[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践17 (1002レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
108: 2019/06/28(金)17:39 ID:Lyaq+M7E(6/6) AAS
テラワダ教は詭弁に始まり詭弁に終わる。

そこに釈尊の教えを汲み取れない小乗仏教の限界がある。

素直に在家の布施なしでは生きていけませんとは言えないのだろうか。
109: 2019/06/28(金)17:43 ID:bvPK7P97(1/2) AAS
詭弁だとして、それに納得して布施、寄付をする人がいる
それが宗教というものだろう
110: 2019/06/28(金)17:45 ID:bvPK7P97(2/2) AAS
人間自力で生きてると思いこんでいるから何もかも辛くなる
そして昼間からネットで入り浸って宗教など都合の良さそうな敵を探して
叩いて自分を慰めてるのだろう
111: 2019/06/28(金)18:33 ID:eiWTmVol(3/16) AAS
息巻いてる彼は、龍樹も自力と断罪しそうだな・・w
112: 2019/06/28(金)18:38 ID:eiWTmVol(4/16) AAS
>>107
うん。
だから、 『君が使っている「自力」「他力」』で言うならば、
世界中のどこにも、そんな仏教は存在しない。
いかなる仏教も、『君が使っている「自力」』によって成立している。
何も上座部に限ったことじゃない。
禅宗も、一般には自力と思われているが、『君が使っている「自力」』ではないよ。
君の基準で行けば、中国唐宋の時代の禅宗も、所詮他力だよ。
113: 2019/06/28(金)18:39 ID:eiWTmVol(5/16) AAS
あ、コピペミス。

× >いかなる仏教も、『君が使っている「自力」』によって成立している。

○ >いかなる仏教も、『君が使っている「他力」』によって成立している。
114: 2019/06/28(金)18:53 ID:enhCoPeb(1) AAS
実際出家して、テーラワーダの戒律守って朝から晩まで瞑想してってかなり大変だと思うよ。
師匠もついてて、サボるどころの話ではないでしょう。

東南アジアで、残り物の残飯托鉢でもらって食べて、ひたすら修行ってかなり
ハードコアだと思うけど?
115: 2019/06/28(金)18:57 ID:F62ZLDB/(1) AAS
そだね、他力が何時現れるか?の違い
上座部 煩悩を滅し切った時のみ
大乗  煩悩があっても何時でも

なんだけど、大乗で本当に他力がわかったと思える人はやはり少ないわけで
だからこそ、世俗的な「他人の力」みたいな意味しか知らないということが起きる
これは大乗の怠慢だね
116: 2019/06/28(金)19:03 ID:1eWn6d+X(1) AAS
なんでもやる気と機会があれば
ためしにやってみればいいじゃん
自分にとってどんな難しさがあるか
やってみないとわからんからね
117
(1): 2019/06/28(金)19:32 ID:T7go4KzG(4/24) AAS
屁理屈は要りません。
そういうお坊さんと僧伽の面倒を見てくれる人がいる風土、文化の上で成り立っているのが仏教特に畑仕事などの作務がないテーラワーダなのです。
面倒を見てもらえるのをあてにしての出家ですから他力本願(弥陀の本願の意味ではなく俗語で使う他力本願)な思想であるわけです。

試しにそういう風土がない日本で同じことやってみようとしてもほぼ無理でしょう。
食に関して他力本願が通用する国でしかテーラワーダの形態はありえないのです。

また釈迦の時代の雨季の安吾を除き基本樹下や岩窟で瞑想していたのと比べると、
現在の僧侶は立派に整備された寺院で瞑想等の修行をしているのでキツさも大幅に緩和されていることでしょう。
その証拠にテーラワーダの瞑想合宿に参加した人でキツかったなんて感想を言う人はほとんどいません。
せいぜい最初の方は組んでた足が痛かっただの瞑想中雑念が浮かんでそれに追われると時間が長く感じて大変だったという程度の厳しさであるようです。
何度も参加している人もいるくらいで案外瞑想体験は上記程度の厳しさはあっても楽しいようです。
118
(1): 2019/06/28(金)19:36 ID:eiWTmVol(6/16) AAS
>>117
現代日本仏教の現状を知ってて言ってるなら、
お花畑さんとしか言いようがないwwwwwwwwwwwwww
119
(2): 2019/06/28(金)20:16 ID:T7go4KzG(5/24) AAS
>>118
ほう、現在日本仏教の僧侶というのは相当楽しているみたいですな。結構なご身分であられるようだ。
120
(1): 2019/06/28(金)20:29 ID:U3BASTI6(5/19) AAS
>>105
輪廻における再生の因のこと?
お釈迦さまが菩提樹の下でお悟りを開かれた後、般涅槃される
までのことはどう解釈してるの?
あと、自我と真我を区別できてないね。
121: 2019/06/28(金)20:29 ID:U3BASTI6(6/19) AAS
>>103
>自分でも何言ってんだか分らないくせに。

