[過去ログ] 阿含宗という宗教 328 (1002レス)
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655(9): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:57 ID:9sStUtaV(6/7) AAS
「『これが苦しみである』と、あるがままに洞察します。
『これが苦しみの原因である』と、あるがままに洞察します。
『これが背しみの滅尽である』と、あるがままに洞察します。
『これが苦しみの滅尽にいたる道である』と、あるがままに洞察します。
『これらが諸煩悩である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の原因である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の滅尽である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の滅尽にいたる道である』と、あるがままに洞察します。」
(『原始仏典Ⅰ長部経典Ⅰ』春秋社105ページ)
これが釈尊の説いた漏尽智です。
見てわかるように、四諦のことです。
しかも、釈尊は二回繰り返していますから、これがいかに
重要かは言うまでもありません。
四諦こそは仏教のすべて、解脱のすべて、まさに「あらゆるけがれを滅する智」です。
解脱した後に「あらゆるけがれを滅する智」である四諦を
完璧に体得しているかどうかを洞察することを漏尽智というのです。
「洞察」は「知る」と訳する学者もいますから、つまり、
「あらゆるけがれを滅する智」=「四諦を洞察する(知る)」
という意味です。
「洞察」「知る」には、解釈A「漏尽智で煩悩を切る」のような
「切る」という意味がないのは言うまでもありません。
そもそも、「よごれなく、汚れなく」ですでに煩悩を切って解脱しているのですから、
漏尽智でまた煩悩を切るなどおかしい。
釈尊の説明を聞けば十分で、解釈A「漏尽智で煩悩を切る」は間違いです。
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