[過去ログ] 悟りを開いたことあるけど何か質問ある?26 (803レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
1(2): 素人A 2013/10/07(月)11:32 ID:9Xibw79B(1/2) AAS
1 :神も仏も名無しさん:2013/03/05(火) 20:21:46.38 ID:Qjpc50PJ
このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。
(amaは、諸般の事情でスレが立てられないことが多いので、
スレ立ては、有志の方でお願いいたします。
テンプレの≪ご注意≫は、既出の気に入ったものを使ってください。)
*前スレ
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?25
2chスレ:psy
≪ご注意≫
省4
784(2): 2014/09/15(月)00:02 ID:5jmlvKsf(4/5) AAS
>>783の続き
この動画で説明がありますが、般若心経が中国経由で日本に入ってきた時に
道教の無の思想の影響を受けたとあります。
ここで、空の説から無との混同が起きたのですね。この他にも間違いとの指摘があります。
苫米地氏は空包摂色 空包摂無と言ってますが、無と空は違うので空が無を包摂するとは思えない。空で色は包摂できるとは思う。
一つの神だけとするというのは、いわゆる唯一絶対神・全知全能の神という説です。
聖書は神の記したものとされてますが、コペルニクス、ガリレオによりそれまで
地球を中心と考えて天が動いてるとする天動説から、太陽を中心として地球が
動いている地動説に変わったことからも、全知であるはずの神のしるしが覆された大きな事件でした。
一元論への否定はその他にも前述のレス>>780で書きました。
省11
785(1): 2014/09/15(月)00:04 ID:5jmlvKsf(5/5) AAS
>>784の続き
柔軟にとありますが、仏教の初期は哲学的な思考によるものと見受けられます。
哲学は曖昧な要素を極力無くしていこうとする営みで柔軟とは思えません。
私は真言宗の家系ですが、マントラや呪詛、真言はどちらかというとヒンドゥー教
の影響を強く受けてるのではと見ています。
佛陀は呪詛のようなものを否定したと聞き及んでいます。
もうすぐお彼岸ですね。
つい最近、高野山に東京裁判で戦犯とされた方たちの追悼碑があることを知りました。
高野山真言宗の奥の院(和歌山県)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。
碑は連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」
省10
786: 2014/09/15(月)00:34 ID:wEy5LRoA(1) AAS
>>783間違ってました
X あちらがあってこちらがあるとすると、あちらがないのにこちらがあるというのは
○あちらがあってこちらがあるとすると、あちらがあるのにこちらがないというのは
787: 素人A 2014/09/15(月)05:12 ID:QeQi52HH(1) AAS
何時までも生きたい人間のは昔は仙道で陽神を修行で育てて頭の上からだして永久に生きる事ができるけど?修行は大変だし
死ぬまえに陽神を育てる事は出来ない。今は山中教授のTP細胞やすったもんだのSTAP細胞で体を直し直ししてもそれは大変だ
と思う。優秀な脳力を持つロボットをつくれば.後は今でも入る物に憑依できる幽霊の原理を使えば科学で人間の体より丈夫
で長持ちする代わりの体を原理的には出きるかも?今IP細胞の手術が始まったけど.憑依霊はまず落ち武者の例に協力して
もらつて経験をつんでもらう。人間の脳と人工知能の移行は少しずつ少しずつ移り変われば出きるはず。でも恐れ拒否など
心理的な感情があるとなかなか上手くいかないから.次は悟った人はどんな状況になってもまあ善いかと社会のために永遠の
ロボット身体を手に入れられるばず。でもそんなくだらない事に悟ったひとは協力するのか?やっぱり幽霊の例根から試す
しかないのか?人工知能と人間の脳の仕組みは変わらないから出きる。むかしから仏作って魂入れずと言うから仏像は昔から