わかりますよ。
思考が自我なので、思考が止まれば自我は消えるからね。
例えば >>92 の「俺が悟りを開いたら救ってやる」などとというのは、
自我を実体視しているからこそ出てくる発想だし、これじゃあ悟りや解脱
というものがあること自体を疑っていて、信じてさえいない段階でしょう。

あるいは、悟りはあるかもしれないけど、自分にはできないと信じている。
従って、他者もできないだろうと信じている状態かな。

言い方を換えると、自分が信じる方便のみが正しいと信じ、他の方便について
省3
122
(2): 2019/06/28(金)20:29 ID:U3BASTI6(7/19) AAS
>>100
>そんな功徳などあるのかないのか分からないにもかかわらず。

あなた自身は今ここで、まだ分からない段階です、ってことを告白
しましたけど、お釈迦さまは分かってて言っておられると思うよ。

業と業果について、特に輪廻をまたぐ因果律については人智を超えて
いるので、考えて言ってるわけじゃないのね。
経典の中にある不可思議な話は、瞑想によって洞察された、観測事実
に基づいて言われている。
それは瞑想を進めていけば、自分自身で追い追い確認していける。

お釈迦さまの教えの通りに素直にやるつもりさえあれば、誰でもできる
省1
123
(1): 2019/06/28(金)20:33 ID:U3BASTI6(8/19) AAS
あのね。
悟ってない人が、悟った人(お釈迦さまのことね)の話を、自分の主観で解釈して
正しく解釈できるわけないでしょ。

素直に聞けば、文字通り、言葉通り、そのまんま答えを言っておられると思いますよ。
お釈迦さまは。
最初からね。
124: 2019/06/28(金)20:42 ID:T7go4KzG(6/24) AAS
>>120
再生の因も生存の素因もとどのつまりは煩悩だよ。
釈迦も正覚を得て解脱した後は聖者の面倒を見てくれる在家信者の他力で生きてたよ。
ただ釈迦の場合は在家にも法を説いていたからその部分では日本の価値観に照らし合わせても教職者としての食い扶持を得ていたとは言えるけどね。

真我つまりアートマンがあってもなくても人間は食わなければ腹が減るでしょ。
まさかヨガの聖者みたいにプラーナという霞みたいなのを食って生きてく訳にもいくまいし。
腹が減ってるのが五蘊や四大が和合した仮我とか言われるもので、その中の識が自我でしょ(これも人によって定義は様々で受想行識が自我とする人もいると思うけど、大体はそんな感じでしょ)。
125
(1): 2019/06/28(金)20:44 ID:T7go4KzG(7/24) AAS
>>122
瞑想で見えたからとか言ってしまうと何でもありになるから議論にならないよ。
126: 2019/06/28(金)20:46 ID:T7go4KzG(8/24) AAS
>>123
>あのね。
>悟ってない人が、悟った人(お釈迦さまのことね)の話を、自分の主観で解釈して
>正しく解釈できるわけないでしょ。

まんま自分のことじゃないすか。
>>122に書いてあるようなことは悟ってから言いましょうよ。
127
(1): 2019/06/28(金)20:52 ID:eiWTmVol(7/16) AAS
>>119
今頃何言ってんだよwww

日本仏教ほど、
 「楽で」 「本筋から外れて」 「世俗の価値基準に準拠している」 仏教は、
仏誕以来2500有余年、世界中どこを探しても存在しねーよw
1-
あと 875 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.009s