことに入る余地などなく、
そうすべき事からはなにか新しい「そうであること」は生まれるかもしれんけども、それは単に世界が広がっただけであって「そうすべきこと」が世界の1部になった訳では無い、とか
知らんけど🤔
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