[過去ログ] 阿含宗という宗教 328 (1002レス)
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642(1): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/15(日)23:12 ID:f7wcLzS1(7/7) AAS
「かれは、もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し、向けます。かれは、
『これは苦である』と、あるがままに知ります。
『これは苦の生起である』と、あるがままに知ります。・・・」
(『原始仏教』片山一良、No.2、1991年、67ページ)
この片山氏の訳をペテン大作さんは自分で引用した。
ごらんのように、「煩悩を滅する智」とは、それで煩悩を切るという話ではなく、
「これは苦である・・」から始まる四諦のことです。
これを見て彼は、漏尽智とは四諦だ、四諦で解脱するのだと書いた。
表現は適切ではないが、漏尽智で煩悩を切るというよりも、まだましです。
沙門果経の上記の全文を丁寧に読めば、漏尽智とは、四諦の体得を
確認することだとすぐにわかる。
釈尊が二度も漏尽智の説明をしているのだから、議論など必要がないほど明らかです。
前にも書いたように、解脱者以外は四諦を理解しても体得はしていない。
アラカンは四諦を完全に体得し、常にその体得を確認し続けるのが漏尽智です。
「心が・・・汚れなく、付髄煩悩を離れ」たのだから、すでに解脱して
アラカンになっている。
アラカンだから、四諦を体得したかどうか、一つ一つをおさらいする。
解脱したからこそ、解脱したことを確認できる。
四諦を体得して、確認することを漏尽智というのだから、
アラカンに属するのは当たり前です。
解脱した者以外が漏尽智を持つなどありえない。
四諦を体得したと確認するのはまさに「煩悩を滅する智」です。
ごらんのように、何の矛盾もありません。
一方、漏尽智で煩悩を切るというオカルト説では、どこもここも矛盾だらけになる。
他の信者さんたちはペテン大作さんが自説の罠にひっかかり、
前門の虎後門の狼状態で、身動きが取れなくなっているのがわかるでしょう。
幸い、彼は慢心と憎しみが強いから、自分の罠に自分がはまっていることがわからない。
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