[過去ログ] 阿含宗という宗教 327 (1002レス)
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132: 2022/01/27(木)17:50 ID:dELDZGEx(2/3) AAS
仏陀、キリストは実在しない(全ての宗教は創作)
外部リンク:6622.teacup.com

イエスは、実在しない。
イエスは、アポロニウスの模写。
外部リンク[html]:tocana.jp
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133: 2022/01/27(木)17:55 ID:dELDZGEx(3/3) AAS
ブッダは実在しない
外部リンク:www.kinokuniya.co.jp

釈迦誕生からその後の仏教の変遷をたどると、ブッダは実在の人物ではなく創り出された一つの観念だった。
その観念から、人物としてのブッダが生み出されていった道筋を読み解いた日本初の画期的な「ブッダ伝」。
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134: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/01/27(木)20:05 ID:wlxmlgHi(1/6) AAS
>>124神も仏も名無しさん2022/01/27(木) 12:26:58.98ID:TrIwSvZl
>深山さんは『輪廻転生瞑想法?』を読んでいないようですね。
>多分本自体を持っていないのでしょう。

>481 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/03/04(金) 12:32:41.81 ID:bRDfBXa2
>「これを修行するならば、「須陀オン自り阿那含に至りて五下分結
>を断ず」と同経に記されている。」
>(『輪廻転生瞑想法?』335ページ、2012年)

この六年前の481は私が宝生センセに付けたレスで、ごらんのように、
『輪廻転生瞑想法?』の文章そのものを引用している。
この私が、この本を読んでいないし、持ってもいないとペテン大作さんは皮肉を並べた。
省9
135: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/01/27(木)20:17 ID:wlxmlgHi(2/6) AAS
「この経典の題名をよく見るとよい。
「安那般那経」ではない。
「安那般那念経」なのである。
「念」は「意念」をいっているのである。」
(『輪廻転生瞑想法?』平河出版社、103頁、2013年)
「この経典の題名を
よく見るとよい。「安那般那経」ではない。「安那般那念経」なのである。「念」は「意念」を
いっているのである。」
(『阿含仏教超能力の秘密』322頁、1996年)

両者はまったく同じ文章ですから、桐山さんは1996年の本の文章を
省17
136
(1): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/01/27(木)20:28 ID:wlxmlgHi(3/6) AAS
「意念はかたちなきものであり、物理的なカは、ないことはないけれども、非常
に微弱なものである。強化する必要がある。それも、ただ単に行らすだけではな
く、最終的には、チャクラを「動かす」「刺激する」ところまで強力なものにし
なければならぬのである。」
(『輪廻転生瞑想法?』平河出版社、104頁)

桐山さんは、これが安那般那念経の「念」であると説明しています。
桐山さんのいう念は物理的な力であり、チャクラを刺激すると述べています。
ペテン大作さんは新しいことのように思い込んでいるが、
桐山さんが前から述べている内容で、代表的な説明が三十七道品の
五力の一つ「念」についての説明です。
省13
137: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/01/27(木)20:39 ID:wlxmlgHi(4/6) AAS
*桐山念力は安那般那念経にはない

信者さんたちに見てほしいのは、桐山さんの説明の阿含経の根拠です。
>>136の桐山さんの念力の説が、安那般那念経のどこにあるのか?
『輪廻転生瞑想法?』の87頁以降に原文が引用されていますから、読んでください。
安那般那念経には、桐山さんのいう「念力」の説明はありません。
安那般那の念を修習しなさいとあるだけで、桐山さんの念力に
相当する話は一言も出てこない。
つまり、桐山さんは経典の念を念力だと勝手な解釈をしているだけで、
なんら経典に書いていないのです。
これは呼吸法も同じことであることを前に指摘しました。
省6
138: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/01/27(木)20:51 ID:wlxmlgHi(5/6) AAS
*仏教の「念」とは念力ではない

ペテン大作さんなど三人組以外の信者さんたちに仏教の「念」を学んでほしい。
念は、仏道修行の根幹である八正道でも「正念」として出てくるくらいですから、
修行上、とても重要な内容です。
ペテン大作さんの大好きな望月仏教辞典も引用しましょう。

「念・・心に思うこと、いつも心に思うこと」(岩波仏教辞典、649頁)
「念・・即ち心をして所縁の事を記憶し、忘失せしめざる精神作用を云う。」(望月仏教辞典、4154頁)

