[過去ログ] エクレシア《神の教会》 (463レス)
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434: ラピスラズリ- KoL 2010/09/14(火)11:58 ID:EOMed+tH(3/5) AAS
>>431-433
既に>>430で回答済みです。

さようなら。
435: リンゴ ◆oPXbhrKCUQ [age] 2010/09/14(火)19:44 ID:B4C/pOiJ(1) AAS
愛する兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らが救われることです。

わたしは、彼らが神に対して熱心であることをはあかしする。だが、その熱心は深い知識によるものではないのです。

なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからです。

キリストは、すべて信じる者に神の義を得させるために、ユダヤ律法を終らせました。

モーセは、律法による正しい行いをする人は、その正しさによって生きる、と書きました。 しかし、信仰による神の義は、こう言っています、
省10
436
(1): 前世は一在家 2010/09/14(火)22:17 ID:wR6U39Yn(1) AAS
>>430 :ラピスラズリ- KoL:2010/09/14(火) 09:39:02 ID:EOMed+tH
>議論はタイミングが大切ですので、時機を逸しないで下さい。

一応、レスを貼っておきましたが、私も色々な世界(スレ)で対話することは
限度がありますので、予めご了承願います。
437
(1): ラピスラズリ- KoL 2010/09/14(火)23:04 ID:EOMed+tH(4/5) AAS
>>436
それならば、この議論はこのスレ(エクレシア教会)に集約させましょう。
実際にも議論宝石には荒らしが入ってきましたので、私も不快に感じていました。
なお議論宝石に在家さんへの返事はしておきましたので、同スレの525番コメだけは
読んでおいて下さい。
438
(2): ラピスラズリ- KoL 2010/09/14(火)23:25 ID:EOMed+tH(5/5) AAS
在家さんの日ユ同祖論については、その主張の終着点としては、どのような結論なり提案が
用意されているのか、示してください。
439
(2): 通りすがり一在家 2010/09/14(火)23:53 ID:U4X+Vk8S(1) AAS
>>438
日ユ同祖論は、主に三つの立場がある(Wiki)。
1.古代イスラエルの「失われた10支族」が、日本に来たという説。
2.古代イスラエルの「失われた10支族」のみならず、12支族全てが、日本に来たという説。
3.古代日本人が、ユダヤ人の先祖であるという説。

1.の検証から入って、何年かかっても3.の検証を目標としております。
440: ラピスラズリ- KoL 2010/09/15(水)00:26 ID:xJZxK8jr(1) AAS
>>439
>>438は、そのような意味ではありません。
仮に、>>439の1〜3のいずれが正解であっても構わないのですが、左記が証明された暁には
どういった成果なり変化が私たちにもたらされるのかという質問です。

おそらく在家さんは、
 「神道と聖書との共通性が確認されることにより、宗教界から万教帰一の機運が生まれ、
  この動きが世界平和への原動力になる」
といった答を準備されているのだとは、予想しています。
441: 2010/09/15(水)00:49 ID:xo/DJyAi(1) AAS
神武天皇より三代前に当たる神足別豊鋤天皇時代の末期以降の時代に、
日の本全島において大地震が相次いで三回に亘って発生し、大災害に見舞われた。
その被害の度合いが極めて甚大であったがために、当時の日本列島の住民は、
その生活様式を再び太古時代の姿に戻して、穴居生活を再開せざるを得ない程の
窮地に追い込まれた。それと同時に、その時点までの長い間、全世界人類の
文化生活を指導して来た日本独特の文化はほぼ完全に滅亡し尽くしたのである。

 このような混乱荒廃の最中に、皇統第七十三代を受け継がれた神武天皇は、
皇兄五瀬尊天皇と共に我が”日の本”の復興に力を尽くされたのである。すなわち
神武天皇は、御即位後”日の本”の文化復興方針を具体的に確定された。
その内容は次のようなものである。
省7
442: まちこ ◆mVQWRBLduE 2010/09/19(日)00:19 ID:9GG/tn96(1/2) AAS
神の国とその義を求めれば、次のことが起こります。
詩編103
わたしの魂よ、主をたたえよ。
わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。
わたしの魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを何一つ忘れてはならない。
主はお前の罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から購い出してくださる。
慈しみと憐れみの冠を授け、ながらえる限り良いものに満ち足らせ
鷲のような若さを新たにしてくださる。
省5
443: リンゴ ◆oPXbhrKCUQ 2010/09/19(日)07:24 ID:PHGu0yRE(1) AAS
主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その御力の現れる大空で主をほめたたえよ。

その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。その優れて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。

ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。

鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。

音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴り響くシンバルをもって主をほめたたえよ。
省2
444
(1): まちこ ◆mVQWRBLduE 2010/09/19(日)09:05 ID:9GG/tn96(2/2) AAS
リンゴさん、おはようございます。

やはり、キリスト教質問箱にお邪魔します。
宜しく、お願いします。
445: リンゴ ◆oPXbhrKCUQ 2010/09/19(日)16:01 ID:fpj7zkdp(1) AAS
>>444
まちこさん、おはよう。ぜひそうしてください。

