[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践16 (1002レス)
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(1): 桃太郎 2019/04/15(月)09:38 ID:t5OpN6dn(2/3) AAS
>>371

清々しい程に究極の自己中だね。(笑
ここまで徹底していると、呆れるの次元を超えているというか..。

>解脱の境地は「なすべきことをなし終えた」状態であるから、他者、社会をどうにかしなきゃいけないという思いはもう無い。

でしょー。(笑

だったら、「泳げないのに溺れた人は助けられますか?」と言う主張は偽善じゃないですか。
「泳げるようになっても、助ける気はない」という訳ですから。

>だから仏道修行をするような人は、社会活動、ボランティア活動、布教活動に時間を取られて、自分の実践がおろそかになってはいけない。

うーん。どーして、それが大いなる間違いだと何故気付かないのかな。
本当に困ったちゃん達ばかりだね。(笑

実際問題、あなたは出家して仏道修行しているの?
やってないでしょ。それを単なる観念論というのです。

人は一人では生きられない。「縁起」を理解すれば分かることです。
私達は多くの人々に支えられて自分の存在がある事を忘れてはならない。
その恩を報じて行く事は仏法者としての使命です。この世の不幸に目をつぶり、無関心の姿勢でいることは仏法者の在り方ではありません。
仏教では不知恩は地獄の業因と説かれてある。

そもそも輪廻解脱の考えそのものが、小乗教の大いなる間違いなのです。
生命は永遠であり、必ず次の世に自身の業に因って生を結ぶのです。

そして、小乗教はこの世を穢れた世界として忌み嫌うのですが、
この世界を穢れた苦悩の世界にするか、常楽我浄の世界にするかはそこに住む人間の生命境涯によって変わってくるのです。
それを「依正不二」と言うのです。

こうした泥水のような苦悩の世界で仏道修行に励み、法を広め、人々の中に仏種をまき、
生命尊厳の仏法を基調とした社会をつくるという闘争のなかで、自身の生命に内在する仏の生命を輝かせて行くことが出来るのです。
そのことを法華経は説いているのです。「如蓮華在水」という意味はそういうことなんです。
だからこそ、この世の不幸や人々の苦しみから目を逸らしてはならないのです。

この娑婆世界以外に安穏の別世界が存在する訳ではないのです。
当然、極楽浄土なんて架空の世界も存在しません。
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