[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 (1002レス)
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(3): 2021/05/18(火)23:14 ID:at5v9Kgf(1) AAS
 問う。「四念住とは、これをよく習得したならば道〈聖果〉を得るものである」というのであれば、何故に三十七品〈三十七菩提分法〉が説かれているのか。もし汝が「(仏陀の教説すべてを)略説すれば四念住となるのであって、広説したならば三十七品となるのである」と主張するのであれば、それは誤りである。なんとなれば、もし広説ということをいうのであれば無量となるべきであるから。

 答う。「四念住とは、これをよく習得したならば道を得るものである」といっても、また同時に四正勤等の諸法が説かれていなければならなかったのである。なんとなれば、衆生の心は種種不同であって、その結使〈煩悩〉もまた種種であり、(衆生がそれぞれ)理解・習得しようとする教えもまた様々であるためである。
 もとより仏法とは一実一相である。とはいえ、(仏陀は)衆生のために十二部経・八万四千の法門において、それぞれ分別説を作されたのである。もし、そのようでなかったとしたならば、初転法輪において説かれた四聖諦のみで事足りたのであり、それ以降も他に説かれることなど無かったであろう。
 衆生は苦を厭い、楽に執着するものであるから、そのような衆生のために四聖諦を説かれ、「身心等の諸法はすべて苦であって楽のあることはない。この苦の因縁は割愛等の諸々の煩悩に由るのである。この苦が盡くされた処を涅槃といい、涅槃に至る方便を道というのである」とされたのである。
 衆生は多念・乱心・顛倒しているから、この身・受・心・法において様々に執着して邪行を作している。そのような人というものの為に、四念住が説かれたのである。

龍樹菩薩『大智度論』巻第十九 初品第三十一(T25. P198a)
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