[過去ログ] 坐禅と見性第121章麦の秋、ひばり舞い歌う [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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395: 空腹は喰う、不生は空 ◆86PokkanFg 2017/05/20(土)03:55 ID:KyT5Lbu7(3/10) AAS
碧巌録(へきがんろく) 第94則? 楞厳不見時
さて、いかなるかこれ露地の白牛。
試(こころ)みに挙(こ)す看(み)よ
楞厳経に云く、「吾が不見の時、何ぞ吾が不見の処を見ざる。
もし不見を見ば、自然に彼の不見の相に非ず。
もし吾が不見の処を見ずんば、自然に物に非ず。
いかんが汝にあらざらん」。
首楞厳経では次のように言っている。 「もし見るということが客観的な存在物であるならば、 私が見ないということ(不見)もあなたは客観的な物として見るだろう。
同じように私が見る時には見ることは物として存在する。 それを私を見ると名づけることができるだろう。
しかし、私が見ない時(不見)には、それは見えない。
何故私が見ないこと(不見)を見ないのだろうか?
もし、見ない(不見)という物を見ることがあれば、それは不見の相とは言えないことになる。
このように不見の処は見ることはないのだから、不見は客観的存在ではない(働きである)。
その物でない(働きである)ところがどうしてお前さんの本性でないことがあろうか
(いかんが汝にあらざらん)。
それがお前さんの本性(「本来の面目」)なのだ」。
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「もし見これ物ならば、即ち汝吾が不見を見るべし。もし同じく見るをば、名づけて吾を見るとせん。
吾が不見の時、何ぞ吾が不見の処を見ざる。もし不見を見ば、自然に彼の不見の相に非ず。
もし吾が不見の処を見ずんば、自然に物に非ず。いかんが汝にあらざらん。」
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