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阿含宗という宗教 328 (1002レス)
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609
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深山 ◆lDoupiXSYZNC
2022/05/12(木)23:37
ID:VZHVYHqg(5/6)
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609: 深山 ◆lDoupiXSYZNC [sage] 2022/05/12(木) 23:37:15 ID:VZHVYHqg 「漏尽智ーあらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」 (『広説佛教語大辞典』中村元、東京書籍、1776頁) 「汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた」 (『ゴータマ・ブッダ ー釈尊の生涯ー 原始仏教1』中村元、184頁) 他の信者さんたちは、中村博士の「あらゆるけがれを滅する智」が 沙門果経の「「汚れを滅す智」から来たのがおわかりでしょう。 「煩悩(汚れ)を滅する智」を漏尽智で煩悩を切るとペテン大作さんは短絡した。 沙門果経を読んでいながら、矛盾に気が付かないのが驚異的です。 先に申し上げたように、「汚れなく」(>>602)とあるのだから、 煩悩(汚れ)がない、つまり、すでに解脱しているのです。 解脱した時に、「煩悩(汚れ)を滅する智」に心を向けたというのだから、 漏尽智とは解脱した後の智慧です。 煩悩はすでに切られているのだから、「煩悩(汚れ)を滅する智」が 煩悩を切るという意味でないことは当たり前です。 上記の経典の後に四諦の説明が出てきます。 つまり「煩悩を滅する智」とは四諦(苦集滅道)のことです。 すべては苦であり、その元は煩悩だから、煩悩を断ち切れば苦がなくなり、 煩悩を断ち切る方法とは八正道であるという、あの四諦です。 四諦は仏教のすべて、解脱のすべてですから、確かに「煩悩を滅する智」です。 苦とその元を断ち切ることを知性で説明し、四諦の中の「道」である八正道で 煩悩を断ち切るのだから、確かに「煩悩(汚れ)を滅する智」です。 沙門果経の流れでは、「汚れなく」(>>602)となって解脱した後、 「煩悩を滅する智」である四諦を再度すべておさらいしている。 このように「煩悩を滅する智」とは、煩悩を断ち切るという意味ではなく、 四諦で解脱を確認することです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1647056496/609
漏尽智ーあらゆるけがれを滅する智阿羅漢に属する 広説教語大辞典中村元東京書籍頁 汚れを滅す智漏尽智に心を向けた ゴータマブッダ ー釈尊の生涯ー 原始仏教1中村元頁 他の信者さんたちは中村博士のあらゆるけがれを滅する智が 沙門果経の汚れを滅す智から来たのがおわかりでしょう 煩悩汚れを滅する智を漏尽智で煩悩を切るとペテン大作さんは短絡した 沙門果経を読んでいながら矛盾に気が付かないのが驚異的です 先に申し上げたように汚れなくとあるのだから 煩悩汚れがないつまりすでに解脱しているのです 解脱した時に煩悩汚れを滅する智に心を向けたというのだから 漏尽智とは解脱した後の智慧です 煩悩はすでに切られているのだから煩悩汚れを滅する智が 煩悩を切るという意味でないことは当たり前です 上記の経典の後に四諦の説明が出てきます つまり煩悩を滅する智とは四諦苦集滅道のことです すべては苦でありその元は煩悩だから煩悩を断ち切れば苦がなくなり 煩悩を断ち切る方法とは八正道であるというあの四諦です 四諦は仏教のすべて解脱のすべてですから確かに煩悩を滅する智です 苦とその元を断ち切ることを知性で説明し四諦の中の道である八正道で 煩悩を断ち切るのだから確かに煩悩汚れを滅する智です 沙門果経の流れでは汚れなくとなって解脱した後 煩悩を滅する智である四諦を再度すべておさらいしている このように煩悩を滅する智とは煩悩を断ち切るという意味ではなく 四諦で解脱を確認することです
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