[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践17 (1002レス)
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702: 2019/08/15(木)11:42 ID:Fs2XT/6k(7/12) AAS
D第五は

前者が理論的(小乗)であったのに対し、後者は実践的(大乗)であった、としています。

釈迦の開いた仏教というものは、理論や学問として出発したのではない。

当時の思想界にあって、釈迦はバラモン階級が理論のための理論、学問のための学問になりさがっでいたのを批判して、
それを超克するために民衆のなかに入っていった。

ところがアビダルマ仏教は、釈迦が批判したバラモン階級と同じように理論的になり、民衆教化の実践活動を忘れてしまった。

そこで当然、初期大乗教徒は、仏教をもう一度、現実主義で生きいきした釈尊の時代の本来の精神に立ち戻らせようとしたにちがいない。
むろん彼らは、理論的な傾向の強いアビダルマ仏教を批判する意味で実践を重視したけれども、決して理論を軽視したわけではない。
彼らの理論は、あくまで実践と結びついた生きた理論であって、それはバラモン教徒や小乗教徒との間の論争によってとぎすまされ、
教義的にも大乗は部派教団を凌駕してしまった。理論と実践を車の両輪にして進んだわけだ。そこに注目しなければならない。

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E第六は、

アビダルマ仏教が出家的・専門的である(専門化、出家仏教)にもかかわらず、小乗的・世俗的な低い立場であったのに対し、
初期大乗仏教は在家的・大衆的である(一般化、在家仏教)にかかわらず、その境地は第一義的な高い立場であった、という点です。

小乗部派仏教には出家者と在家信者との差別観が根底にある。
宮本正尊博士なども「部派仏教は分別差別観に傾き、階級的・アリアン婆羅門的・北印度的である」といっている。
すなわち小乗教徒は、専門的な出家僧侶によってしか理解できない教義の研究に没頭して、仏教を閉じた宗教にしてしまった。
それに対し大乗教徒は、出家と在家の区別を認めず、仏教を一般化して広く開かれた宗教とした。そこに根本的な違いがあるとみたい。
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