[過去ログ] 【東京新函館】北海道新幹線210【2016年春開業】 (560レス)
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343: 2014/05/20(火)21:59 ID:ztTP976J0(24/26) AAS
◆初代会長 牧口常三郎(まきぐちつねさぶろう)の足跡
民衆の中で、民衆の幸せを目指し行動し続けた牧口常三郎初代会長。
その初代会長が青少年期の貴重な16年を過ごし、また、教育界での縦横の活躍や、布教の先駆の活動を展開した大地・北海道。
そのロマンの地に育まれた種は、やがて凍てついた大地を割り、今では幾多の希望の花として全世界へ広がっている。
初代会長・牧口常三郎は、1871(明治4)年、現在の新潟県柏崎市荒浜で渡辺長松とイネの長男として生を受け、長七と名づけられた。
長松は船乗りだった といわれているが、賃雇いの船乗りたちの暮らしは厳しく、
長松は幼いわが子を残し、北海道へ出稼ぎに渡り、消息を断ったといわれている。
やがて母・イネは 再婚し、長七は6歳の時、長松の姉の嫁ぎ先である牧口善太夫の養子となる。
 向学心に燃えて〜北海道へ
当時荒浜では麻で編んだ漁網の生産が主な産業であったが、外国からの安価で強い綿網により、生産にもかげりが見えはじめていた。
荒浜は漁網の交易を通じ て、徳川時代、北海道で唯一の藩だった松前藩とのかかわりが深かった。
――北海道に行けば希望が開けるかもしれない。
1885(明治18)年、14歳の長七は北前船に乗って故郷を後にし、新天地・小樽に向かった。
「勉強給仕」から青年教師へ〜小樽
そのころ、港町・小樽は、北海道随一の都市だった。長七ははじめこの小樽に住み(現在の勝納町あたり)、小樽警察署給仕の職に就いた。
仕事がないときは決 まって読書をする長七を、警察官達はだれということなく「勉強給仕」と呼び、親しんだ。
1989(明治22)年、署長で小樽郡長も兼ねていた森長保は17歳になった長七に札幌の北海道尋常師範学校への入学をすすめ、推薦した。
そして牧口は見事に入学を果たし、寄宿舎(当時の札幌区北1条西3丁目、現・ 札幌市中央区)を住居とすることになる。
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