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キリスト教@質問箱272 (983レス)
キリスト教@質問箱272 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/
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920: ダニエル ◆o31oshrvYE [] 2014/04/11(金) 21:40:33.44 ID:hRagc0+9 >>914 >キリスト教の神は「キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む、極めて限られた変わった人」 >だけを救う、という結論に至った次第です それは残念ながら、日本においてのことに過ぎないのです。 カトリック教国であれば、多くの人は幼児洗礼ですので、聖書を読まなくとも 物心つく前から洗礼を受けているのです。 そういう意味では、日本人は不幸です。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/920
921: 848 [sage] 2014/04/11(金) 22:56:57.62 ID:yiWSOykB >>843 Q.なぜ神様は、「神様の愛に応える事は、天国行きというとてつもなく大きな見返りが与えられるほど尊い行為であり、 神様もそれを望んでいる」ということを、人間に広く教えないのですか? 神様自身が直接、そのことを人間に述べ伝えられないのは、霊的な存在であり、物質的な肉体を持たないからです。 ですが、現在、神様の教えに触れた人たちが神様に代わって、いろいろな地域を巡り、いろいろな人たちにそのこと(福音)を 述べ伝えています。 福音を広く述べ伝えても、信じる人と信じない人が存在するのは、神様が人間に「自由意志」を与えられた時から、 「信じる自由」と「信じない自由」の選択を、人間自身に許し、委ねておられるからです。 神様があなたを選ばれ、神様からの救いの手(愛)は、すでにあなたに対して伸ばされています。 ですから、その手を握り返すか否かは、すべて「あなた次第」なのです。 つまり、天国に行けるかどうかも、あなた自身がカギを握っている、と言えます。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/921
922: 848 [sage] 2014/04/11(金) 22:57:43.32 ID:yiWSOykB >>843 Q.人間の前に姿を現して、「私は実在する。そしてあなた達を愛している」と表明すべきではないですか? まず、私たちの肉眼は、あなたの霊魂のように、形のない物を確認(ロック・オン)できるようには造られていないのです。 この世の物質的な物は見えますが、神様が仮に姿を現して下さったとしても、肉眼では確認できないでしょう。 また、神様の御霊は太陽以上にまぶしい意識体なので、仮に私たちの肉眼でその御姿を捉えることができたとしても、 十中八九、失明しますが、それでもあなたは肉眼で、神様の御姿を御覧になりたいですか? 神様が無暗に人間の前に姿を現さないのは、神様が霊的な存在で、私たちの肉眼では見えない、ということの他にも 「重要な意味」があるからです。 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 (新共同訳 ヨハネによる福音書 20章29節) この御言葉は、「物質的な見方」よりも「霊的な見方」のほうが、より優れた見方であることを物語っています。 私たちはこの御言葉のように、神様の御姿を肉眼で見ることがなくても、神様がすぐ近くに居られること(臨在)を 信じ、感じられるようにならなければいけないのです。 例えば、あなたがある場所に立っていたとしましょう。 あなたは、「自分の存在を誰でもいいから信じて欲しい」と願っています。 そこへ、あなたの姿が見えたから、あなたの存在を信じた人と、あなたの姿が見えなくても、あなたの存在を信じた人が 現われたとしたら、あなたはどちらを「祝福したい」と思いますか? 私なら、間違いなく後者ですね。 「物質的」に私の姿を捉えた人よりも、「霊的」に私の姿を捉えた人のほうが、私から見た場合、「より信頼するに値する」からです。 つまり、あの御言葉は「そういうこと」を言っているのです。 あと、聖書によると、神様の御声は「雷のよう」だそうですので‥‥霊魂にならない限り、その御声をはっきりと聞き取るのは 難しいでしょうね。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/922
923: 神も仏も名無しさん [sage] 2014/04/11(金) 23:04:23.34 ID:i3+xzenZ >>921 同意です。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/923
