[過去ログ] 【ヤッカイドウ】北海道新幹線249【開発失敗地】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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84: 2016/11/05(土)04:33 ID:2uc1MgCr(84/90) AAS
◆北海道新幹線、予約率2割で50億赤字確実…経営危機のJR北海道、鉄道事業継続困難を示唆

外部リンク[html]:biz-journal.jp

北海道新幹線は111億円の収入に対して支出は160億円、差し引き49億円程度の赤字になると試算している。
「このような状況が続いた場合、早晩企業として事業の継続ができなくなり、
鉄道サービスを提供するという当社の使命を果たすことができなくなってしまう」と結論付けた。
85: JR北海道 倒産のおそれ 2016/11/05(土)04:33 ID:2uc1MgCr(85/90) AAS
.

   J R 北 海 道   倒 産 の お そ れ 

   
86: 2016/11/05(土)04:37 ID:2uc1MgCr(86/90) AAS
AA省
87: 2016/11/05(土)08:01 ID:7V/mSUfP(1/147) AAS
中興部駅
中興部駅
なかおこっぺ - Naka-Okoppe
◄六興 (3.4km)(3.1km) 班渓►
所在地 北海道紋別郡西興部村字中興部
北緯44度22分59秒
東経142度59分0秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 52.2km(名寄起点)
省20
88: 2016/11/05(土)08:02 ID:7V/mSUfP(2/147) AAS
歴史[>>編集]
1921年(大正10年)10月5日 - 鉄道省名寄線上興部駅 - 興部駅間延伸開通(名寄線全通)に伴い開業。一般駅。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1968年(昭和43年)12月24日 - 駅舎改築。
1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物取扱い廃止。
1978年(昭和53年)12月1日 - 荷物取扱い廃止。同時に出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置(JR化後に入場券のみ発売)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[>>編集]
省4
89: 2016/11/05(土)08:04 ID:7V/mSUfP(3/147) AAS
駅名の由来[>>編集]
当駅の所在する地名より。地名は、興部川の中流に位置したため[>>2]、「興部」に「中」を冠する。
駅周辺[>>編集]
国道239号(天北国道)[>>3]
興部川[>>3]
名士バス「中興部」停留所
駅跡[>>編集]
2000年(平成12年)時点で木造駅舎が完全な形で残存し、ホームと植え込み、構内の信号施設も残存していた[>>4]。
2010年(平成22年)時点でも同様で[>>5]、2011年(平成23年)時点では別棟のトイレの残存も確認出来た[>>6]。
ホーム側はレールは撤去されたがホーム上は現役当時の状態であった。現在は個人所有となっており、駅舎内は非公開となっている。
90: 2016/11/05(土)08:06 ID:7V/mSUfP(4/147) AAS
班渓駅
班渓駅
ぱんけ - Panke
◄中興部 (3.1km)(3.3km) 宇津►
所在地 北海道紋別郡興部町字宇津
北緯44度23分53.5秒
東経143度0分56.4秒座標: 北緯44度23分53.5秒 東経143度0分56.4秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 55.3*km(名寄起点)
省21
91: 2016/11/05(土)08:07 ID:7V/mSUfP(5/147) AAS
歴史[編集]
1948年(昭和23年)から戦後開拓者がパンケ沢(班渓川)上流に入植していたが、電気もない生活の上、1953年(昭和28年)の冷害によって離農が始まった。
1954年(昭和29年)の洞爺丸台風による風倒木搬出のため、一時期はパンケ沢上流にも林業関係者が多く出入りしていたが、それも1965年(昭和40年)頃で終わり、
この地は酪農に切り替えた僅かな農家を残してほとんど無人地帯となった[2]。
1957年(昭和32年)12月3日 - 日本国有鉄道名寄本線の班渓仮乗降場(局設定)として開業。
1987年(昭和62年)
4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に臨時駅に昇格[3]。班渓駅となる。
12月1日 - 臨時駅を改め常設駅となる[3]。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。