魂が宿っているのか?奈良の大仏は奈良時代からサボらずに坐禅しているトイレにも行かないで凄い坐禅三昧だ。
788: 2014/09/15(月)11:28 ID:eWY1zcCx(1) AAS
人間は神?の個体への執着の産物で、ロボットは人間の執着の産物でしょうか。
しかしロボットの材料も結局神?から調達しなければ何も作れない。
結局人間は神まで自分で創りだしてしまいましたが、全ては想定内の出来事なのでしょうか…。
789(1): 素人A 2014/09/16(火)06:15 ID:4+T8KVYM(1) AAS
NHK死んだらどうなるは外国の脳科学者の研究ばかりで.何で日本でも研究していると思うが.立花さんばかりしか
目立たないのか?丹波さんは向うに行過ぎて科学研究にはならず。まあ解った事は臨死体験者の半分は光かがやく幸福感に
満たされた体験をするという事で.脳科学者は心臓が停止してもかすかな脳波が働いて夢のような体験が見えるとか言って
いた。結局科学者は体験者ではなく.脳が便りだから脳が停止した先の状態は解らない。まあ現在から先の未来は見えない
のとおなじで死んだら先は永遠のなぞという結論鴨。でも我々は生まれる前から此処に着たのかこれも解らないし.だい
たい肝心な事は科学でも何一つ解らないなぞという事でしか納得できない。チベットの死者の書では光の体験は凡人は
すぐ落ち着きなくなり色々な煩悩を探し出すという死.静かで何も無いに我慢はできなくて業業郷広見で落ち着き無く
動き出すというし.珠に光輝いてもすぐ元の木網多にかえる。或る科学者は意識とはいろんな感覚や色々が脳細胞みたいに
集まったものが意識とか?それは網拿産のぱくり思想。逆に言えば無が網想や創造が世界や人間が生まれたとしたら現実は
夢のような独りの人の幻実かも.返ってこれからのロボットの研究のほうが真実に迫れる野かも。瞑想のシステムは網想の
省1
790(1): 2014/09/16(火)07:47 ID:KcONTZPE(1/2) AAS
昨日はNHKを見逃した代わりにテレ朝のトリハダマル秘スクープを見ました。
殺された被害者が超能力者に訴えてきて犯人についての正確な情報を提供していました。
人が死ねば脳の活動も完全に停止してしまうのに、いったい死者の本体は、いや人間の本体は何者なのでしょうか。
恨みや無念さや執着は肉体が朽ちても目に見えない本体によって来世に引き継がれるのでしょうか。
科学者は脳科学から一歩も先に進めない?何故ならそれは消滅するものだから?
きっと彼らこそ丹波さんが云うみたいに、死んだら驚いた!!を経験するのでしょうか。
それとも信じた通りに永遠の暗闇を経験するのか?それならいっそ信じた通りに消滅を選ぶのでしょうか…?
791(1): 2014/09/16(火)10:50 ID:KcONTZPE(2/2) AAS
個我とは、執着を持ち運ぶ入れ物のことなのでしょうか。
792: 2014/09/16(火)21:49 ID:O6IiZjcx(1/4) AAS
>>791
私は悟りを開いてないのでレスするのはどうかと思いますが・・・
佛陀の縁起説の前提があって空とするので、相互依存で独立した実体がない
とするのが空の説と考えます。
>個我とは、執着を持ち運ぶ入れ物のことなのでしょうか。
空の説の独立した実体がなければ、個我の執着も生まれないと考えられます
が、執着があるのは独立した実体を持つ個我があるからで、空の説は
この世の仕組みにそぐわないと考えられます。
空の説のように、あなたの体の実体はないと考えられますか?
これなんかどうでしょう?
省4
793: 2014/09/16(火)22:28 ID:O6IiZjcx(2/4) AAS
>>791
こんなのもあるから追記します。
人はなぜ、なんのために生きるのか 「生命誕生の真実」 川田薫
P.246 井筒俊彦 「全ての存在物には境界があって、その境界で他の存在物
との区別をしています。しかし、この境界を取ってしまうと、存在物の認識が
できなくなります。認識はできないですが、存在はしています。この認識できない
存在を空というのです。」
この境界を取るというのが無我の境地で、自然や宇宙と一体になって存在する
という状態なのかな?
