[過去ログ] 【イエス】統合・修道スレ96【キリスト】 (1002レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
398
(1): カムイ ◆4zzhWyZTeatm 10/09(水)16:21 ID:+GBXWMTo(6/8) AAS
「応無所住而生其心。」この語はみんな知っている大切なお釈迦様のお言葉である。
難しそうに聞こえるこの語も、砕けば「今」「只」のこと。
みんなの[本当の心]のこと。
これを自ら證するだけである。
「隔て」がとれると常住不変がわかる。
死んで生きてが無くなり、一杯一杯である。
「今」の正体を知ればよい。
もともと「今」だから「今」はいらなくなる。
これは徹底「今」に成り切って、「今」を忘れなければ体得出来ないし、分からない言葉である。
「今」に徹すると、一瞬に今までの妄想が骨身に徹して感じる。
つまり妄想そのままが自分となり、妄想とすべきものが無くなる。
これを全身の毛穴からも呼吸をしていると云う。
丸ごてと云う意味である。
体と思う念が無くなる。
体の念が有れば体にくくられる。
体の念が無ければ自ら気にならなくなる。
「応無所住而生其心」も、[心]の様子の事。
「今」「只」のこと。
これが浄穢不ニ、自他不ニとなって本当に安心する。
「隔て」が無くなり心身一如になれば何でもない事よ。
これは良いとか悪いとか、すぐ自我を立てるから「隔て」となる。
事はここから起こる。
[心]の衝突である。
これは一つのものを立てて認めるから、二つに見たり、三つに思ったり、念が無限に広がって迷う。
これが無明よ。
比べる物がないのに、自己を立てて比べるからである。
本当に「只」を常に練っていれば良い。
そう努力していると自然に相手が気にならなくなる。
いやでも「隔て」がとれて一つに成る。
これを入我我入という。
世の中に処しながら、相手と一つに成って自在に変わっていくのを異類中行と云う。
私が無いと、天下は自分の姿に他ならない。
この境界が不動心である。
不動心は正法以外にない。
「今」「只」が正法である。
正法は「世界壊せども、この性は壊せず」とお経にある。
同時に二つのことは、考えれない。
一点のみ集中して、正体のいかなるものかを自覚するのである。
一つ事に集中し切らなければ「隔て」はとれない。
菩提心の一点張りだ。
1-
あと 604 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.009s