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阿含宗という宗教 327 (1002レス)
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深山 ◆lDoupiXSYZNC
2022/02/01(火)22:04
ID:s9Je1E+F(1/4)
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232: 深山 ◆lDoupiXSYZNC [] 2022/02/01(火) 22:04:11.58 ID:s9Je1E+F 「この教団の教えとはご先祖供養であり、因縁という目に見えないところから 障ってくるものを解決するという教えである」 (『宗教を現代に問う2』毎日新聞、1976年、165ページ) 「天井や床などに埋め込まれたスピーカーから 「釈尊讃歌」(石原慎太郎・作詞、黛敏郎・作曲)が流れ出す」(173ページ) 「釈迦殿完成に際しての「釈尊讃歌」は石原氏の作詞だし、夜間修養会では月に 一度レギュラー講師として参加。会の主要な式典にはほとんど欠かさず出席し・・・」(189-190ページ) 信者さんたちは上記を読んで、一瞬、阿含宗の話かと勘違いしませんでしたか。 でも、釈迦殿、釈尊賛歌、修養会など、聞きなれない言葉が出てきた。 これは霊友会の話で、しかも阿含宗よりも前の話です。 何よりも驚くのは、 「釈尊讃歌」(石原慎太郎・作詞、黛敏郎・作曲) という一文です。 つまり、石原氏と黛氏は右翼思想だけでなく、信仰でも仲が良かったらしい。 二人とも新興宗教が好きだったらしい。 これを見れば、阿含宗に黛氏を紹介したのが誰か、明らかです。 石原氏は票田として霊友会を利用したことは前から指摘されています。 しかし「レギュラー講師として参加。会の主要な式典にはほとんど欠かさず出席し」 という一文を見れば、単なる票田ではなく、彼自身が講師をするほどの熱心な 信者だったのがわかります。 その石原氏が阿含宗、というよりも、慈恵会時代に桐山さんと懇意になった。 当然、阿含宗を全面的に応援していたと信者さんたちは信じている。 だが、石原氏が阿含宗で講師になったとか、式典に欠かさず出席したなど聞いたことがない。 もっと奇妙なのは、ユビキタスさんも指摘している彼の著作です。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1642650336/232
この教団の教えとはご先祖供養であり因縁という目に見えないところから 障ってくるものを解決するという教えである 宗教を現代に問う2毎日新聞年ページ 天井や床などに埋め込まれたスピーカーから 釈尊讃歌石原慎太郎作詞黛敏郎作曲が流れ出すページ 釈迦殿完成に際しての釈尊讃歌は石原氏の作詞だし夜間修養会では月に 一度レギュラー講師として参加会の主要な式典にはほとんど欠かさず出席しページ 信者さんたちは上記を読んで一瞬阿含宗の話かと勘違いしませんでしたか でも釈迦殿釈尊賛歌修養会など聞きなれない言葉が出てきた これは霊友会の話でしかも阿含宗よりも前の話です 何よりも驚くのは 釈尊讃歌石原慎太郎作詞黛敏郎作曲 という一文です つまり石原氏と黛氏は右翼思想だけでなく信仰でも仲が良かったらしい 二人とも新興宗教が好きだったらしい これを見れば阿含宗に黛氏を紹介したのが誰か明らかです 石原氏は票田として霊友会を利用したことは前から指摘されています しかしレギュラー講師として参加会の主要な式典にはほとんど欠かさず出席し という一文を見れば単なる票田ではなく彼自身が講師をするほどの熱心な 信者だったのがわかります その石原氏が阿含宗というよりも慈恵会時代に桐山さんと懇意になった 当然阿含宗を全面的に応援していたと信者さんたちは信じている だが石原氏が阿含宗で講師になったとか式典に欠かさず出席したなど聞いたことがない もっと奇妙なのはユビキタスさんも指摘している彼の著作です
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