両者とも同じ内容で、しかも簡単な内容です。
仏教の念とは、煩悩に囚われないという教えを、いつも思い続け、
一瞬もそのことから離れることなく、集中し続けることです。
省5
139: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/01/27(木)21:02 ID:wlxmlgHi(6/6) AAS
*説かれたことは説かれたままに、説かれないことは説かれないままに受け取る

信者さんたちは「学者はしょせん学者であって、桐山ゲイカは
成仏法を体得した上で解説しているのだ」と言いたいのはわかる。
だが、その主張には重要な人物が一人抜けていることに気が付いてほしい。
釈尊がどう説いたかです。
仏教とは、勝手な解釈の桐山教ではなく、釈尊が説いた教法です。
釈尊はすべて言葉で伝えたから、阿含経がすべてであり、
「説かれたことは説かれたままに、説かれないことは説かれないままに受け取る」
これが大原則です。
桐山さんの念力説は、阿含経のどこにもない。
省5
140: 2022/01/27(木)21:24 ID:yysp9/HH(1/2) AAS
〜人類の歴史は2031年で終わり〜

31年 キリスト死亡

↓ 2000年 ←テスト期間

2031年 人類滅亡(人類は不合格)

人類は2000年間に及ぶテストで不合格になりました。
木村秋則と松原照子が宇宙人(神)が2031年に人類を滅ぼすと言ってる。

アメリカ、ロシア、中国の対立は芝居。
アメリカ、西側、ロシア、中国は共同で宇宙人と戦おうとしている(勝てる見込みは無い)…世界はこのように動いてる。
省7
141: 2022/01/27(木)21:25 ID:yysp9/HH(2/2) AAS
人類の歴史はあと9年ぐらいです
142
(1): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/27(木)23:32 ID:RI2CoYlE(1/4) AAS
安那般那念経は「安那・般那=出息・入息の要するに呼吸」に対して、念(気づき)を得る、常に心を傾けるお経です。
念は気づきと表現されることも多く要するにそこに心を置くということですから。
そして出す息、吸う息の呼吸も特別な呼吸をしなさいなんてことは書いていないのです。
これは経典を読めばわかる。
長く息を吐いている時は長く息を吐いていると知覚し、短く息を吐いているときは短く息を吐いていると知覚する。
これは長く息を吐け短く息を吐けということではありません。
またと呼吸をしながら何か別の意念、念力を凝らしなさいってな話でもない。
呼吸をしている時は呼吸をしていると感じるありのままに感じるだけです。
その時その時の呼吸に心を傾けてありのままにそれを知覚せよと言っているのです。
だからこれは四念処の身念処に当たります。
省19
143: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/27(木)23:37 ID:RI2CoYlE(2/4) AAS
だからねぇ、そういう知識を持った上で阿含宗のやっているあさっての方向を向いたピント外れな取り組みを見ると、
なんか笑っちゃうんだよね。その気持ち分かるでしょ?
144: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/27(木)23:47 ID:RI2CoYlE(3/4) AAS
で、こういう自分自身に対する徹底的な観察があるからこそ、自分に沸き起こる煩悩に対してもしっかり観察ができて、
これを調節して克服することが可能なんだよ。
だからこの辺はちゃんとした一連の論理に成り立っているでしょ。
145: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/27(木)23:56 ID:RI2CoYlE(4/4) AAS
瞑想のお時間だけでなく日常生活の四六時中においてね。
深い禅定を行うだけでは煩悩はなかなか離れません。
普段の日常生活の中で意識して煩悩と対峙しているというのが大切なんです。
146: 桐山靖雄 2022/01/28(金)01:25 ID:7VoQPy80(1/5) AAS
>>142 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/27(木) 23:32:36.96 ID:RI2CoYlE
> これはスマナサーラさんのところだけでなくスリランカやミャンマーなどに行って日本に帰ってきて
> ヴィパッサナー瞑想を教えているところでも全く同じです。
> 阿含宗だけがこれをやっていません。
> それは桐山さんがこれを知らなかったからなんでしょうね。

