[過去ログ] 哲学者のウィトゲンシュタインという人の思想を解説できるケンモメン、0人 [185423565] (641レス)
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(1): (ワッチョイW 1312-VM01) 2021/06/12(土)18:15 ID:CMhCoB+l0(4/22) AAS
>>522で言えば、“論理的”連関なるものが物自体であるところの意志と表象でしかない世界との無関係性、物理的連関なるものが、例えば俺が手を動かして何か物を取ろうとすれば、それは神経によって俺の手が動き肉体が動きその物を取り動かすことができるだろうが、そういう物理的連関はあってもその物理的連関そのものを“意志”することはできないということ。
経験によってできると思うし実際できるだろうけどなんらかの問題が起きて手が動かないかもしれない。つまり物自体、世界の限界(五・六三二p.116、五・六四一p.118、六・四三p.146、六・四五p.147)、永遠の相(六・四五p.147)である自分の意志と、表象でしかない「生起するものたち、かくあるものたちすべて(六・四一p.144)」である世界は、全く別のものであり、なんらかの繋がり、物理的連関なるものが見出せても、それは全くの偶然の産物でしかないということを言いたいわけである。

 善き意志、あるいは悪しき意志が世界を変化させるとき、変えうるのはただ世界の限界であり、事実ではない。すなわち、善き意志も悪しき意志も、言語で表現しうるものを変化させることはできない。
 ひとことで言えば、そうした意志によって世界は全体として別の世界へと変化するのでなければならない。いわば、世界全体が弱まったり強まったりするのでなければならない。
 幸福な世界は不幸な世界とは別ものである。 六・四三
岩波文庫論理哲学論考p.146

 神秘とは、世界が“いかに”あるかではなく、世界があるという“そのこと”である。 六・四四
 永遠の相のもとに(112)世界を捉えるとは、世界を全体として──限界づけられた全体として──捉えることにほかならない。
 限界づけられた全体として世界を感じること、ここに神秘がある。 六・四五
岩波文庫論理哲学論考p.147

訳注
(112) スピノザ(Baruch de Spinoza,1632-1677)の『エチカ』(Ethica, 1677)にある言葉。
岩波文庫論理哲学論考p.215訳注

つまり、一貫して主張しているのは意志の絶対性、確実性と世界の不安定性、不確実性である。
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