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奥多摩で少年たちに虐待を繰り返していた韓国人の自称住職。実は僧侶資格のない無職犯罪者。★2 (813レス)
奥多摩で少年たちに虐待を繰り返していた韓国人の自称住職。実は僧侶資格のない無職犯罪者。★2 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/
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744: 基本。 [] 2018/11/29(木) 21:57:34.41 ID:kF884116 >>1 > おやさまは、「あると言えばある、無いと言えば無い。あると信じて願うまことに見えてくる利益が神の姿や」との意、語ったと伝えられている。 そこで、あると信じたときに、ご利益があること。 それは、天からの与えがあるということですから、神はあるということ。 神の実体そのものは、「ご利益」なのだ。 これが、甘露台信仰の本質ということに、なります。 そうなのです。 泥鰌が人間の種になると言う発想が、おやさまの「甘露」と言う教えの発想なのです。 甘露については、以下のような資料があります。 天理教祖中山みきの口伝等紹介。 http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kunitokoomotari2tu1tugatennori/view/200907 『今度屋敷へ生れる時は、名を玉姫と云い、乳や乳母で育てるのではない。甘露で育てる』と仰せになり、 又『十八歳迄は人並に成人するが、十八歳から先は、なんぼ年をとっても、いつも十八の姿や』と仰せになった。 それから御帰幽になった時『満三十年経ったら産れて来る』との御言葉があった。 明治十四年三月、兄秀司殿の御死去の際には、『小寒は先へ死んだが、今度の世ではやっぱり妹として生れさす』との御言葉であった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 「乳や乳母で育てるのではない。甘露で育てる」 この直接的な啓示。甘露と言うものは、そういう具体的なものだということになります。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/744
745: 基本。 [] 2018/11/29(木) 22:01:04.08 ID:kF884116 >「十八歳迄は人並に成人するが、十八歳から先は、なんぼ年をとっても、いつも十八の姿や」 これは、甘露で育てるわけですから、当然の事です。 増野鼓雪先生が、厳密な理としての表現よりも、文学的な表現であると言うことに留意しても、十八の姿でずっといられると言うのが、理としての甘露の持つ意味をきちんと示しています。 「乳や乳母で育てるのではない」という言葉ですが、これは、「生母の乳」や「乳母の乳」で育てるのではないと、理解されます。 「いわゆる母乳」で育てるのではないと言う事です。 当然のことで、十八になっても十八の姿のままであるとするならば、その女性は授乳と言う行為そのものとどういう関係になるのか。 そこで、「甘露」という言葉の意味が、良く見えてきます。 実に、甘い、露の事です。 神の与えと言うものは、人間の都合に合致した「甘い露」である。 それが基本です。 「十八の姿でおいてやるかわりに、こういう労苦を背負いなさい」では、十八の精神でいられないし、労苦と言うものが、老いを生みます。 つまり、おやさまの教えはもともと、人間に「甘い露」を与えたいと言う前提で、「たすけたい」である。 それが、深く実感されないと、甘露の神意は見えてこないと言うことになります。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/745
746: 基本。 [] 2018/11/29(木) 22:04:11.15 ID:kF884116 【よう苦労して来た】逸話篇114 泉田籐吉は、ある時、十三峠で、三人の追剥に出会うた。その時、頭にひらめいたのは、かねてからお仕込み頂いているかしもの・かりものの理であった。 それで、言われるままに、羽織も着物も皆脱いで、財布までその上に載せて、大地に正座して、「どうぞ、お持ちかえり下さい。」と言って、頭を上げると、三人の追剥は、影も形もない。 余りの素直さに、薄気味悪くなって、一物も取らずに行き過ぎてしもうたのであった。そこで、泉田は、又、着物を着て、おぢばへ到着し、教祖にお目通りすると、教祖は、 「よう苦労して来た。内々折り合うたから、あしきはらひのさづけを渡す。受け取れ。」 と、仰せになって、結構なさづけの理をお渡し下された。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 追いはぎですから、 > 「心根の腐った出来が悪い人」 > 「畜生以下の人間」 と、みなされても仕方が無いと思うのですが、おやさまは違う。 「うちうち折り合った」との理をお諭しになっている。 つまり、一列兄弟という当たり前の世界においては、そういう人に対して、礼節を尽くしてものを与えるという事を望まれている。 それが、おやさまの、お心そのものということです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/746
