[過去ログ] 奥多摩で少年たちに虐待を繰り返していた韓国人の自称住職。実は僧侶資格のない無職犯罪者。★2 (813レス)
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810: 基本。 2018/11/30(金)14:53 ID:VLgy8sTC(63/66) AAS
AA省
811: 基本。 2018/11/30(金)14:55 ID:VLgy8sTC(64/66) AAS
正月二十六日は、「今からたすけするのやで」という刻限でした。
二月二十六日は、真柱様と本席さまの神一条の開始でもありました。

明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午前四時
真之亮代理伺
幾重の話聞く。大工というて知ったは神一条、仕事場は神一条、北は鍛冶屋南は大工で、神一条。
さあ/\尋ねる処事情知らす。
又々心で知らし置く。
どうでも皆その日来るなら、働きも十貫目渡るもあり、二十貫目渡す者も皆心次第。
これ心尽せし程、目札を付けて渡す。さあ/\付けるとも。刻限事情を知らす。
大勢ではざわ付く。誰が筆執れは言わん。
省10
812: 基本。 2018/11/30(金)14:59 ID:VLgy8sTC(65/66) AAS
AA省
813: 基本。 2018/11/30(金)19:35 ID:VLgy8sTC(66/66) AAS
おやさまの、「昇天(死)」の日は二十六日であるという事は、存命中から、知られている事でした。
そして、明治二十年の正月二十六日でした。
おやさまは、予言どおりに、その「二十六日」と言う日に、お体つめたくなりました。
それは、本席と真柱の神一条の開始の二十六日、二月の二十六日への一段という「だんだんの道」を、到来させるものでした。

しかし、本席おさしづの時代は、応法の道であり、その応法の道は、
人間の自分勝手な道そのものとして、世界一列をたすけたいという道ではなく、
天理教団の内内さえ順調ならよいという「教団組織エゴ」の横暴がはびこり、おやさまの教えそのものを歪曲化し、
政治権力と迎合しての「とふぢん」のままにする「から」に、陥っていたという事です。

親神様は、教団幹部の願いが「わが身の内内の幸福」にしか無いと、見抜かれていて、第二段に相当する「二月の二十六日」に、
「組み換え」を宣言されています。
省15
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