[過去ログ] キリスト教@質問箱266 (1001レス)
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306(1): ネヘミヤ ◆XiOcVdpeb4Kj 2010/11/27(土)08:03 ID:t9XgOanl(6/7) AAS
【 サ ロ メ 流 解 釈 】
「キリストは弱さのゆえに十字架につけられた」という使徒パウロの
言葉は文字通りの意味ではなく、強烈な反語・皮肉であって、本当の
意味は「キリストは強かった」ということです。
【 検 証 】
「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって
生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として
弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によって
キリストと共に生きています。」
(コリントの信徒への手紙二 13章 4節)
この使徒パウロの言葉は文字通りの意味なのでしょうか?
それともサロメ氏が主張するように強烈な反語・皮肉であって反対の意味
なのでしょうか?
この問題について、カトリックの見解を紹介します。
有名なヘイドックの聖書注解は次のように述べています。
「キリストは弱さを通して十字架につけられた。つまり、キリストは我々の
弱く虚弱な性質を身にまとい、それにより苦難を受け、ご自分の命を我々の
ために喜んで十字架上で捨てることができるようにされたのである。」
【 結 論 】
これからわかるように、カトリックはパウロの言葉を「文字通り」の意味に
解釈しています。
「パウロの言葉は痛烈な反語・皮肉である」というサロメ氏の主張は極めて
ユニークで興味深い見解なのですが、残念ながら、カトリックはこの見解とは
反対の見解を支持しています。
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