747: 神も仏も名無しさん [] 2018/11/30(金) 00:03:14.77 ID:7gD3EOB/ あと349日 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/747
748: 基本。 [] 2018/11/30(金) 00:38:37.38 ID:VLgy8sTC 「ほしい人に貰ってもらえばなお結構」という、逸話も有ります。 普通のものの考え方と、ちょっと違うのは、「ほしい人」と言われたのは、この場合、追いはぎではなく、泥棒さんでした。 そしたら、欲しい人というものにみんなあげてしまうことが、おやさまのお望みという事になります。 そこで、立場を変えてみれば、欲しくても手に入らないものがある事に気がつきます。 つまり、あげたくてもあげれないものがあるとわかります。 たとえばそれは、おたすけの名人泉田先生の効能ある「おさづけの理」。 それは、欲しくても貰えるものではない。 そういうものがあります。 「命」、命を貰って延命すると望んでも、それは貰えません。 「健康」、その人の健康を自分に欲しいと願っても、手に入れられません。 「若さ」、「美しさ」、「才能」、・・ 欲しいから、欲しい人が何でも貰ってよいとしても、貰うに貰えないものがあるということです。 おたすけにんなら、人さん助けさせていただく理。 欲しいと望んでも、盗むことも出来ない。 天よりの与えとは、実は、人に分けてあげたくても、どうぞと差し上げるわけにいかない。 この、本質的な違いです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/748
749: 基本。 [] 2018/11/30(金) 00:41:05.99 ID:VLgy8sTC 良いのか、悪いのか、判りませんが・・(笑) お筆先三号には、このような理が知らされてあります。 このよふは にぎわしくらしいるけれど もとを知りたるものハないので 三号92 普通の天理教徒さんが言われていますところの、 > 金で買えるものとかは、与えてしまえるもの。 それは、賑わしい暮らしそのものの、アイテムと見てよいでしょう。 衣服も家も、自動車も、幸福な生活のアイテムは、おいはぎや、泥棒から見たら、手に入れたいもの。 自分が幸福になるためには、賑わしさ、つまり繁栄こそ必要なわけで、 「物質文明」と呼ばれるその物質は、実は、欲しい人には貰ってもらえるもの。差し上げられるものなのです。 でも、 このよふは にぎわしくらしいるけれど もとを知りたるものハないので 三号92 と、教えられた、理の世界がそこにあると言うこと、それが、「甘露」について知るためには、一番に大切なことでしょう。 「元を知り足るものは無い」ので、・・立教も、甘露もすべては、それが原因なのです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/749
750: 基本。 [] 2018/11/30(金) 00:44:03.54 ID:VLgy8sTC このよふは にぎわしくらしいるけれど もとを知りたるものハないので 三号92 このもとをくハしくきいたことならば やまいのおこる事は ないのに 三号93 甘露が、寿命薬とか、食事なしで済むとか、色々に言われます。 病まない、死なない、弱らない。そのシンボルが、「甘露」です。 賑わしい暮らしをしていても、病は起きる。 この元を知ったら、病は、起きない。 こういう風に、読めてしまう、お筆先でした。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/750
751: 基本。 [] 2018/11/30(金) 00:47:03.81 ID:VLgy8sTC おやさまご存命の時代に、おやさまの所にたすけを求めて大勢の人が来ています。 それは、ご利益を求めてでありました。 山名系教理で説くところの「人間完成の道」を求めてのものではなかった。 人間が、成人したら、人間が完成したら、たすけてやろうと言うおやさまではありませんでした。 おやさまは、「ほこりを払うよう」にと、言われています。 この元を詳しく知りた事ならば 病の起こる事は無いのに 三号94 何もかも知らずに暮らすこの子供 神の目にはいぢらしき事 三号95 神の目には、いじらしいのであって、「この未熟者め」ではないということ、「甘露」という教理の大前提に、なっていて、 それが判らぬと、神様がわからないという事になってしまうことでしょう。 元を知ったらと言う、その元とは、おやさま・天理王命さまの元の事。 その場合には、元の理を知るという言葉にて、私たちは語りがちですが、親の心を「神の利益」として知る事が、神様を見るということになるのですから、 知識として元を知るのではなく、「ご守護・不思議」として神を知ることが、「願う心のまことに見えてくる利益としての神信心」になることなのです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/751
