[過去ログ] ★★『幸福の科学』統合スレッドpart859★★ [無断転載禁止]©2ch.net (965レス)
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421: 2017/08/16(水)00:21 ID:9CoCnrIY(4/54) AAS
先日まで職員の手足となって働いていたボランティアが、しばらく顔を見せないと思ったら、なんと主宰夫人になるという。
とりわけ真知子にとっては、青天の霹靂のはずである。
結婚の縁というものは、恭子の著作『愛を与えることの幸福』によると「今世の魂修行の重要課題」に従って決まってくるという。
としたら、この結婚にこそ大川隆法の本質がハッキリと現れていると言ってもいいだろう。
大川夫人の登場と時を同じくして〈幸福の科学〉は大きく変質していった。
神理を探究する人々の集まりの場から、会員を集めることに狂奔する、ありふれた新興宗教の一つへと転落を始めたのである。
その変質は、たとえば大川父子の反目という、具体的なかたちをとって現れてきた。
〈幸福の科学〉の初期の講演会では、講師は常に大川隆法、善川三朗の二本立てだった。
それが次第に大川一人が講演するようになり、父親である善川のほうは独自で講演会を催すようになる。
同じ〈幸福の科学〉の看板を掲げて開くのだが、何万人も集める大川にくらべ、父親の講演会は今もってこじんまりしたものらしい。
あの東京ドームでのハデハデしい〔御生誕祭〕も常識人である善川の反対を押し切っておこなわれたと言われている。
こうした二人の関係について世間では大川の〔遅れてやってきた反抗期〕などと面白おかしく揶揄しているが、ことはそれほど単純ではないと思う。
私の知る範囲でも、いくつかの理由がある。
一つは会の運営方針をめぐる対立。
会員獲得を第一義とするような会の拡大路線に善川は猛反対だった。
高橋信次のGLAや、谷口雅春の生長の家の信者だったこともある善川には、地道に信者の生活や心の改革に取り組むのでなく、
数字的な拡大を図ろうとする大川の方針が危ういものに思われたに違いない。
結婚後、急速に拡大路線に転じ始めた会の方針に、夫人の影響を見るのは私の読みすぎだろうか。
少なくとも夫人は義父にあたる善川を忌み嫌っていた。
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