でも境界を取って区別がなくなると、古事記の序文にあるような、天地開闢の
省3
794(1): 2014/09/16(火)23:10 ID:O6IiZjcx(3/4) AAS
>>789 >>790
福島大学元教授で経営学者の飯田史彦の著書に「生きがいの創造」があります。
他の著書も読んでどれだったか忘れたのですが(検索してもちょっと判らなかった)
自殺した人の霊が見えて、その家族にどうしても伝えて欲しいと頼まれたそうです。
その家族は息子が自殺したことで大変ショックを受けており、理由も判らず悲しみ
に暮れていたのかな。それで飯田史彦氏が全く知らない他人の家族の所へ
息子さんのことを伝えたという話。この著書だったと思う。
他にも海外の例をたくさん取り上げた著書があったかな。それは、飯田史彦自身が
霊に出会ったのではなくて、家族の霊に出会って事故を防げ無事だったこととか
があった。
省13
795(1): 780 2014/09/16(火)23:26 ID:O6IiZjcx(4/4) AAS
>>794 続き
>>780
>また、この世界は無ではないので人間は死んでも無にはならないだろう。
こう考える私は、人間には霊魂があると思っています。
人間の死後の霊はどうなるのか?
>>781
>輪廻と言うが、過去世から現世に帰ってきたというような人間は殆どいない。
>輪廻はあるのか甚だ疑問。
身近に”あん時のあそこからこの世に帰ってきたよ”という人物が
たくさんいれば、輪廻も信じることができるけど、これじゃあね。
省3
796(1): 2014/09/17(水)00:30 ID:soaVJv/h(1/3) AAS
>>795 追記
「あるヨギの自叙伝」はインドの宗教観はキリスト教の三位一体説と一致する
との趣旨を目的に書かれたものです。
P.151 注釈(3)父と子と精霊(ヒンズーの聖典では、サットとタットとオーム)として
の神の三位一体性について述べている。父なる神(サット)とは、波動によって
つくられた一切の創造物を超越して実在する不顕現の絶対者である。
こなる神(タット)とは、波動による一切の創造物に内在する聖意識(キリスト意識、
ブラフマ、クタスタ・チャイタニヤ等ともいわれる)のことで、”つくられずして太初より
実在せる無限者”(父なる神)の唯一の反映であるところから「神のひとり子」とも
呼ばれる。普遍的聖意識(キリスト意識)の外的顕現または”証人”(ヨハネの
省10
797: 2014/09/17(水)00:40 ID:soaVJv/h(2/3) AAS
>>796
X こなる神(タット)とは
○ 子なる神(タット)とは
798(1): 素人A 2014/09/17(水)07:14 ID:ONyfkHEi(1) AAS
ショーペンハウアー自身の決定的な貢献は次の認識にあります。私たちの外的な目は時空の場の中のみかけの現象しか見かけ
ませんが、しかしこれらの現象全ての内的経験は、意欲する主体としての彼、彼女、ないしそれ自身の経験なのです。この内
的経験はー私たちには隠されていますがー実際は、アートマン=ブラフマンすなわち普遍的自己のエネルギーの経験なのです。
ただそれは幻影である個人自身の死の恐怖および幻影としての生存への欲望によつてサンサーラ(時間的な幻影の影)に繋がれ
ているのです。つまり(生の意志)の衝動は自分自身としてのアートマンの経験ですが、それはーショーペンハウアーの認識で
はー「同情」(慈悲)の洞察という形でのみ生起します。それは菩薩の性質に他なりません。彼は有名な論文「道徳の基礎につ
いて」の中で次の問いをだしています。(続く) まあ我々はこの様にぼさあつとして或る苦のもまあ善い働き鴨続きも或る鴨
?ぽつ師匠はリンクはったユー中部皆見ているのだろうか?損な時間は無いはずだが?貼りきっている志でもご苦労さん
799: 2014/09/17(水)07:16 ID:sfyusvG+(1) AAS
>>783-785
勉強になるのう。
精進して修行するわい。
800: 2014/09/17(水)14:55 ID:soaVJv/h(3/3) AAS
>>798
>実際は、アートマン=ブラフマンすなわち普遍的自己のエネルギーの経験
私達の体を通して幻影を見せてる本体がこれというのですよね。
なぜ幻影を見せるのかな?