それこそ「輪廻転生瞑想法II」などでは、この経について「世間では数息観の経だとされている」といった
説明にとどまってけなしていたわけですから、桐山さんはヴィパッサナー瞑想を知らないか、知っていたとしても
わざと黙殺していたのでしょう。数を数えるというのもあるけど体の変化(息を吸っている/吐いている etc...)に
心を傾け観察するというのが本来の趣旨なのに、桐山さんは超能力開発の話にすり替えてしまったわけです。

>>113 あぼーん NG NG 他
省1
147: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/28(金)07:38 ID:9J0HXA2Y(1/2) AAS
安那般那念(アーナパーナ・サティ)は数息観と訳されることもありますね。
そういう一面も持ちます。
呼吸に心を向けて集中するわけです。
Wikipediaではこのように解説されてます。

安那般那念は、狭義には文字通り、入出息(呼吸)を意識する(あるいは、呼吸を数える)ことで、意識を鎮静・集中させる止行(サマタ)の一種、ないしは導入的な一段階を意味するが、広義には、そこから身体の観察へと移行していき、四念処に相当する観行(ヴィパッサナー)の領域も含む。

つまり数息観は狭義での捉え方です。広義にはヴィパッサナーになるわけです。

サティ(念)についてもこのように解説されています。

ānāpāna(アーナーパーナ)とは、āna(アーナ)とapāna(アパーナ)の合成語であり、āna(アーナ)は入息を、apāna(アパーナ)は出息を意味する。
また、sati(サティ)やsmṛti(スムリティ)は、念(意識していること)を意味する。
省2
148
(2): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/28(金)07:43 ID:9J0HXA2Y(2/2) AAS
桐山さんは止(サマタ)の面しかわからず、観(ヴィパッサナー)の面が理解できなかったのでしょう。
この観察はあくまでもありのままですからね。
輪廻転生瞑想法とかパール瞑想とか阿含宗で作った瞑想は密教の観法の域を少しも出られず、
ありのままではなく、想像であり空想ですからね。
無理矢理そう思っているだけです。
149: 桐山靖雄 2022/01/28(金)09:55 ID:7VoQPy80(2/5) AAS
>>148 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/28(金) 07:43:05.42 ID:9J0HXA2Y
> 桐山さんは止(サマタ)の面しかわからず、観(ヴィパッサナー)の面が理解できなかったのでしょう。

桐山さんがヴィパッサナーを理解していなかった、少なくとも最晩年の著書でもスルーしていた
というのは、阿含宗の教義上重大な意味を持ちます。

会員のみなさんが毎日「念処正勤如意足根力覚道」と読み上げる「七科三十七道品」のうち、
桐山さんは「念処」すなわち「四念処」を理解していなかった。あるいは理解していてもスルーしていた
ということになるからです。

「英語を習得するためには、学び実践しないとだめなんだ。『オン・イングリッシュ・ソワカ』とか
真言唱えても意味がないんだ」

などと桐山さんは伝統仏教を批判していたが、同じ批判が桐山さん自身に当てはまります。
省1
150
(1): 桐山靖雄 2022/01/28(金)10:06 ID:7VoQPy80(3/5) AAS
>>148 ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/28(金) 07:43:05.42 ID:9J0HXA2Y
> 桐山さんは止(サマタ)の面しかわからず、観(ヴィパッサナー)の面が理解できなかったのでしょう。

桐山さんがヴィパッサナーを実践していたとしたら、E川さんと会っているときにも

「わたしは愛人を囲っている」
「わたしは愛人を平河町のマンションに住まわせている」
「わたしは『C景がいないとさびちい』と思っている」

と自身を観察し、行為の意味を観察し、貪欲と憂いを除かなければいけないんですが、
そんなことは一切行わず、結果的に裁判に訴えられ、大恥をかき、阿含宗は打撃を受けたというわけです。
151
(1): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/01/28(金)12:41 ID:E2zO1Ya9(1) AAS
>>150
よく題材にあげられた話ですが、おばちゃん信者に対しての「つまみ出せ、この馬鹿!」もそうですね。
四念処で四六時中の自己観察、自己省察ができていたら、あんな態度はとれないはずです。
このおばさんの物言いに不遜な態度があるなと見てとって、それを指導するにしても、
あんな声を裏返しての烈火の怒りはない。
あれは完全に怒りに覆われたのです。
仏教では相手のことよりもまず自分自身なんですから。
それ以前に四念処が自己観察であること自体知らなかったでしょうねw
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