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ローマカトリック教会20170328 [無断転載禁止]©2ch.net (874レス)
ローマカトリック教会20170328 [無断転載禁止]©2ch.net http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/
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523: 老クリスチャン [] 2017/07/28(金) 11:08:16.89 ID:OGiEfB6J 2005年(主日A年) 7月24日 年間第17主日 王上 3:5〜12 ロマ 8:28〜30 マタ 13:44〜52 私たちキリスト者は、洗礼の秘蹟によって聖霊が支配される共同体に接ぎ木されました。 「霊に従って歩む者」(ロマ 8:5)は、キリストの霊である聖霊の思いを理解しなければなりません。 聖霊は 「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たち( ・・・ が、神の国を相続するため)には、万事が益となるように共に働くということを」(ロマ v.28)、私たちは再び真面目に考えてみるべきなのです。 私たちが知っている20世紀の教会は、良い魚と悪い魚を共に大切にして共存させる、「天の国のことを学んだ学者」(マタ 13:52)に要求されている見分ける責任を放棄した教会ではなかったでしょうか。 それは一方では、“莫大な価値のある宝物” であるはずの受けた救いの恵みの大切さを見失わせ、他方では終末における神の審判(使 10:42, 17:31、IIテモ 4:1)を神話の世界に追いやって来ました。 神の国を受け継ぐのは切り離された個人ではなくて、キリストの体に接ぎ木された共同体としての教会でありますから(ルカ 12:32 参照)、 その共同体を 「キリスト・イエスの日までに」(フィリ 1:6) 「招きにふさわしいもの」(IIテサ 1:11)としてくださるようにと祈りましょう。 私たちの祈りが、私たち一人一人のキリスト者自らの奉献を伴った真実なものであるためには、自分の属する共同体への具体的な責任の自覚が必須であればこそ、 聖霊は 「万事が益となるように共に」(ロマ v.28)働いてくださるのですから。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/523
524: 老クリスチャン [] 2017/07/29(土) 11:23:02.88 ID:cDXwUBH2 2008年(主日A年) 7月27日 年間第17主日 王上 3:5,7〜12 ロマ 8:28〜30 マタ 13:44〜52 父ダビデは、後代の人々にとっては、イスラエルの王の理想像となり、その治世の再来が待望されるようになりました。 そしてその子ソロモンは、神から知恵に満ちた賢明な心を与えられ(王上 v.12)、後世イスラエルの知恵文学の父とされて、“箴言” や “知恵の書” の栄誉も彼に帰せられています。 旧約聖書を編集した捕囚後の時代の人々(エズ 7:6-10、ネヘ 8:1-12参照)は、これらの過去の偉大な、しかし結局は消え去ってしまったカリスマ的指導者や王たちの記憶を、ただの思い出として記録したのではありませんでした。 イスラエルの歴史を貫いてヤーウェが計画し、お進めになった救済史と、しかもそこでは未完のまま残された神の約束を、私たちはそこに読むことが出来ます。 救済史は、その完成をイエス・キリストまで待たなければなりませんでした(ロマ 1:2-4、ヨハ 8:56 参照)。 そのような歴史を貫いて常に前進する神の慈しみを表現するために、歴下 7:42 ではソロモンのこの時の祈りに、次のような結びが付け加えられています。 「神なる主よ、あなたが油注がれた人を見捨てず、あなたの僕ダビデに示された慈しみを覚えていてください。」 教会が使徒たちから受け継いだ宣教を、司祭はミサの中のことばの典礼で説教するために召されています。 私たち現代のキリスト者がその説教を、新しいものすなわち神の国の福音と、古いものすなわち旧約聖書の約束とを結びつける宣教として、今も聞きくことが出来ますように。 私たちの神父の説教のために、また私たち自身の正しい福音理解のために、日々天の父に祈ることは私たち信徒一同の大切な務めです。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/524
525: 神も仏も名無しさん [sage] 2017/07/29(土) 11:29:05.32 ID:uuVHoGc0 >>524 『老クリスチャンの長文コピペについて』 (1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。 (2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。 (3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。 そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。 (4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。 (5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。 (6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。 (7)まったく読む必要はない。 (8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。 (9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。 (10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。 (11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。 (12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。 (13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。 (14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。 (15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。 (16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。 (17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。 (18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。 (19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと 老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。 (20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。 【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/525
526: 美魔女 [] 2017/07/29(土) 18:53:29.59 ID:n1c6jTBC 既に起こったイエスの啓示の言葉が聖書の言葉を通して語る時に聖霊の出来事として聖書の言葉。⭐ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/526
527: 神も仏も名無しさん [sage] 2017/07/30(日) 00:28:23.99 ID:EIGtcAod ____ /c c c\// / c c /V / ̄ ̄\ c /- | /Φ Φ\/- / | o ‥ o | -/ \__(__人__)__/ ̄ 人 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/527
528: 神も仏も名無しさん [sage] 2017/07/30(日) 06:13:26.67 ID:7Tj9wtpR サタンの宗教ローマカトリックwww 笑っちゃ魚www http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/528
529: 神も仏も名無しさん [] 2017/07/30(日) 13:59:48.48 ID:3tZ3yooi 老クリさん、もう本当に長文コピペの連続は辞めてください。 スレの私物化に等しい行為です。 ある話題について、ついつい長文を連続投稿してしまったということではなく、 日常的になさっていますよね。 多くの人から辞めて欲しいと言われているのに、無視して長文コピペを連投しまくるという行為については、 荒らしと言われても仕方ありません。 確信犯ですから明らかな荒らしです。 荒らしではないと仰るかもしれませんが、スレの私物化であることは間違いありません。 そんなに長文コピペを続けることが、ご自身にとって大事なのでしたら、新スレを立ててください。 皆、本当に迷惑しているのです。 迷惑行為を続けていて、キリストの福音だと言われても説得力ゼロです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/529
530: 神も仏も名無しさん [] 2017/07/30(日) 18:12:15.36 ID:rS69Dalz >>523-524 老クリスチャンへ あなたのことが書かれてあります。 『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著) P103より 悪性のナルシシズムの特徴としてあげられるのが、屈服することのない意志である。 邪悪な人たちの異常な意志の強さは驚くほどである。彼らは、頑として自分の道を歩む強力な意志 もった男であり女である。彼らが他人を支配しようとするそのやり方には、驚くべき力がある。 『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著) P104より 「転落の前にうぬぼれあり」とはよく言われることであるが、いうまでもなく、一般の人がうぬぼれ と呼んでいるものは、しゃれた精神医学用語でいう「悪性のナルシシズム」のことである。 悪の根源に【うぬぼれ】がある以上、キリスト教教会当局が一般に【うぬぼれ】を第一の罪のひとつ と見なしているのも偶然ではない。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/530
531: 鬼和尚 [] 2017/07/30(日) 18:28:48.36 ID:aQHUXcOD まだまだじゃのう 嘘も方便じゃ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/531
532: 老クリスチャン [] 2017/08/03(木) 10:27:04.78 ID:l19T2ZeR 2000年(主日B年) 8月6日 主の変容 ダニ 7:9〜14 IIペト 1:16〜19 マコ 9:2〜10 「ペトロは、どう言えばよいのか、分らなかった。」(マコ v.6) イエスの三人の弟子、ペトロ、ヤコブ、ヨハネは、この特別な啓示を見ることを許されました。 それは ダニ 7章 の 「人の子」 の栄光と何らかの結びつきがある場面だったのかも知れません。 いずれにしても彼らはこのとき、天上の父なる神の声を聞いて、彼らの主イエスこそがメシアであると信じたのでした。 「これはわたしの愛する子。 これに聞け。」(マコ v.7) この天からの声の前半部分は、イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けられたときに聞こえたのと同じものです(マコ 1:11)。 これは多くの聖書学者によって 詩 2:7 を連想させるという点で重視されて来たものです。 詩 2:7 は、イスラエルのメシア的王の即位の定式文であると考えられているからです。 「愛する」 という修飾語は LXX(イエスの時代のギリシア語訳旧約聖書)ではアブラハムの一人息子イサク(創)やエフタの一人娘(士)に用いられていて、特に “独り子” を意味していました。 ですからこの前半部分は、“神の独り子イエスのメシアとしての即位を宣言する天からの声” と理解されます。 モーセとエリヤはそれぞれ律法と預言者を代表する者で、彼らの出現はイエスがメシアであることの “しるし” であると考えられました。 天からの声の後半部分は、申 18:15 からの引用で、“神の独り子キリスト” と “モーセのような預言者” とを同一視させる(ヨハ 6:14 参照)ための役割を果たすものと考えられます。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/532