御言葉だけでもみなさん、喜びます。
446: 2010/09/19(日)19:07 ID:PWvkcZHL(1) AAS
209 :ろりぽっぷ ◆epMrs1963. :2010/09/11(土) 21:25:10 ID:BJUV3NHF
  ごめん。このスレって基本的に、
  病気のクリスチャンの話でループするのがデフォだと思っていたから、
  一体何がスレの趣旨なのか分からんかった。
215 :まちこ ◆mVQWRBLduE :2010/09/12(日) 22:28:17 ID:FOX1Fqpo
  ろりぽっぷさんにとって、イエス・キリストの十字架は、
  意味が無いということですか?
216 :ろりぽっぷ ◆epMrs1963. :2010/09/12(日) 22:47:10 ID:RK8U5PHD
  >>215
  へ?イエス・キリストの十字架によって、
省14
447: 糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y 2010/09/23(木)09:27 ID:McDUpjz+(1/4) AAS
「三位一体」
この父・子・聖霊は聖書のどこに書いてあるだろうかと言う端的な問いがあると
思うが、マタイ[28:19]などが代表的な例とされている。キリスト没後300年ほど
経って開かれたニケーア公会議の際には、アリウス派が「キリストは預言者である」
として神性を否定していたのだ。しかし、各宗派のメインストリームとして
三位一体は位置づけられることになった。父なる神と、神の存在の現れとしての
聖霊、そして人間として遣わされた子なるイエス。しかし、人としてのイエスの神性は
増していった。
三位一体という言葉を最初に使ったのは、アンティオケのテオフィリスだとされる。
かれは、「私は、神と言葉と叡智と、そして男が存在すると考えており、それは
省12
448: 糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y 2010/09/23(木)12:37 ID:McDUpjz+(2/4) AAS
新約聖書においては「三位一体」という記述はないが、この考えを基盤にしている
のは明らかであるとされる。キリスト教初期の伝道者たちは、神の力が自分たちに
あると信じ、それを「聖霊」と呼んでいた。やがて、父と子、聖霊の教えを伝道する
偉大なる任務を自分たちは担っているという確信に変わっていく。
一方で、ユダヤ教などでは「神とキリスト」という対置がなされたこともあり、この
三位一体という発想は必ずしも必然ではなく、一つの「考え方」として相対的に
考えることも出来る。
旧約聖書においては、「主のことば」(詩篇[33:6])「主の霊」(イザヤ書[61:1])
「知恵」(箴言[10:1])などの「3つのことば」がみられ、創世記18章で
アブラハムの前に現れた人が三人であり、預言者や律法者であったことから、
省3
449: 糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y 2010/09/23(木)14:30 ID:McDUpjz+(3/4) AAS
三位一体を語る上で、ヨハネ[14:25-26]は重要な意味を持つ。
イエスが「父があなたがたに聖霊をつかわし、すべてを話す」と言っているのだ。
このことは、父と聖霊が別の存在であることを意味し、また、イエスとも異なる
存在であることを意味するのだ。
キリスト教社会の共通認識としては、これらを前提にしながらも、「父」も「子」も「聖霊」
も「神」であるが、この三つは異なる存在であるとされるのだ。
異なる存在でありながら、一つの神格に属するのだ。
ヨハネの手紙第三では、イエスの王国と、現在の社会の双方においてイエスは
救い主であるとされている。このヨハネの手紙第三は何世紀にもわたり三位一体
に関する論争の的となった。しかし、イザヤ[9:6]を参照して議論を終息させた。
省6
450: 糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y 2010/09/23(木)16:33 ID:McDUpjz+(4/4) AAS
後世の芸術家は、父と子、聖霊を、3つの人物として描いたりした。
教会を守る彫刻としてそのような作品があるのだ。
しかし、ヨハネ[10:30]で、イエスは「わたしと父とはひとつです」と言っている。
いろんな角度から議論された歴史があるのだ。
以上のことから、聖書の記述でもっとも影響力のある記述は、マタイ[28:19]なのだ。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、
父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け。」
451: ラピスラズリ-KoD 2010/09/23(木)22:38 ID:iAT+PShw(1) AAS
>>439
日ユ同祖論は、下記のスレッドに議論を移転させましたので、お知らせしておきます。

  ◎神秘の宝石騎士団2
    2chスレ:occult
452: 糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y 2010/09/24(金)10:00 ID:mHXbDh6L(1/2) AAS
「Body&Soul」トマス・アクィナス
スタンフォード百科事典は非常に長く、興味のある部分だけ読んでみた。
たまたま、アイドルグループSPEEDに同タイトルの曲があったからだが。
トマス・アクィナスは、霊魂と肉体の関係を考察するに当たって、二元説
に立つとされたが、トマスは興味深い描写をしている。たとえば、「腕」
を人間から切り離したら、腕は存在するものの人体として機能しないだろう
ということから、人間の霊魂も、これと同じように考えるというアプローチを
とる。さらに、人間の理性を動物と比較する。合理性という意味では、神も
天使も決して合理的な存在ではない。しかし、理性という意味では人間は
動物とは一線を画し、神や天使に近いとする。トマスは「食事」「出産」の
省7
453: 糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y 2010/09/24(金)12:53 ID:mHXbDh6L(2/2) AAS
「知覚と思考」トマス・アクイナス
まだ最初しか読んでいないので、あとでちゃんとまとめておこうと思うが、
トマス・アクイナスは、見る・聞く・触るなどの知覚に関しては独特の考え
を持っていた。
見るというのは、見ていない状態に比べると「色を認識している」とする。
触るというのは、例えば手で物を触ると「体温の移動がある」とするのだ。
実に独特の考えで、現在の通説とは思えないが、たとえば、靴の裏に
ガムがついても我々は気がつくが、あれは体温の移動はないだろう。
非常に興味深い人物だ。
知覚に関しては、人体の器官によって行うということをトマスは上記のたとえで
省6
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