[過去ログ] 奥多摩で少年たちに虐待を繰り返していた韓国人の自称住職。実は僧侶資格のない無職犯罪者。★2 (813レス)
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781: 基本。 [age] 2018/11/30(金)07:23 ID:VLgy8sTC(34/66) AAS
おやさまのお言葉を信じるのなら、素直に信じる事。
信じないけれど、信じられないけれど、何とか信じた形を作ろうとする。
それは、「美名と嘘」のブレンド。
「一日を一年」と読んだのは、「理」を利用した態度。
しかし、おやさまを疑ってしまいつつ、お言葉を行おうとする。
その不自然さが、「小始末」。
大きな始末が出来ない、人間心のあざなさというものでしょう。
親神の言う事がうそなら、それは親神ではない。
インチキ神。
それにしても、国家権力相手に、「神」と「上」の力比べだと、
省13
782: 基本。 2018/11/30(金)07:27 ID:VLgy8sTC(35/66) AAS
実は、今まで気が付かないでいたのですが、それは、
お筆先三号の1、の文字表記の事でした。
お筆先十三号も第一首の一のおうたは、
「4月28日九どきより
一けふまでわなにかしんぱいしたなれど
あすにちからわ をふくハんのみち 」 十三号1
と、こうあります。
今まで気が付きもしなかった「一けふ」という表記に、「アッ」と、「けふ」では無く「一けふ」だと、
と、言う事は、・・・
省15
783: 基本。 2018/11/30(金)07:34 ID:VLgy8sTC(36/66) AAS
基本的な数理を、整理してみます。
4月28日九どき
この数字ですが、
3625 は、(3×6)+(2×5) で、28年の基本数理で実数で数えました。
その実例にならいますと、
(4×2)+(8×9) 80年の基本数理が、一つ考えられます。
1877年6月〜 1年目
1956年6月〜 80年目 稿本天理教教祖伝 公刊。
おやさまのお歳で申しますと、明治10年は八十才です。
お誕生日は、4月18日です。このお筆先は 4月28日です。
省6
784: 基本。 2018/11/30(金)07:38 ID:VLgy8sTC(37/66) AAS
元を本部から数えると言う基本もあります。
本部からの4年は、「教祖存命についてのおさしづ」
この時、それがちゃんと理解され、実行されていたら、「昼」であった。
だが、高慢因縁に、「教祖存命」、それを教団幹部自ら否定してゆく「夜」。
本部からの32年は、
本部1年目は1888年4月〜
本部4・28の32年目は1919年4月〜 財団法人天理教会本部となる
本部からの41年は、本部1年目は1888年4月〜
そして、4・28・9の41年目は1928年4月〜 昭和3年おふでさき公刊・おふでさき講習会。
222の五は、2月22日で、立教五つの理。
省8
785: 基本。 2018/11/30(金)07:41 ID:VLgy8sTC(38/66) AAS
説き流しの時代には、そばの人々は、神様の言葉を聞き取りもしなかった。聞いても忘れてしまった。
当然ながら、大きな意味での「昼」には、ならなかった。
そして、実の箱時代の中の、2である、「おふでさき執筆時代」になって、
「九が無くなる刻限」を迎えた、それがお筆先13号執筆の「刻限」だったということで、
「四月二十八日」という、月日で、四の数理は「四つよんなか」「ようき棟梁」・・
八の数理は「八方に開く」「山の中」「屋敷は神の・・」・・。
そこで、おやさまの年齢八十歳の誕生日は「四月十八日」でこれが、一段。
二段目にあたる「四月二十八日」という、月日にて、「よんなか」・40年の一区切りの刻限を、お知らせ下された。
この、四・28の数理は、4+28は、32年で、お筆先執筆開始の数理でした。
786: 基本。 2018/11/30(金)07:45 ID:VLgy8sTC(39/66) AAS
改訂版天理教辞典の「夜昼の理」には、次のお言葉が引用されて、解説があります。
「二十六日は夜に出て昼に治まりた理。」29/2/9。
・・・・・・・・・
解説では、夜に出てとは「立教」の事で、昼におさまりたとは「扉を開いた」事だと言います。
おやさまのご誕生は、6月2日五つ時、つまり、222 2の五つ。
昼の理にて思案すれば、おやさまのご誕生そのものが、すでに「昼」であったと、明白です。
おやさまは、ここまでも数理に厳然として、お生まれになられた。
そして、数理に厳然として、お筆先を知らされた。
子供可愛い一条のおやさまの「陽気」に、「昼の理」は満ち溢れていると言うことです。
787: 本当にあった怖い名無し [kage] 2018/11/30(金)07:49 ID:VLgy8sTC(40/66) AA×
788: 基本。 2018/11/30(金)07:53 ID:VLgy8sTC(41/66) AA×
789: 基本。 2018/11/30(金)07:58 ID:VLgy8sTC(42/66) AAS
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、及び国家神道の信徒諸君、一神教は都合の悪い事実を隠し、歴史を捏造する悪い癖がある。
(注.薩長開宗の「国家神道」はその開宗目的からしてもキリスト教らと全く同質の「和製一神教」です)
宗教を支配・統治に利用するという為には、一神教は利用しやすい。
因縁的に言うなら、モーゼのマジック、エジプトの神官のテクニックそのものが人心を惑わすものでありました。
過ぎ越し祭りの、起源そのものの手法、そこには「つくり策」という、おやさまのお嫌いなものが、混じりこんでいます。
おやさまが、日清戦争・日露戦争の予言を書かれたのは、お筆先第四号でした。
777 74の数理にて、何年後の数理を示されていますが、そのことは、情報操作という「五月五日」の出来事に深くかかわっているわけです。
「夜」「昼」の理が、わからなくなってしまう。
そこには、高山の情報操作があり、軍国主義の背景があるということです。
省4
790: 基本。 2018/11/30(金)08:02 ID:VLgy8sTC(43/66) AAS
>「明治二十七年七月二十六日 朝」
> 日清間事件に付朝鮮国へ人夫五百人本部より出す願
> ここにも、『事情はふでさきに写してある。今の間にも見えると伝えて、どうでも是非々々残念を現われにゃならん。』と、