924: 848 1/2 [sage] 2014/04/11(金) 23:40:45.94 ID:yiWSOykB >>843 Q.すべての人間を愛していて、すべての人間に天国に行って欲しいと思うなら、神を信じない、神の愛に応えない人間も その全知全能の力をもって天国に行かせるべきではないでしょうか? 「他力本願」および「責任転嫁」は、「原罪」から来る「人間の罪」の一つです。 神様が人間に「自由意志」をお与えになられた時、同時に「選択の自由」もお与えになりました。 神様がその御力で、私たちを天国に行かせないのには、それなりの理由があります。 まず、天国に存在できる霊魂には、「神様と両思いの、よく磨かれた霊魂のみ」という条件が存在します。 つまり、穢れた状態の霊魂では、天国には入れません。 仮に、天国に入れたとしても、天国の光があまりに強いため、穢れた霊魂では耐え切れずに、 溶けるように消えてしまいます。 そのことを御存知なので、神様は御自身の一存で穢れたままの霊魂を天国に引き上げるようなことをなさらないのです。 それをすれば、「強要」もしくは「強制」と捉えられ、神様の愛からはかけ離れた行為である、ということを神様は よく御存知ですし、そのようなことをされても、人間にとっては結局のところ、嬉しい結果にはならないからです。 私は神様ではありませんが、天国が「よく磨かれていない霊魂が来ると、消えてしまう場所」だと知っていたら、 私でも、天国には絶対に連れて行かないと思いますよ、霊魂が穢れた状態のままでは‥‥。 連れて行くなら、霊魂をよく磨いてもらって‥‥天国に入れる状態になってもらってから、連れて行くでしょうね、私なら。 神様はあくまでも、「人間の意志を尊重するスタンス」を取っておられますので、敢えて御自身が介入しないよう、 配慮なさっているのです。 神様が介入してしまうと、人間が自身の霊魂を磨く、せっかくの機会を奪ってしまいますからね。 (続く) http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/924
925: 848 2/2 [sage] 2014/04/11(金) 23:42:31.30 ID:yiWSOykB 「子供が転んだら、すぐに駆け寄って行って、急いで助け起こしてやりたいけど、子供の成長のために、 敢えて手出しをせずに、子供が自力で起き上がることを信じて待ちつつ、じっと陰から忍耐強く見守る父親」 ‥‥を想像して頂くと、神様のスタンスがどういうものか、感覚的につかめると思いますよ。 それと、天国に行くためには「天国に行きたいと強く望む霊魂」でなければ、受け容れてはもらえませんよ。 「天国を強く望む」ということは、「神様に会いたいと熱望する気持ち」が必要不可欠です。 それは言い換えるなら、「神様を愛する気持ち」のことです。 これがなければ、「天国の門」は開きません。 「天国の門」は内側から開く仕組みではありません、門の外側から叩いて、開く仕組みなのです。 ですから、神様の一存だけでは、「天国の門」は開かないのです。 私たちの霊魂の持つ力次第で、「天国の門」は開くのです。 もちろん、「よく磨かれた霊魂」だと認められれば、「天国の門」は開きます。 「よく磨かれた霊魂」というのは、神様から発せられている光を鏡のように反射できるくらいに、磨かれた霊魂のことです。 日の光を反射する、鏡やダイヤモンドくらいに磨かれて、ピカピカ光り輝く霊魂が、天国にはたくさんいらっしゃいます。 それらの霊魂も、神様と同じくらい、まばゆい光を放っていますよ。 天国が昼間より明るいのは、そのためです。 神様は「皆に天国に来て欲しい」と思っていますが、神様の一存だけではどうにもできない理由があるのです。 その理由が、人間の脳内で処理できる理屈だけで説明ができれば、どんなに良いことでしょうね。 それから、現世は、「霊魂を磨くための場所」です。 天国にいる霊魂は、面倒臭がらずに、現世で霊魂を磨いた霊魂ばかりです。 それらの霊魂は、自身に降りかかる試練をすべて「神様からの試練」だと捉えて、「必ず乗り越えられる」と信じて、 立派にその壁を乗り越えました。 こういった心構えは、私たちも見習いたいものですね。 (終) http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/925
926: 848 [sage] 2014/04/12(土) 00:59:08.86 ID:1+JPqLdf >>844 少なくとも神様は、「神様の愛に応えないから」と言って、人間を非難したことはありませんよ。 人間のことを、とてもよく愛しておられますからね。 ただ‥‥人間が「神様から非難されている」と感じたり、ネガティヴ・シンキングに陥ることは、よくあります。 神様は、「神様のことだけを愛せば、それだけで良い」と考えているわけではありません。 御自身のこともそうですが、あなたの周りにいる人間のことにも気を配り、同じように愛してほしい、 というのが、神様の御望みです。 これは、神様にとって、人間を操ることでもなく、虚しいことでもありません。 なぜなら、神様が人間に与えたのは、「愛」と、人間が自らの意志で考え、行動するための「自由意志」だからです。 神様は、私たちの肉の器のこともお忘れではありませんよ。 聖書には、すべての終わりが来た後のことが記述されていて、その中には「肉体の復活」について記述されています。 神様が私たちの肉の器のことをお見捨てになるおつもりなら、聖書には「肉体の復活」に関する記述は、 初めからなかったはずです。 (余談になりますが、私は土葬が良いのですが、神様が肉体を復活させてくれるなら、火葬でも良いかな、と思っています。) イエズス様がこの世にいらしたのは、現世でいう「ミッション」ではありません。 ですが‥‥十字架に掛けられ、亡くなられたイエズス様が生き返り、「罪の結果」となる「死」に打ち勝ちました。 この出来事は、「神様の勝利」を確かなものとし、その裏づけとなる決定的な出来事でした。 また、「神様を信じることは、真理である」ということの証しにもなりました。 イエズス様が肉体を持って現世に来られたのは、肉体を持つ私たちが天国に行くためにはどうするべきか、 という「ひな型」を御自身によって示し、倣ってもらうためだったのではないか、と私は考えています。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/926
927: 桜 ◆Pq7Hgpn13TKA [sage] 2014/04/12(土) 14:27:54.08 ID:XO15+um9 †しかし、私たちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛が現れたときに、 神は、私たちが行った義の業によってではなく、ご自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました。 この救いは聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。 神は、私たちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を私たちに豊かに注いでくださいました。 こうして私たちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。 テトス3:4 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/927
928: 神も仏も名無しさん [] 2014/04/16(水) 01:22:53.62 ID:pzMktc2K 砂漠の三大宗教に関して、 前設定として善悪二元論と言うものが長々と語られる事が、この話は嘘だと言う明らかな証拠ではあるまいか? 嘘をつくときは、人間の心理として、前設定を長々と述べて、最後にちらっと嘘を言って逃げる(この場合はハルマゲドン)。 構成は、本当の事を伝えようとする時の行動と全く正反対なのだ。 本当に物事は2種類しかないのだろうか ? wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 普通に考えれば解る。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/928
929: 横レス [] 2014/04/17(木) 21:04:00.33 ID:QMpM3UNG ダニエルさん、848さん、遅くなって申し訳ありません。 答えていただく立場なのに、申し訳なく思っています。 ただ、元々多忙な上に先週末から特に忙しくなっていまして。 さらに、複数の方相手のやりとりである事や、濃厚な回答をいただいている事、それに対して私の方もしっかりとお返事したい事等を ご考慮いただけると助かります。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/929
930: 横レス [] 2014/04/17(木) 21:06:31.45 ID:QMpM3UNG >>917 私は救いを求めたのではなく、キリスト教の初歩的な教えを知りたかっただけなのです。 それともやはり、理詰めで考える人間は初歩的な教えを知るにも聖書を一通り読む必要が有るという事でしょうか? しかしそれでは、少なくとも理詰めで考える人間に関しては「キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む 極めて限られた変わった人」しか救われないという事になりますし、やはり「機会の平等」にも程遠い事になります。 それともキリスト教においては、一般的な物事を、あるいはその人にとって海の物とも山の物とも分からない一宗教の教えを、 理詰めで考える事は罪悪なのでしょうか? そもそも聖書を読むにしても結局は文字を読むわけですが、それは人による説得とどう異なるのでしょうか? いずれも言葉を読解する作業であり、正しく理解するためにも、矛盾が無いか確認するためにも理詰めで考える事が必要になりますよ。 例えば漫画の設定に矛盾が無いかというのはよく取り沙汰される事ですが、読者が非日常的な作り話に対しても矛盾を嫌うのは、 リアリティが無いと話に入り込めないからです。 ましてやリアリティを感じるどころか、事実だと認めるか否かという問題になると、教義の「設定」に矛盾があるのは致命的でしょう。 教義を理詰めで考えるなというのは、そういった矛盾が見付かっても目をそらし、無批判に受け入れろという事に他なりません。 宗教に入信するにあたって、教えが本物かどうか冷静に判断せずに入信しろというのは、危険なカルトへの入信をも推奨する事になります。 そして、人生について真剣に悩む人間というのは、救いを求めるあまりに、救いと称するものを提示されるとその真偽を確かめず、 あるいはあえて矛盾から目をそらして、それが真の救いだと思い込もうとするのは本当によくある事ですし、 そこに付け込むのはカルトの常套手段です。 イエスとは、そんなカルト的手法でしか信じる事ができない存在だとおっしゃるのでしょうか? http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/930