533: 神も仏も名無しさん [sage] 2017/08/04(金) 07:22:02.40 ID:XyQiBtjB >>532 https://www.youtube.com/watch?v=NvZQ09ACb0M http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/533
534: 老クリスチャン [] 2017/08/04(金) 12:23:23.27 ID:upE3MASg 2006年(主日B年) 8月6日 主の変容 ダニ 7:9〜10,13〜14 IIペト 1:16〜19 マコ 9:2〜10 「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。 “これはわたしの愛する子。 これに聞け。”」(マコ v.7) 教会はその信仰の基礎を “キリストに聞く” ことに置いて来たという、使徒たち以来不変の伝統に注目しましょう。 典礼暦で8月6日は “主の変容の祝日” となっていますが、この日が日曜日となることは少ないので、宗教改革後のルター派の教会では四旬節に入る直前の主日にこれを振り替えて祝うようにしました。 カトリック教会では第二バチカン公会議の典礼刷新を受けて、四旬節第二主日の福音朗読に主の変容のテキストを用いるようにしました。 代々の教会がこれほどに重視して来た祝日が、今年はたまたま日曜日に当たったということなのです。 イエス・キリストが神から遣わされた救い主であることを示す神の栄光が、山の上にいる一同を包みました。 そして雲の中から声が聞こえました。 イエスはモーセやエリヤのような偉大な人物なのか。 いや、それ以上の方である。 教会はこれに聞かなければならない ・・・・・。 それが使徒たちがこの物語りに託した意図でありました。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/534
535: 老クリスチャン [] 2017/08/05(土) 12:02:37.92 ID:7TJzrmxe 2013年(主日C年) 2月24日 四旬節第2主日 創 15:5〜18 フィリ 3:17〜4:1 ルカ 9:28〜36 「すると、“これはわたしの子、選ばれた者。 これに聞け” という声が雲の中から聞こえた。」(ルカ v.35) 弟子たちが最初この出来事を体験したときには、その意味が全く分からなかった(ルカ v.33)けれども、 “これからイエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期のこと” が、神御自身による救済史の展開であり、救い主イエス・キリストの威光の発現であったことを(Iペト 1:16)、原始教会は後になって理解したのです。 ですから 「これに聞け」 という天からの声は、今や救い主イエス・キリストの福音を、主の死と復活、昇天と聖霊降臨、そして原始教会の誕生という救済史の出来事を通して理解せよという意味で、受け取られなければなりません。 「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ」(IIコリ 5:18)、「神は御子の肉の体において、その死によってあなた方と和解し」(コロ 1:22)、 キリストは 「御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられた」(ヘブ 9:12)という福音理解が使徒たちによって宣教されて初めて、 人々は 「あなたがたは、以前には自分の過ちと罪のために死んでいた ・・・・・ 、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした」(エフェ 2:1,3)、 「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました」(コロ 1:21)という “罪の事実” を承認するに至ったと言うことが出来ます。 そのようなしっかりした福音理解を前提にしないで、聖書を読んだり解説したりしている人は、 “自分でも何を言っているのか分からない”(ルカ v.33)ところに逆戻りすることになります。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/535
536: 神も仏も名無しさん [] 2017/08/05(土) 22:57:02.63 ID:3xJmgsam >>535スレを私物化するな❗規制にするぞ❗ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/536
537: 神も仏も名無しさん [sage] 2017/08/06(日) 02:00:15.94 ID:hbDv8Z+b >>534-535 『老クリスチャンの長文コピペについて』 (1)本人は17年間カトリックに改宗していない元プロテスタントの牧師である。 (2)枝葉末節のどうでもいいことを重要視してみせる。 (3)神学や聖書の知識が多い者ほど、信仰が篤いという歪んだモノサシをもっている。 そんな歪んだモノサシを、他のキリスト者にあてて、残念がったり、失望してみせる。 (4)自分のメガネにかなわない者、自分を批判する者を野良犬呼ばわりする。 (5)カトリックの神父様にも、マムシの目と心を向けて、揚げ足を取ろうとする。 (6)御言葉の切り貼り。パッチワーク。 (7)まったく読む必要はない。 (8)「自分のコピペを読まないと救われない」というようにもっていく。 (9)自分のだ液まみれの長文コピペを人の口の中に強引に押し込もうとする。 (10)元牧師の個人的な葛藤である。歪んだ信仰のパン種入り。 (11)イエズス様の教えられたことを念頭に老クリスチャンのコピペを読むと どこか違う方向へ連れて行こうとしてるのがハッキリとわかる。 (12)都合の悪い批判に対してはまったく答えない。逃げ回る。反省しない。 (13)上から目線である。自分には非がないと思い込んでいる。 (14)自分をラビ(先生)と奉らせたい。信仰が篤い者と思われたい。 (15)カトリックにコンプレックスがあるようだ。マウンティングしたい。 (16)自分を変えるのではなく、カトリック(他者)を変えようとする。 (17)カトリックを呪っている。ときおり「しっぽ」を出す。 (18)自分を預言者だと自惚れている。傍目には現代のファリサイ人でしかない。 (19)『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック著)を読むと 老クリスチャンが「邪悪な人間」であることがわかる。 (20)リアルでは老クリスチャンにだれも注意(批判)しなかった。 【マルチポスト】老クリスチャンという名の暴走老人【だれか止めて】 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1487336445/ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/537
538: 神も仏も名無しさん [] 2017/08/06(日) 06:01:17.44 ID:AlLNoOeK >>535 なぜ、あなたは自分のスレを立てて、そこで活動しないの? http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/538
539: 神も仏も名無しさん [] 2017/08/06(日) 06:04:49.19 ID:AlLNoOeK >>535カトリックに改宗している訳でも ないのに、あなたが、ここに張りつけても 反感を買い、スレが荒れるだけ。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/539
540: 神も仏も名無しさん [] 2017/08/06(日) 06:25:01.33 ID:MYirCcG5 ___ o ( ;;;;;_;;;;; )/''' 丶.-'~;;;;;;;;;;;;;;~'-、 /~;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,ヽ、 ,;';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、 ./;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヘ l;;;;;;;;;' ~''''''''''~ ';;;;;;;;l .l;;;;;;;;;; ;;;;;;;l l;;;;;;;;;;' .;;;;;;l k;;;;;;;' '''''' ~''''''.;. ;;;;;;.l ヘ ヽ;; (●), 、(●)、.::;; ノ ∧. ,,ノ(、_, )ヽ、,, l レギオンじゃよ / キ `-=ニ=- ' /ヽ、< 墓場をすみかとしており、もはやだれも、 ./ ヽ 、 `ニニ´ / ヽ 鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった / ヽヽ、_ ___ / | マルコ5章3節 `\\// http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/540
541: 神も仏も名無しさん [] 2017/08/06(日) 07:27:19.47 ID:I44eDBiY 老クリさん、もう本当に長文コピペの連続は辞めてください。 スレの私物化に等しい行為です。 ある話題について、ついつい長文を連続投稿してしまったということではなく、 日常的になさっていますよね。 多くの人から辞めて欲しいと言われているのに、無視して長文コピペを連投しまくるという行為については、 荒らしと言われても仕方ありません。 確信犯ですから明らかな荒らしです。 荒らしではないと仰るかもしれませんが、スレの私物化であることは間違いありません。 そんなに長文コピペを続けることが、ご自身にとって大事なのでしたら、新スレを立ててください。 皆、本当に迷惑しているのです。 迷惑行為を続けていて、キリストの福音だと言われても説得力ゼロです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/541
542: 老クリスチャン [] 2017/08/10(木) 10:21:52.60 ID:H4NhLrt7 2002年(主日A年) 8月11日 年間第19主日 王上 19:9〜13 ロマ 9:1〜5 マタ 14:22〜33 オムリ王朝時代の北イスラエルに侵入して来たバアル礼拝と最も激しく戦ったのが、ヤーウェの預言者エリヤでした。 その戦いの頂点として列王記上に描かれているのが、有名なカルメル山上でのバアルとアシェラの預言者たちとの対決の物語り(王上 18章)です。 オムリ王朝二代目の王アハブの妻となって、イスラエルにバアル礼拝を導入したフェニキヤの王女イゼベルは、カルメル山での対決でひとときの勝利を収めた預言者エリヤを見逃しておくはずはありませんでした。 エリヤは40日40夜歩き続けて、ついに神の山ホレブに逃れました。 そこはかつてモーセがヤーウェから律法を授けられた場所でした。 エリヤはそこでヤーウェに会い、主の言葉を聞くのです。 洞穴の入り口に立ったエリヤの前を激しい風が通り過ぎました。 「火の後に、静かにささやく声が聞こえた。 ・・・・・ “エリヤよ、ここで何をしているのか。”」(王上 vv12-13) 天地創造から始まって終末の神の国の完成に至る救済史の中に、歴史の教会は存在しています。 この救済史を導くものが神のことばであることを、聖書は私たちに繰り返し教えるのです。 救済史は一人の偉大な王や預言者の働きにより、あるいはその時代ごとの運命のいたずらによって導かれるのではなくて、イスラエルの神である主によって支配されているのだということを、エリヤの物語りは私たちに語っています。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1490654997/542
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