日清戦争の事情は、おふでさきの予言の実現である事が知らされています。
> 『幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。』
> 『五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。』
> ここに示されているのは、おふでさきに五月五日と知らされたものは、今の事情なのだよという、明確な内容です。
>
先ず、おふでさき六号に知らされた「五分五分として成人した」、
これが、明治27年の事情を、あらかじめ知らしていたことは、お分かり頂けたと思います。
省9
791: 基本。 2018/11/30(金)08:08 ID:VLgy8sTC(44/66) AAS
おやさまは、「この夜」を「昼」に、陽気なものに立て替えるために、「昼の理」の数理、刻限に誕生され、立教された。
それは、お釈迦様の悟り、イエス様の愛として、それまでにも教えてきたものであったが、
宗教組織は、政治権力そのものとなり人を支配する「高山・谷底」の統治術を駆使する側にまわり、
お釈迦様やイエス様の教えすら、統治のマジックに利用されている。
日本の「天皇」を一神教にみたてた、政治制度も、その例に他なく、日清、日露へと国民は誘導され、
それが「夜」なのだということは、第二次大戦の敗戦まで、国民は自覚できなかった。
現在も、「おかけ゜」信仰は、続いていて、お払いさんが降ると言う、「夜」の理は、はびこっている。
忘れてはならないのは、おやさまは、この世に「昼」の理をお知らせに来たということです。
792: 基本。 2018/11/30(金)08:13 ID:VLgy8sTC(45/66) AA×
793: 基本。 2018/11/30(金)08:18 ID:VLgy8sTC(46/66) AAS
> 明治二十三年八月十二日 午後八時 > 本席御身上願
『なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。』
なかなかと言うのは、ひながた時代では「秀司先生・小寒様」を示します。
中には、と訳しますと、ひながたでは「何時にこうであって」と思っているものがいる。
そういう意味になります。
『なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。』
でも、中にはという中にも、「なかなか」の者という深い意味があります。
そういう刻限・数理の思案をしてきた者が、いたということ、示されているわけです。
それは、二代真柱様のように、「なかなか」いない限られた人たちであったと受け取るのが、基本です。
『歌のように思て居ては、ばったりより仕方が無いで。』
省4
794: 基本。 2018/11/30(金)08:24 ID:VLgy8sTC(47/66) AAS
> 『さあ/\尋ね出る。どんな事聞かしても分からん。』
> 『前々一寸さしづ、さあ夜と昼と、夜昼、夜は判っきり分からん。』
お言葉に「赤衣は赤衣につれられ、黒衣は黒衣につれられ」とあります。
おやさまの教えというのは、赤衣。
しかし、それに黒い衣装を着せろと命じたのは「高山」です。
法律に応じる道として応法の道は、実は本席の時代。
つまり、「黒衣に連れられ」と言うのは、天理教会の細道の時代。
これも、別の予言があることは、2ちゃん天理スレに投稿してあります。
この時代は「神が世上の道理を通す、通させる」と、通させた時代。
その認識で、受け止めなくてはなりません。
省3
795: 基本。 [age] 2018/11/30(金)09:03 ID:VLgy8sTC(48/66) AA×
>>1
796: 基本。 2018/11/30(金)14:08 ID:VLgy8sTC(49/66) AA×
797: 基本。 2018/11/30(金)14:10 ID:VLgy8sTC(50/66) AAS
つまり、明治22年11月2日の午後九時と言うのは、
五つ時とは午後七時から午後九時までですから、つまり、
22 2(1+1) 2 の五つ時。
2222の五つに、
それは、陰暦の十月十日に、知らされた「重大な」お知らせでした。
史実としては、復元。三十年、三十年の予言で、教えの復元の予言は実現しています。
でも、それは、人類の「宗教」の因縁として自覚されるべきだと思います。
798: 基本。 2018/11/30(金)14:13 ID:VLgy8sTC(51/66) AAS
『ミュトスに対して、ロゴスはある。
「空想」に対して「理性」があり、「物語る言葉」に対して「論証する言葉」があるのである。』
・・・・・・・・・・・
つまり、聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、
「理」があるという、意味になる。
ヨハネ伝の聖書の文言そのものが「先ず理ありき」と約されても、意味として正しく、
そして、イエス様は、天にては、父なる神の右手に、いぬいの方向に位置していると言うことも、イエス様そのものから、語られている。
まさに、先ず始めに「ロゴス」あり。となる。
「神は理である、理は神である。」
「あると信じて願う誠に、見えてくる利益が神の姿である。」
省2
799: 基本。 [age] 2018/11/30(金)14:16 ID:VLgy8sTC(52/66) AAS
>>1
> 《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》
> 創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。
> 言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在する
> 聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、
「理」があるという、意味になる。
これは、「先ず始めに言葉ありき」の、間違いでした。
先ず始めに言葉がある。
その言葉とは「ロゴス」であり、それは、物語ではなく「理」であること、
お筆先が、まさに、「この世は理で責めたる世界」だと、示している通り。
省6
800: 2018/11/30(金)14:21 ID:VLgy8sTC(53/66) AA×
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