[過去ログ] ★★『幸福の科学』統合スレッドpart859★★ [無断転載禁止]©2ch.net (965レス)
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611: 2017/08/17(木)01:01 ID:/gzv8LQ5(1/9) AAS
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618: 2017/08/17(木)07:48 ID:/gzv8LQ5(2/9) AAS
>>616
保守票を取り込む為に、立党直後から始めたのです。
それまでは、何度も
「不成仏霊がウヨウヨ居て、嫌だ。
とても奥まで行けない」
を連発してました。
痛いクズです、犬川はww
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622: 2017/08/17(木)09:00 ID:/gzv8LQ5(3/9) AAS
「人」であることを辞めた者たち
外部リンク:6261.teacup.com
幸福の科学では、「疑問を持つこと」が許されません。
そう、「自分の頭で考えること」が許されないのです。
「疑問=憑依」なのです。
ですから、「考えない」「操られる」ことが「正信」なのです。
省15
623: 2017/08/17(木)09:00 ID:/gzv8LQ5(4/9) AAS
「人」であることを辞めた者たち
外部リンク:6261.teacup.com
支部信者たち、全く考えることが出来ませんよ。
彼らは、都合悪いことにぶつかると必ず、
思考停止状態になります。
自分では全く考えず、情報を集めようともしない。
省14
634: 2017/08/17(木)09:28 ID:/gzv8LQ5(5/9) AAS
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635: 2017/08/17(木)09:29 ID:/gzv8LQ5(6/9) AAS
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673: 2017/08/17(木)18:03 ID:/gzv8LQ5(7/9) AAS
『舎利弗の真実に迫る』からの引用を最初に太文字で表示して、次にその解説を書いていくという表記方法を取りたいと思います。
外部リンク:sites.google.com
「当会の初期の過去世認定は高橋信次によるものが多かった」(『舎利弗の真実に迫る』P15)
「当会が、まだ宗教法人格を取る前の段階の小さな任意団体だったときに、『過去世で釈迦の十大弟子だった』という人も、私の周りに何人かいたのですが、
その段階では、きちんと霊現象まで行って確認してはおらず、誰か霊人が言ったことを、そのとおりに認定していたようなことが多かったのです。」(同書P15)
<解説>
この引用部分は嘘です。
1988年3月の末、幸福の科学では大川隆法氏が少数の職員とボランティアの人々を20〜30名集めて、西荻窪駅から徒歩10分ほどの地下の事務所
(最初原久子氏の自宅の一室を間借りしていたが、手狭になり地下の部屋に数ヶ月の間、事務所を構えたことがある)にて、重要な会議を行いました。
私は始めてこうした会合に参加しました。
省5
674: 2017/08/17(木)18:04 ID:/gzv8LQ5(8/9) AAS
このときは高橋信次が大川隆法氏に入って霊言したのではありません。
細川勝由氏や坂下邦文氏、前田節氏などの元職員や山口篤さんなどの最古参の職員はその場にいました。
関谷氏もいました。
大川隆法氏が自らを釈迦の生まれ変わりであると宣言し、その大川隆法氏が私を舎利弗と言い切ったからこそ信じたのです。
万が一、高橋信次霊が私の過去世が舎利弗だと言ったとしても、大川隆法氏が釈迦の生まれかわりなら、釈迦の十大弟子を間違って判断するなどあり得ないことです。
大川隆法氏は9次元の悟り、つまり8次元如来界を超える悟りを『太陽の法』を説いた時点(1986年)で得ていたことになっています。
『太陽の法』によれば7次元と8次元の中間段階である梵天の境地で観自在力が備わり、六大神通力が備わるとあります。
すなわち大川隆法氏が過去世認定した段階では、大川隆法氏は自由自在に過去世がわかるという神通力を持っているという触れ込みだったのです。
高橋信次霊は、あのように還った当初の頃は6次元であり、幸福の科学で霊言集をたくさん出したので7次元に還れたと大川隆法氏は言いました。
もし『舎利弗の真実に迫る』にあるように、高橋信次霊の過去世認定を鵜呑みにして、それが間違いであることも見抜けなかったとしたら、
省10
675: 2017/08/17(木)18:05 ID:/gzv8LQ5(9/9) AAS
このときの指導霊が高橋信次霊であったということにはなっていますが、大川隆法氏が指導している事実には代わりはなく、大川隆法氏が指導しているからこそ私達は信頼したのです。
1994年、高橋信次の影響を払拭して方便の時代は終わったとして、三宝帰依体制を確立した際に、大川隆法氏は職員を集めて、本来の釈迦弟子で組織の中心を固めると宣言し、私を事務局長にしました。
これは私を舎利弗としての人事でした。
また1996年〜1997年にかけての創価学会との言論戦においては、大川隆法氏は私が舎利弗であり法将であることを職員に明言していました。
それゆえに私は『創価学会亡国論』を執筆したのです。
もし私がこの本に書かれているように、拝火教徒で名前も残らないほどのつまらない釈迦弟子で、ダイバダッタに引っ張られていきそうになった問題がある弟子なら、どうしてそういう役目が出来たのでしょうか。
そういうつまらない人を見抜けなかった大川隆法氏の悟りとは、いったい釈迦の悟りといえるのでしょうか。
むしろそちらが極めて疑問になります。
私は、教団に出家して間もない頃、「この人は良い講師になる」と大川隆法氏から言われたことがあります。
また、初期の頃は大川隆法氏が自ら採点しての論文講座が、職員向けに毎月ありました。
省7
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