931: 横レス [] 2014/04/17(木) 21:07:36.84 ID:QMpM3UNG >>920 非カトリック教国という事であれば、日本に限らず世界のほとんどの国が該当するでしょう。 であれば、その私の一文に「世界のほとんどの国の」という前提条件を加えて下さい。 そうする事で論旨に影響が出る事は無いと思いますので、論旨に対してご回答をお願いします。 ちなみに幼児洗礼などといった行為が本当に許されるとお思いでしょうか? 成長して客観的な判断力を身に付けた時に他の宗教を選ぶかもしれない子供が、まだ的確な判断力を持たない内に 「キリスト教の教えは正しい」という考えを刷り込み、客観的に判断する機会を奪うのは、洗脳とどこが違うのでしょうか? 他の宗教、特にカルトの信者が同じ事をやった場合、あなたはどう思われますか? 「キリスト教こそが正しいからいいんだ」とおっしゃるのでしょうか? カルト信者も同じ事を言うと思いますし、第三者から見たら両者は何の違いも無いのですが。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/931
932: 横レス [] 2014/04/17(木) 21:18:14.71 ID:QMpM3UNG >>921 神を「信じる自由」「信じない自由」とおっしゃいますが、補足するとそれは「ろくな信憑性を提示されずに 信じる自由と信じない自由」です。 人に聞いたり教典を読むだけでは、その教訓が素晴らしいとは思えても、その教えの主とされる神が実在するか否かは判断できません。 教訓が素晴らしい事と神が実在する事はまったくの別問題であり、それらを混同するのは希望的観測、ひいてはカルト的発想です。 キリスト教の神が、救われる人間と救われない人間とを選別するにあたり、「ろくな信憑性を提示されずに神を信じるか信じないか」 を基準としているのなら、神の考え方は恐ろしくずれていると言わざるを得ませんし、そんなの事で天国行きか地獄行きかを決められたのでは たまったものではありません。 神は人間の希望的観測を試し、カルト的な発想をする人間のみを救うために、あえて人間の前に姿を現さないのでしょうか? >>922 全知全能なら人間の目にやさしい光量で、人間の目に見えるように実体化するぐらいたやすいのではないでしょうか? また、「信じる自由」、「信じない自由」と同様で、「霊的な見方」という優れた見方を人間に身に付けさせるためには、 その前段階として神が自らの存在を明確に示し、自らの存在を信じさせる事で、「霊的な見方」が重要である事を教えるべきでしょう。 なのに、神の存在を信じるか否かという入り口の段階で、まず「霊的な見方を要求するのでは、本末転倒と言わざるを得ません。 それができる人間は、「ろくな信憑性を提示されずに神を信じる」希望的観測、カルト的発想の人間です。 さらに、神は自分の存在を信じてくれる人間のみを祝福したいとあなたはおっしゃるのでしょうか? それはすなわち、神は自分の利益を基準に、救う人間と救わない人間を選別しているという事になりますが。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/932
933: 横レス [] 2014/04/17(木) 21:21:03.87 ID:QMpM3UNG >>924 霊魂を自ら磨くのが最善だとして、磨けなかった霊魂を、神はどうすべきでしょうか? 神が「強制」的に磨いて天国に行かせるのと、地獄に落ちるのを見過ごすのとでは、どちらが本当の愛でしょうか? そもそも、まず天国に行くという至上の目的が有り、自ら霊魂を磨くのは、その目的のための手段でしかないはずです。 それなのに、その手段では目的を達成できなかった場合、他に目的を達成する方法が有るのに、それを捨ててまで 単なる一手段に執着するのは本末転倒でしょう。 神が人間の前に姿を現さない事についても同じ事が言えます。 また、人間を操って愛されるのは虚しいとの事でしたが、もしも自分が虚しい思いをするだけで、自分の愛する人を地獄から救えるとしたら、 あなたならどうしますか? 私なら、虚しい思いぐらい安いものだと喜んで応じますし、ほとんどの人もそうするでしょう。 それに対し、自分が虚しい思いをするのが嫌だというだけで、無数の人間が地獄に落ちるのを黙って見過ごす神は、 人間と比べてもあまりにも心が狭く、残虐なのではないでしょうか? http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/933