752: 基本。 [] 2018/11/30(金) 00:50:14.74 ID:VLgy8sTC 心得違いを正してから、甘露ではなく、先ず甘露。 それがおやさまのお心だから、おいはぎさんにも、泥棒さんにも、貰ってもらえばなお結構と、教えられています。 そうですよね。 この元の基本は、一列兄弟の「をや」がいる。です。 そして、おやは「ご利益」を下さる。 これが神様なのです。 おやから、頂くと言う事に熱心である方が、 お筆先の教えにそっていると、それが人間であると言う基本です。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/752
753: 基本。 [] 2018/11/30(金) 00:53:05.07 ID:VLgy8sTC >おやさまの示されたのは「助け」であり「救け」ではないと、基本的にはそうりかいされます。 どちらでそう理解されているのかお教えいただきたい 具体的な著作物等、参照 お筆先の三号に、 「この話、悟りばかりであるほどに これ悟りたら証拠ためしや」とあります。 この話というのは、おやさまの教えのことですが、直接的には、前のお筆先に知らされてあります。 「柱さい しいかりいれた事ならば この世確かにおさまりがつく」 三号13 「この話 悟りばかりであるほどに これ悟りたら証拠ためしや」 三号14 つまり、「この世を治めるこの話とは、悟りばかりの話であるという事ですから、悟るのは「人間」です。 人間が悟り、証拠ためしをする。 それに対して「たすける」のが神であるという事は、「この世を治める・たすけ」とは、人間が悟って行うことに対してという範囲で理解するなら、 「助力」と言うことですから、「助け」です。 「救済」という「救け」というのは、人間が成し遂げるべきことであり、それに対しての「神の助け」です。 親神様のこの世の救済は、神様の仕事ですから、神様自身の問題。 それはなにも、親神様が親神様に、話しをする必要も無いものです。 親神様が人間に「この話」をするのは、人間に対してのお話ですから、容器暮らしをする人間への、神からの助け、という事になります。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/753
754: 基本。 [] 2018/11/30(金) 00:56:03.50 ID:VLgy8sTC 「このたびは たすけ一条教えるも これも無い事はじめかけるで」 三号17 たすけるのは親神様です。 それだけを見つめますと「救済」と言う意味に感じ取れます。 「救済」→「救け済み」。つまり、済んでしまったとか、済ませてしまうという意味を含んでいます。 「泥海の中より守護を教えかけ それがだんだん盛んにるぞや」 三号16 「このたびは たすけ一条教えるも これも無い事はじめかけるで」 三号17 親神様が人間にたすけ一条を教えると言う行為は、「救済」でしょうか。 元にさかのぼって、親神様が泥海の中から教えかけたのは、「だんだん盛んになった」というのは、「救済」でしょうか。 元始まりにて、教えかけたのは「助け」であり、「救済」ではない。 これは、理解できると思います。 「神の助力で」「だんだん盛んになった人間」と言う意味です。 すると、 「このたびは たすけ一条教えるも これも無い事はじめかけるで」 三号17 と、「も」「も」と、なっていて、 「このたびは たすけ一条教えるガ」ではない。 「これハ 無い事はじめかけるで」ではない。 泥海からの元始まりと、天理教の立教の元始まりも、 同じ「元の理」ですから、 つまり、「救済」という意味での「救け」ではなく、「助け」と、私は理解する。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/754
755: 基本。 [] 2018/11/30(金) 00:59:05.85 ID:VLgy8sTC りやく=神、でなく、りやく=神の存在を納得させるもの、神の一面 という理解でよろしいでしょうか おやさまは、「神は理である」と教えられています。 これは、教理の基本です。 そして、おやさまは「りやく」と語られているわけです。 聞いた、神官守屋は「利益」と聞いた。 そして、高弟たちは「利益」と伝承した。 おやさまは「ごりやく」と語られていないから、「りやく」という言葉だったとして伝承されています。 「ごりやく」ならば、「ご利益」と感じをあてられます。 「理は神である」 そしたら「りやく」が神の姿というのですから、「理やく」と文字をあてた方が、理が通ります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 元の理には、「上から突くにより、つき様」とか、こう言うおやさまの語呂の用い方が、なされています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ すると、「ごりやく」ではなく、「りやく」なのですから、 「理・やく」、「理役」と、このように、漢字を当てる事も出来ます。 それは、親神様はお一人であるのに、十の柱に、「道具の役」として、分けて教えられた「こふき話」にならえば、 「神様のご守護の理・神様の役」が、「理役」、つまり「りやくだと、そういう基本に到達します。 すると、 > りやく=神、でなく、りやく=神の存在を納得させるもの、神の一面 と、言う理解も、それに当てはまりますが、 このりやくは、何の神様の何のご守護と、そういう「理」の役割、機能を見ることで、神が見えるのだと、そういう意味に、なります。 ・・・・・・・・・・・・・ 曖昧な物ではなく、十全の守護の理の何々と、理を役割として分けて、「りやく」が見える。 そしたら、「神様」の姿として、納得できるわけです。 「ご利益」とは「神の理の益」とは、「何々の守護の理の益」と、わかることで、髪の姿が見えるという事に、基本的には理解します。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/755