幻影を見せるのが菩薩の慈悲の性質ですか?
こんなまやかしの幻影を見せるからには本体のアートマン=ブラフマンの都合が悪いからかな?
なんか私が読み間違えてますか?
801: 素人A 2014/09/18(木)06:34 ID:nvdwDVEW(1) AAS
(続き)「ところで、私のものでもなく、私と関わりない苦悩が、それ以外の場合には私自身の苦悩だけがそうである
ように直接に私動機となり、私を行為へと動かすという事は、どの様にして可能なのだろうか。[・・・]この過程は神秘的で
ある。それは理性が直接に報告しえないものであり、それらの根拠を経験によつて見出すことの出来ないものである。にもか
かわらず、それは日常的なことである無常このうえない人、我欲きわめて強い人にとつてさえ、無縁な事ではない。この現象
は日々われわれれの目前に、個々のことにあらわれる。熟慮を重ねる事も無く直接的衝動によつてある人が他人を助ける、
救援に駆けつける、それどころか見知らずの他人のために、その他者の大きな困惑と危険とを眼前にしているということ意外
には何も考えることなく、自分の生命をきわめて明白な危険にさらすことさえある。[・・・]と」(つづく)
802: 素人A 2014/09/19(金)06:15 ID:mvR1+7tx(1) AAS
つづき)この問いに対してショーペンハウアーはこう答えます。この瞬間の反応と行動には、ある形而上学的認識が
顔を覗かせているのだ、とーすなわち(彼はこれをサンスクリットで表現しますが)「汝はそれなり」という認識が。さらに彼
はこう言います「だがこのことは、私が他人とあるていど同一化し、したがって、自我と非自我とのあいだの垣根がその瞬間
には解消してしまつていることを、前提している。そのときだけは、他者の要件が、その必要、その困惑、その苦悩が、直接
自分のものとなる。そのとき、私はもはや他人を経験的直感があたえるままに私にとつて無縁なもの、どうでもよいもの、私
とはまつたく異なったものとは見ないで、私の神経が皮膚に包まれているのではないにも関わらず、その他者においてもとも
に苦悩するのである」(つづく)
803: 素人A 2014/09/20(土)05:07 ID:i3BkSMqM(1) AAS
玄沙和尚はあるとき旅にでようとしてすぐ足の指を石にぶつけイテテ。この痛みは何処空着たのかと突然想い旅はやめて寺に
引き返したとか?雪峰和尚が何故お前は旅に出ないのかと聞いた。そうしたら、玄沙は「達磨は中国に行きませんでした、慧
可もインドに行きませんでした」と答えた。??テレビを見ている人が旅の番組で色々な所に旅する気分になるけど、冷静に
見ればテレビの光が色々に変化しているだけ、見ている人はテレビの前に居る。あたり前だ私は今パソコンの前で2ちやんの
朝の出鱈目を書いている。色即是黒写っても写らなくてテレビはテレビパソコンはぱそこん光の乱舞だけど真っ黒なパソコン
の前で見続けるのは辛い、けど坐前つまり坐前禅なら盲見続けられる視でも空たまには空でも色々な光も見ないと?色即是空
空即是色。テレビやコンピューターの機会がないと見ることも無い暇でもつまらないお年よりもいるし、まあそれもよいか。
盤面を見ないでも脳内に将棋盤が見れると眼暗将棋が出来るとプロの人は当然皆出来ると、網夢中に修業三昧すれば私でも
見られるはず?修業の時間が無いと言うけど散漫な煩悩散舞にナッッテ居るだけ
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.121s*