[過去ログ] ★★『幸福の科学』統合スレッドpart859★★ [無断転載禁止]©2ch.net (965レス)
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311: 2017/08/14(月)20:33 ID:Uh3BOPIj(56/69) AAS
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信者同志の結婚は教団組織を固めていくためである。
後でも触れることになるが、私の知るかぎり当時の〈幸福の科学〉では、五つか六つの神託結婚が大川によって命じられた。
それをきっかけに会を離れていった者もいる。
結婚はしたものの長続きせず、互いに深い傷を負って別れた夫婦もある。
今日まで続いているのは一組にすぎない。
その一組も、それまでのカップルを強引に引き裂き、別の相手と結びつけたものだったから一騒動 持ち上がっている。
誰の心にも大きな傷を残した。
どのケースも〔幸福〕とは かけ離れたものだった。
ほんとうに天が望むなら大川が何をしなくても、いずれは結ばれたに違いない。
なぜ大川は〔神託〕などという言葉を持ち出し、そこに不自然な手を加えようとしたのか。
言うまでもなく会の組織づくりのためである。
ここで、当時の中原幸枝と私が、会に占めていた位置を考えてみよう。
すでに述べたように、中原は初期〈幸福の科学〉の物心両面での最大の支柱であった。
彼女なくして〈幸福の科学〉は存在しなかったと言っても過言ではない。
いっぽう私は、大川の目には会の経済的な支援者と映っていた。
彼の『幸福の科学入門』という本の中で、私は大黒天の一人として紹介されている。
釈迦が教えを説き始めたとき、土地の長老が精舎(僧院)を寄進し、物質面から僧侶集団を支えた。
法が説かれるところには必ずそういう経済的支援者が現れる。
それが大黒天であり〈幸福の科学〉には三人の大黒天がいると大川は書いている。
第一の大黒天が私。
第二は秋山行男。
第三は高橋守人だった。
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