756: 基本。 [] 2018/11/30(金) 01:02:01.95 ID:VLgy8sTC 原典に参照しますと、お筆先二号に、「よろづたすけの模様」について、 きちんと親神様は、理を知らされています。 「世界中 どこが悪しきや 痛みしょ 神の道教せ 手引き知らすに」 二号22 「この世に 病と言うて 無いほどに 身の内障り 皆思案せよ」 二号23 病魔というのは、神からの「みちおせ」「てびき」「しらす」に。 それを、 あると信じて、願うまことに、見えてくる「りやく」が神のすがた。 こういう、基本を示しているお筆先です。 直近の実例ですが、ある方が末期のがんの方に、病の理をおさとしした。 それで、持ち返した。 それから、熱心に信心をしていたら、再度悪くなった。 そこで、質問させて頂いたのは、 「おやさまは「ひとことまでで皆たすけるで」と、教えられています。 最初の、「身の障り」について、何をお諭ししたのですか」 「○○の理の病であったので、○○すると心定めでした。」 「それから跡に、信仰的によさそうな事、させたでしょう」 「そうでした」 「それは、だめです。おやさまは、一言までて皆たすけるでと、教えです。」 「そうでした」 「最初の、身の知らせ、一言、ひとつの事だけです。」 神様の殻の、身の知らせ、たった一つの事だけで、その理でお助けする。 そしたら、神の理が、助ける側も助かる側も、きちんと分かる。 ごちゃごちゃと、よさそうなことを色々させると、肝心の神の「理」の役割が燃えなくなります。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/756
757: 基本。 [] 2018/11/30(金) 01:06:54.31 ID:VLgy8sTC > 昭和33年に初版の、深谷忠政著「教理研究 元の理」が発行されている。 元の理は、かみの「りやく」=姿を知るための基本ですが、 それが、教団教義では歪んで解かれています。 > そのはしがきには、このように記されている。 頁1、「天理教教典が出た時、"第三章元の理が無ければ、未信者にそのまま読んで貰っても、まとまっていて大変匂いがけに都合が良いのですが、あれがある為に、一般の人にそのまま教典をお渡しするわけにいかなくなる"という声を何度か聞いたことがあった。」 「現在でも同様の思いをしておられる方が多いのではないかと思う。」 「元の理は新しい別席のお話台本にも出てくるし、これを表に出す以上、何等か解明の手がかりがあたえられなければならぬと考えたものの、それは極めて困難なことであることを自覚せぬわけではない。」 ・・・・・・・・・・・・・・ 教団インテリは、病と理との基本を諭さないで、「つとめの人衆」の魂の因縁論を語ることで、ごまかしたということですが、 第三章元の理が、布教の基本、よろづ助けの模様であるのです。 元の理。 それは、甘露は、絶えずに降りているという、おやさまのお優しさへの、安心です。 やまと言葉と言うものは、もともとは「やまとの国」の言葉。 つまり、関西弁です。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 大和言葉(やまとことば)あるいは和語(わご)は日本語の語種(単語の出自)の一つであり、漢語・外来語に対して元々日本で使われてきた固有語のことである。 「やまとことば」は「倭詞」や「和詞」と表記することもあり、「やまとことのは」ともいう。漢字の訓読みは漢字の意味に対応する大和言葉である。 お筆先は「和歌」です。「和語」(やまとことば)で書かれています。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/757
758: 基本。 [] 2018/11/30(金) 01:10:26.19 ID:VLgy8sTC > 其の頃御教祖は、信仰の進んだ者には、扇の伺いと云うのを御許しになって居りました。 この、↑増野鼓雪先生の解説は、すべてが天理の事実と一致するとはならないわけです。 三十年も苦労したという結果に渡しているのではない、元冶元年ころ入信したての人に渡してしまわれているのですから、 「渡す時期というものは、本人が求めたら」という事での時期も有るということです。 渡し方にもさまざまあり、おさづけの例で言えば、「小児」に渡した史実もある。 「信仰の進んだものには」という解説は、とても危険な解説だったということに、やがて、なります。 > 聞く所に依りますと扇の伺いを貰われた或方が、天気の好い日に足駄(※2)をはいて、雨傘を持ってお地場へ来られる。 > すると近村の人々が大変笑ったが、帰られる時には丁度雨が降って来て、雨傘と足駄が間に合うようになる。 それを見て近村の人は不思議がったと云う話が、今でも残って居るのであります。 この史実で判るのは、「天気予報代わりに扇の伺いをしていた・怪しげな信仰者が居た」という、事実です。 「扇の伺いというものは、そういうことのためにあるのでしょうか。 笑い話ではない、現実があるということです。 