駅構造[編集]
省13
92: 2016/11/05(土)08:08 ID:7V/mSUfP(6/147) AAS
宇津駅
宇津駅
宇津駅舎模型(道の駅おこっぺ)
宇津駅舎模型(道の駅おこっぺ)
うつ - Utsu
◄班渓 (3.3km)(5.7km) 北興►
所在地 北海道紋別郡興部町字宇津
北緯44度25分30秒
東経143度1分39秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
省23
93: 2016/11/05(土)08:08 ID:7V/mSUfP(7/147) AAS
歴史[編集]
1921年(大正10年)10月5日 - 鉄道省名寄線上興部駅 - 興部駅間延伸開通(名寄線全通)に伴い開業。一般駅。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1978年(昭和53年)12月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。民間委託駅となる[1]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した[2]。
そのほか旧貨物線線である、名寄方から駅舎側に分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分への側線を1線有した[2]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。
省13
94: 2016/11/05(土)08:09 ID:7V/mSUfP(8/147) AAS
北興駅
北興駅
ほっこう - Hokkō
◄宇津 (5.7km)(3.5km) 興部►
所在地 北海道紋別郡興部町字北興
北緯44度26分58秒
東経143度4分58秒座標: 北緯44度26分58秒 東経143度4分58秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 64.3km(名寄起点)
省21
95: 2016/11/05(土)08:09 ID:7V/mSUfP(9/147) AAS
歴史[編集]
1957年(昭和32年)11月1日 - 日本国有鉄道名寄本線の北興仮乗降場(ほくこうかりじょうこうじょう、局設定)として開業。
時期不詳 - 駅名の読みを「ほっこう」に改称[2]。
1959年(昭和34年)11月1日 - 駅に昇格。北興駅となる。旅客のみ取扱い。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した[2]。
仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅で[2]駅舎は無いがコンクリートブロック造りの待合所を有していた[3]。ホームは名寄方にスロープを有し[2]駅施設外に連絡していた。
駅名の由来[編集]
省8
96: 2016/11/05(土)08:10 ID:7V/mSUfP(10/147) AAS
興部駅
興部駅
興部駅舎模型(道の駅おこっぺ)
興部駅舎模型(道の駅おこっぺ)
おこっぺ - Okoppe
所在地 北海道紋別郡興部町字興部
北緯44度28分8.9秒
東経143度7分0.5秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
日本国有鉄道(国鉄)
省31
97: 2016/11/05(土)08:10 ID:7V/mSUfP(11/147) AAS
乗り入れ路線[編集]
北海道旅客鉄道/日本国有鉄道
名寄本線
興浜南線(日本国有鉄道時代に廃止)
歴史[編集]
1921年(大正10年)
3月25日 - 鉄道省名寄東線中湧別駅 - 当駅間開通に伴い開業[1][2]。一般駅[2]。
10月5日 - 名寄西線上興部駅 - 当駅間延伸開通。名寄東線を名寄線に編入、それに伴い同線の駅となる[1]。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。
1935年(昭和10年)
省14
98: 2016/11/05(土)08:12 ID:7V/mSUfP(12/147) AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[5]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[5]。
1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が1番線、上屋が設置された[6]島式ホーム駅舎側が2番線、外側が3番線となっており、何れも上下共用であった。3番線の外側に側線を3線有し、そこから給水線などの行き止まりの側線も数線有した。
そのほか1番線の遠軽方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた[5]。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の北西側に位置し単式ホーム中央部分に接していた[5]。ホームの有効長は120mあった[5]。
1986年10月31日までは、名寄方面/紋別・遠軽方面とも最終は22時まであったが、翌11月1日の改正で名寄方面は20時台に繰り上がった。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「オ・ウコッ・ペ(川尻の合流点)」に由来する[5][7]。別々に流れてきた川が河口付近で合流する様を示し、
1856年(安政3年)の松浦武四郎の『西蝦夷日記』に、「昔は興部川、瑠橡(るろち)川、藻興部川の3川が合流していた。」と記されている[8]。
利用状況[編集]
省17
99: 2016/11/05(土)08:12 ID:7V/mSUfP(13/147) AAS
駅跡[編集]

道の駅おこっぺにあるルゴーサ・エクスプレスという旅行者のための簡易宿泊所[11](2015年4月)
2000年(平成12年)時点でバスターミナルを兼ねた「道の駅おこっぺ」となっている[12]。道の駅おこっぺの一角には1992年(平成4年)6月から興部町により「興部交通記念館」が開設されている[13]。
館内には当時使用していた備品、乗車券、レール、時刻表、駅舎モデル、写真パネルなどが保存・展示されている[13]。
駅舎モデルは宇津駅、当駅、沙留駅の3駅が展示されている[14]。館外の敷地にはキハ22形気動車キハ22 202、キハ22 251の2両が連結された状態で静態保存・展示され、
前者が休憩所、後者がライダーハウスとして使用されており[13]、「ルゴーサ・エクスプレス」と名付けられている[15]。
また駅構内跡地は広いため公園にも転用されており[12]、モニュメントとして[14]D51形蒸気機関車D51 365号機の動輪が保存・展示されている[13]。2010年(平成22年)時点[15]、2011年(平成23年)時点[14]でも同様であった。
また、2000年(平成12年)時点では北興駅 - 当駅間の線路跡の一部がサイクリングロードに転用されており、それを跨ぐ陸橋に「天北こ線橋」の名が残っていた。2010年(平成22年)時点[15]、2011年(平成23年)時点[14]でも同様であった。
100
(7): 2016/11/05(土)08:12 ID:7V/mSUfP(14/147) AAS
沢木駅
沢木駅
さわき - Sawaki
◄興部 (8.3km)(2.0km) 元沢木仮乗降場►
所在地 北海道紋別郡雄武町字沢木
北緯44度31分4.5秒
東経143度3分45.2秒
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜南線
キロ程 8.3km(興部起点)
省18
101
(7): 2016/11/05(土)08:13 ID:7V/mSUfP(15/147) AAS
歴史[編集]
1935年(昭和10年)9月15日 - 鉄道省興浜南線興部駅 - 雄武駅間開通に伴い開業。一般駅。
1944年(昭和19年)11月1日 - 興浜南線の不要不急線指定にともない休止。
1945年(昭和20年)12月5日 - 営業再開
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1978年(昭和53年)12月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。無人駅化。
1985年(昭和60年)7月15日 - 興浜南線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅[1]。ホームは線路の北西側(雄武方面に向かって左手側)に存在した。このほか雄武方から駅舎側に分岐する側線を1本有していた[1]。
このホームは本来島式ホームで、興浜線全通の際には列車交換可能な配線とする計画があった事が指摘されている[1]。
省14
102
(7): 2016/11/05(土)08:14 ID:7V/mSUfP(16/147) AAS
元沢木仮乗降場
元沢木仮乗降場
もとさわき - Moto-Sawaki
◄沢木 (2.0km)(3.1km) 栄丘►
所在地 北海道紋別郡雄武町字沢木
北緯44度31分40.2秒
東経143度2分50.5秒
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜南線
キロ程 10.3*km(興部起点)
省18
103
(7): 2016/11/05(土)08:14 ID:7V/mSUfP(17/147) AAS
歴史[編集]
1955年(昭和30年)12月25日 - 日本国有鉄道興浜南線の元沢木仮乗降場(局設定)として開業。
1985年(昭和60年)7月15日 - 興浜南線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
単式ホーム1面1線を有した。
駅名の由来[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
当駅の所在地近隣の地名より。
駅周辺[編集]
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