934: 横レス [] 2014/04/17(木) 21:28:14.98 ID:QMpM3UNG >>925 あなたは子供の頃、両親にお腹いっぱいご飯を食べさせてもらった事、色々な物を与えてもらった事を幸せだったと思いませんか? もしもあなたが子を持つ親なら、それらを子供にしてあげる事で、子供を幸せにしてあげたと思いませんか? にもかかわらず多くの親が、子供が転んでも助けない等、真逆の辛い目にあわせるのはなぜでしょうか? それは、いつまでも親が守ってやれないため、自分の力で生きていく強さを身に付けさせる必要が有るからです。 あくまで「自分の力で生きていく」という目的ありきであり、その必要に迫られての事です。 そして神が本当に全知全能なら、人間の親と違い、いつになっても目的のものを簡単に与える事ができます。 つまり、神にとっては人間に試練を与えて自ら成長させる必要などなく、自らの全知全能の力をもって成長させれば済む事です。 そもそも神は最初に人間を作った際には、穢れた霊魂を与えて自ら磨くよう命じたのではなく、既に磨かれた霊魂を与えたのでしょう? 自ら磨くという自助努力を課さずに磨かれた霊魂という成果を与えておきながら、なぜ今更自助努力にこだわるのでしょうか? また、神は当初、人間に磨かれた霊魂を与えていたのに、わざわざ「霊魂を磨くための場所」を作っていたのはなぜでしょうか? 考えられる答えは、「人間の霊魂が穢れる事を神が予想していた」という事のみです。 そして全知全能のはずの神が、それを予想しながら、自分の創造物に過ぎない蛇ごときにあっさりと予想を実現されたのであれば、 すべては神の自作自演か、もしくは神が全知全能には程遠いという事を意味します。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/934
935: 横レス [] 2014/04/17(木) 21:31:07.61 ID:QMpM3UNG >>925 キリスト教では、善人になるための努力を神が人間に求める理由を、人間の脳内で処理できる理屈だけで説明できないのでしょうか? ではどうやって人間に対して「神の名において」善人になるための努力をすべきだと説くのですか? 「善人になるための努力をすべき」と説くだけでは、神を関連付ける事はできませんし、「とにかく神の名において」 と言われただけで納得する人間は、カルトの教義もあっさり受け入れてしまいます。 キリスト教徒とは、もしも先にカルトに出会っていたらカルト信者になっていた、という人ばかりなのでしょうか? キリスト教の神はそんな無思慮な人間しか救わないのでしょうか? さらに言うと、「神様の一存だけではどうにもできない理由があるのです。」という一文ですが、あなたはご自分がその一文により 「神は全知全能ではない」と言っている事にお気付きでしょうか? >>926 非難はしなくても、自分の作品の欠陥を直そうともせず、自分の作品が自分の作った世界で酷い目にあっても黙って眺めていたり、 しまいには地獄に落ちるのを黙って見送ったりされたのではたまったものではありません。 厳しい仕打ちをしても、厳しい言葉を投げかけなければそれでいいのでしょうか? 「肉の器」についてですが、私が問題にしているのは、後で復活するか否かではなく、なぜ神は人生において苦痛を与えるのかという事です。 霊魂を磨くための試練と言うには、あまりにも悪人がのさばり、正直者が馬鹿を見る世の中なのはなぜでしょうか? 人間のように原罪を背負ったわけでもない動物までが、あまりにも悲惨な目にあうのはなぜでしょうか? http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/935
936: ダニエル ◆o31oshrvYE [] 2014/04/17(木) 21:37:44.81 ID:nBCAwkh3 >>930 >私は救いを求めたのではなく、キリスト教の初歩的な教えを知りたかっただけなのです。 そうなんですね。それなら『心のともしび(カトリック要理の友)』というサイトがありますので、 そこを読めばキリスト教のおおまかなことはわかると思います。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/936
937: ダニエル ◆o31oshrvYE [] 2014/04/17(木) 21:41:06.79 ID:nBCAwkh3 >>930 >やはり「機会の平等」にも程遠い事になります。 横レスさん、冷静に考えてみてください。 この世に、機会の平等なんてあるわけないじゃないですか。 幸運があったり、不幸があったりするのがこの世ですよ。 イスラム教国に生まれたなら、クリスチャンにはまずなれないし、 ユダヤ人に生まれてクリスチャンになるのも大変困難です。 http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/937
938: アヤシスト [] 2014/04/17(木) 21:50:31.59 ID:r0fwh+D/ ダニエル氏は何派? http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/938
939: インギ改 [] 2014/04/17(木) 21:53:42.22 ID:r0fwh+D/ とりあえずやってみて修正可能ということで http://ai.5ch.net/test/read.cgi/psy/1321287304/939
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