けれど、視点を変えてみますと、「雨降るか降らないか」が事前にわかるというのは、便利なものです。 入る前に、そのお店は美味なのか不味いのか判るということも、便利なものです。 私など、ずいぶんそれで、当たりのお店にて外食しましたから、とても、批判する立場に離れないのですが、「左善右悪」の理の、身の知らせで、その程度は出来てしまう。 「扇の伺い」とは、そんな、天気予報を当てたり、うまい店を当てたりに、使うものでしょうか。 本来は、そうではないが、成人の過程というものでは、まず先に、「扇」を渡すと言う意味が、そこにあるということです。 だから、「甘露」はいつも、降っているという事に、相違ありません。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/758
759: 基本。 [age] 2018/11/30(金) 01:13:59.06 ID:VLgy8sTC 増野鼓雪先生の資料から、ですが、 http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kunitokoomotari2tu1tugatennori/comment/20090926/1253972842#comment 聞く所に依りますと扇の伺いを貰われた或方が、天気の好い日に足駄(※2)をはいて、雨傘を持ってお地場へ来られる。すると近村の人々が大変笑ったが、 帰られる時には丁度雨が降って来て、雨傘と足駄が間に合うようになる。それを見て近村の人は不思議がったと云う話が、今でも残って居るのであります。 此の点から考えますると、信仰とは病気を助けて貰うとか、安心を得るとか云うのが最終の目的ではなく、 神意の悟得(※3)が其の目的でなければならん様になって来ます。即ち安心や病気の助かるのは、 此の神意の悟得が出来たら、なんでもなく出来る筈であります。此の点に於て、本教の信仰の目的は明らかなものだと云えるのであります。 御本席も始め此の扇の伺いを教祖から頂かれたのであります。そしてその扇の伺いを使われた事で今日まで語り伝えられて居るのは、 勤場所を建築される時、教祖が御本席に蔵へ這入(はい)って伺えと仰せになった。其の時御本席が蔵の中で扇で伺われると、 我知らず蔵の中をかけ廻られた。そして其の事を御教祖に申し上げられたら、教祖は、それは蔵を取り払えと云う事やと仰せになった。 それで蔵を取り払うて勤場所を建てられたと云うのであって、これが御本席の扇の伺いを立てられた始めであるようであります。 ・・・・・・・・・・・・・ 御神楽歌六下り目を、解説されてのものですが、信仰の目的は「病をせぬことと、死なない事と弱らないこと、 美人で居ることと若くあること」だと、基本は、そうだと思います。 それには、「神意」を分かる事ではなく、「元の理」をわかることが大切です。 >>1 神意が分かる事を、信仰の目的にして、美味な店をわかる事に教理を用いるとしたら、 本末転倒ですが、それすらも分からないようでは、世界の普請は出来ないという意味で、 「扇」を持たせてくださって、理の活用を経験、悪用をせずに成人していくことで、「効能」が見えるというのは、原典に知らされた所です。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/759
760: 基本。 [] 2018/11/30(金) 01:16:13.47 ID:VLgy8sTC 御本席も始め此の扇の伺いを教祖から頂かれたのであります。 そしてその扇の伺いを使われた事で今日まで語り伝えられて居るのは、 勤場所を建築される時、教祖が御本席に蔵へ這入(はい)って伺えと仰せになった。 其の時御本席が蔵の中で扇で伺われると、我知らず蔵の中をかけ廻られた。 そして其の事を御教祖に申し上げられたら、教祖は、それは蔵を取り払えと云う事やと仰せになった。 それで蔵を取り払うて勤場所を建てられたと云うのであって、これが御本席の扇の伺いを立てられた始めであるようであります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 普通の天理教徒さん。 話の核心は、鼓雪先生が伝えている所の、この引用部分にあります。 本席様は、扇の伺いを「教祖の御命で」伺っています。 本席様は、扇の伺いの結果について、「教祖に」伺っています。 扇のさづけを頂かれていても、それを自分で解釈したり、自分勝手に用いているのではない。 その、「元の理」。「をやという理」に効能という理が有るということです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/760
761: 基本。 [] 2018/11/30(金) 01:20:06.73 ID:VLgy8sTC 「扇」を持つと言うことは、普通の天理教徒さんの立場で言えば、おさづけの理を頂くということだと、あなたが言われていますよね。 そしたら、おさづけというものは何に使うかといえば、病助けですから、「たすけ一条」の道具ですから、おたすけに用いるもの。 おやさまのお言葉ですが、二つの内容を含んでいますよね。 ひとつは、これです。 「世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい。」 もうひとつは、これです。 「道は、辛抱と苦労やで。」 「世界の事は何も心にかけない」「世界の事は何も知らない」なんて、とても簡単なことですよね。 政治のことも経済のことも、何も心にかけなくていいのですから、まさに、ノー天気そのもの。 それに対して、「道は苦労と辛抱やで」これはどういう意味かといえば、重荷だという感じです。 さて、この、二つは、どのように二つ一つなのかという問題です。 じつに、この二つは、一つなのです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/761
