[過去ログ] 坐禅と見性第93章鮟鱇吊るし切り公案無分別っきり (817レス)
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813(1): 2013/11/07(木)08:50 ID:CYjmXMAO(1/3) AAS
>>809
> あのさぁ〜 おめぇーよー
> 自己の生死(しょうじ)になんの関係もねー他人に依拠して
> どうしようってーのよぉ!?
きまってるじゃん。 禅は目がいのち。 偽者を見破る目を養ってるのよ。
あんたにピッタシのテンプレがあったわよ。 差し上げるわ。
814: 野孤禅スレです(代理人) 2013/11/07(木)08:53 ID:CYjmXMAO(2/3) AAS
無字は、初めて参禅するものに与えられる公案である。これがまた曲者で、中々透して貰えず、艱難辛苦、大変な苦労を強いられる。
それもその筈である。この世に生を受けて以来、永年染み付いた黒白つけたがる分別相対観念を根こそぎ絶つことを試されているのである。チットやソットのことで透過できる訳が無い。
昔、菴原の平四郎というものが、大憤志を発し勇猛の一機で妄想魔境に打ち勝ち、僅か三日で見性したらしい。これなどは稀で、我々凡夫は、昨日より今日、今日より明日、薄皮を一枚々々剥ぐように、自我を清算していくしかない。
そんな凡夫でも、日々努力を続ければ、因縁が熟した時、何かの契機に見性は訪れる。それは一瞬の出来事かも知れない、暫しの事かもしれない。
見性の深さも人による。大疑念のものは牛の大半を見るかも知れない。そうでないものは尻尾だけかも知れない。
臨済にしろ白隠にしろ再参して大悟したくらいだから、鈍根な我々凡夫は、一度の見性で一見便見の様には行かない。
見性体験は、将に身を削る、自我清算の修行があってのことである。修行も無く知識を詰め込んだだけの見性などありえなく、逆に我見を益々強めて遠ざかることにもなる。
ましてや、2chに入り浸り、互いに貶し罵りあい、自我を研いている様では、到底、叶わぬ事である。
815: 野孤禅スレです(代理人) 2013/11/07(木)08:54 ID:CYjmXMAO(3/3) AAS
また、一たび、我見我慢我欲を清算した後、見性して初関が透れば、無や空がガラーッと分かるものである。
世間には、無や空は観念、概念だから書物で学べば分かるものだ、と甚だしい勘違いをしているものがいる。
書物で無や空が分かり、こと足れりと済むなら、達磨が中国へ渡ることも無かったし、禅はとうの昔に滅んでいただろう。
書物に書いてある空や無の解説は、いわば薬の能書きみたいなもので、読んだから病気が治るわけではないのと同じである。
ポッタンは、「飲み屋の女から金色の炎が立ち上がるのを見た」とか「父親に、最近、世界が違って見える、と話した」などと、見性したかのような思わせ振りを語っている。
しかし上述から分かると思うが、強烈な自我が、一度も整理、清算出来ていない俗物に、見性などありえない。これは毎度お馴染みの、彼の虚栄心や自己顕示欲から来る作り話であろう。
仮に事実としても、何か脳の悪い病気に冒されているか、89をやった副作用か、あるいは何かの幻覚ではないのかと疑われるのである。
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