[過去ログ] クリスチャンが語りたがらない、キリスト教の裏情報 (1001レス)
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717: 名無しさん@3周年 2005/10/10(月)18:17 ID:EGb0mCX/(1/3) AAS
>>712
外部リンク[htm]:kyushu.yomiuri.co.jp
天正使節その後 〈3〉寺社を弾圧した信徒

 「あなたがデウス様の御意向にかなってすることができ、またあなたの罪の償いとして考えられることのひとつは、
通りすがりに、最初の人としてどこかの寺院を焼き始めることです」

 このような言葉で放火を教唆したのは、イエズス会司祭で下(シモ)地区(豊後を除く九州)の布教責任者であったガスパル・コエリュである。
彼は1574年、償いを求める大村の1信徒にこう語りかけ、信徒は忠実にそれを実行した(フロイス『日本史』)。

 禁教時代に激烈な迫害を受けたため、キリシタンは一方的な宗教弾圧の被害者と思われがちだが、
キリシタン時代の大村、有馬領では彼らは恐るべき弾圧者だった。
4人の天正遣欧使節のふるさとは、他宗教の存在を許さないキリシタンの独裁国家だった。
省3
718: 名無しさん@3周年 2005/10/10(月)18:19 ID:EGb0mCX/(2/3) AAS
当時の日本布教長フランシスコ・カブラルは「仏僧は日本の修道者にして諸人を地獄に落とす者であり、
誤謬(ごびゅう)に固執し、また当国の最良のものを食いつぶす輩(やから)」(1575年書簡)と考えていた。

 このような他宗教への無理解と攻撃性が権力と結びついて、激しい弾圧が起こった。

 有馬から逃れた仏僧は口之津近くの小島(加津佐町岩戸山)の洞窟(どうくつ)に各地から集めた仏像を隠したが、コエリュとフロイスは見逃さなかった。
大きい仏像は燃やして、小さい仏像は異教徒への見せしめに信徒の少年に村中を引き回させた。

 「折から寒い季節のことで、口之津の我らの司祭館では炊事用の薪が欠乏していた。
これらの仏像はただちに割られて薪にされ、かなりの日数、炊事に役立った」(『日本史』)

 石造物研究会副代表の大石一久さんによると、こうした弾圧を裏付けるように、旧大村、有馬領の長崎県南部では、
中世以前の寺社建築はもちろん、石塔もほとんどが破壊されている。
719: 名無しさん@3周年 2005/10/10(月)18:20 ID:EGb0mCX/(3/3) AAS
4人の天正遣欧使節のふるさとは、他宗教の存在を許さないキリシタンの独裁国家だった。
4人の天正遣欧使節のふるさとは、他宗教の存在を許さないキリシタンの独裁国家だった。
4人の天正遣欧使節のふるさとは、他宗教の存在を許さないキリシタンの独裁国家だった。
4人の天正遣欧使節のふるさとは、他宗教の存在を許さないキリシタンの独裁国家だった。
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