762: 基本。 [age] 2018/11/30(金) 01:23:04.16 ID:VLgy8sTC > おやさまのお言葉には、 > 「あんたは、これからおたすけを一条に勤めるのやで。世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい。道は、辛抱と苦労やで。」 > と、お聞かせ下された。 つまり、「たすけ一条」をつとめる道としては、「苦労と辛抱」で、難儀不自由したり、人から悪く言われたりして、「成人」していくということですよ。 そして、「世界の事は何も知らなくても、心にかけなくても、皆世界の胸の内が映るようになっていく、そういうことが、その成人の過程が、 道を通るものの、当然の苦労です。 そうじゃないんですか。 そうでしょ、基本さん。 と、言いたいのを、じっと辛抱している。 そうですね。普通の天理教徒さん。 お察しのとおりです。 >>1 「道は辛抱と苦労やで」と言うのは、これから「成人していく」と言う苦労ではない。 おたすけの効能の理を頂いてしまった者の、「成人してからの」道の、苦労ということ、辛抱ということではないかと、 うすうす感づかれているのでしょう。 「あんたは、これからおたすけを一条に勤めるのやで。」 おやさまから、お助け人として、成人免許を与えられたという、そういうお言葉です。 そして、 「世界の事は何も心にかけず、世界の事は何知らいでもよい」 だって、この人には、それだけの「理」が許されている。 そしたら、「道は、辛抱と苦労やで。」 とは、成人を目指すものではないと、冷静に思案したら、わかる事です。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/762
763: 基本。 [] 2018/11/30(金) 01:28:38.78 ID:VLgy8sTC -‐´:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ''ー, /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: >⌒ヽ /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::! / 弋__ノ /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: / ./::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ハ /'⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ⌒ヽ . ゝ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ヽノハ /: : : : : : /: : : :./: : : : : : : : : : : : : : : : : : ハ /: : : : : :./: : : : :i: : : : : :ヽ: : : : : :!: : : : : : : :', / : : : : : .!: : : : :.!: : : : : : :ハ: : : : :|: : : : ヽ: : :.! /!: : : :!: :./i/ ハ:/|: : : :!: :/ V:!: :.!: :| ハ: : \:| / |: !: : :!: :|斗r―ヤ!ハ: :.!.十 ‐┼<.|: ハ : \ト:.> |: !: : ハV xそzト ヽ!/ xそzト、V |ハ: : : \| ヽ|\N 〈 {ん::::} {ん:::::} 〉 |: :|个 、:_> ダイエーさんが「最後の意地」を見せているようだわ。 |: :ハ _v少 _v少 |: :|し ノ: :|! |:|: ハ :::::::::::: ' :::::::::::::: |: :|/Y: :|ハ |:|: :ハ |: :|:::::::}: :|ハ ♪『Wonderful Christmas』(ダイエーオリジナルクリスマ スソング) /:.|: : 込 v― つ . イ:.!: :!:::::::>‐┴、 〈:::::|: :.|::::::> 、 イ::::::::::|: :|/´:::::::::::::::::| https://www.youtube.com/watch?v=vMc-55oxpmI |ヽ|: :.|:::::::\:::::::>ー‐ 彡':::::::::::::::!: ハ::::::___:} http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/763
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