[過去ログ] ローマカトリック教会20170328 [無断転載禁止]©2ch.net (874レス)
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(2): 老クリスチャン 2017/09/14(木)11:17 ID:Xcz1+h1X(1) AAS
2002年(主日A年) 9月15日 年間第24主日
シラ 27:30〜28:7  ロマ 14:7〜9  マタ 18:21〜35

教会共同体の一員である私たちが兄弟であるだれかの罪を赦すことについて、マタイ福音書は “主の祈り” の解説のところで次のように述べています。

「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」(マタ 6:14-15)

マタ v.21 のペトロの質問に対しても、主イエスは同様の答えをされました。
しかしこれに並行する ルカ 17:3-4 にも、私たちは注目しなければなりません。
そこにはこう述べられています。 「悔い改めれば ・・・・ 」 「“悔い改めます” と言ってあなたのところに来るなら ・・・・・ 」。
赦すことと、うやむやにして忘れてしまうこととは、決して同じではないのです。

マタイ福音書の譬え話をよく注意して読むと、マタ v.31 が重要な鍵になっているのが分かります。
「仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。」(マタ v.31)
教会の仲間たちは、このような罪をうやむやにして忘れてしまってはならないのです。
教会の仲間の一人に対する罪は教会に対する罪であり、それは教会の頭である主への罪なのですから、教会は “あるいはつなぎ、あるいは解く”(マタ 18:18 ) ことを主から求められるのです。
教会がこのような重い責任を十分に理解するときにこそ、初めて逆説的に、マタ v.35 は私たちへの主の大きな恵みの語りかけとなるのではないでしょうか。

「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」(マタ v.35)

・・・・・ 以下、本文参照。
外部リンク:www.kuwaei2000.com●Archives● より
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