[過去ログ] 【ヤッカイドウ】北海道新幹線249【開発失敗地】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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105(7): 2016/11/05(土)08:14 ID:7V/mSUfP(19/147) AAS
栄丘駅
栄丘駅
さかえおか - Sakaeoka
◄元沢木仮乗降場 (3.1km)(2.8km) 雄武共栄仮乗降場►
所在地 北海道紋別郡雄武町字南雄武
北緯44度32分36.6秒
東経143度0分59.2秒座標: 北緯44度32分36.6秒 東経143度0分59.2秒
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜南線
キロ程 13.4km(興部起点)
省17
106(7): 2016/11/05(土)08:15 ID:7V/mSUfP(20/147) AAS
歴史[>>編集]
1948年(昭和23年)7月1日 - 運輸省興浜南線の栄丘仮乗降場(局設定)として開業。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1956年(昭和31年)9月20日 - 駅に昇格。栄丘駅となる。旅客のみ取扱い。
1985年(昭和60年)7月15日 - 興浜南線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[>>編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅[>>1]。ホームは線路の北西側(雄武方面に向かって左手側)に存在した。
無人駅となっている。駅舎は存在せず、ホーム中央部分に待合所を有していた[>>2]。
駅周辺[>>編集]
国道238号
省3
107: 2016/11/05(土)08:16 ID:7V/mSUfP(21/147) AAS
雄武共栄仮乗降場
雄武共栄仮乗降場
おむきょうえい - Omu-Kyōei
◄栄丘 (2.8km)(3.7km) 雄武►
所在地 北海道紋別郡雄武町字南雄武
北緯44度33分27秒
東経142度59分12秒
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜南線
キロ程 16.2*km(興部起点)
省19
108: 2016/11/05(土)08:16 ID:7V/mSUfP(22/147) AAS
駅構造[編集]
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単式ホーム1面1線を有した。
駅名の由来[編集]
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当駅の所在地近隣の集落名より。
駅周辺[編集]
北海道道49号美深雄武線
国道238号
雄武川 - 河口が近い[1]。
省6
109: 2016/11/05(土)08:17 ID:7V/mSUfP(23/147) AAS
雄武駅
雄武駅
駅跡に開業した道の駅おうむ
駅跡に開業した道の駅おうむ
おむ - Omu
◄雄武共栄仮乗降場 (3.7km)
所在地 北海道紋別郡雄武町字雄武
北緯44度34分59.7秒
東経142度57分35.5秒
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
省25
110(1): 2016/11/05(土)08:17 ID:7V/mSUfP(24/147) AAS
概要[編集]
雄武駅は、興部駅から北上してきた盲腸線である興浜南線の終端駅である。興浜南線が興浜線(興部駅 - 浜頓別駅)の先行開業区間として開業した経緯で、当駅は盲腸線の終端駅となった。当駅から北に向かい、
枝幸郡枝幸町の興浜北線北見枝幸駅との間の未成区間が計画され、路盤や施設などは一部が建設されていた。
しかし、社会情勢の変化に伴い、この未成区間は開通することなく、興浜南線とともに雄武駅は廃止された。本来興浜線の途中駅となる計画であったため、線路は駅からさらに数百メートル北上した地点まで伸びていた。
駅名は「おむ」と読むが、所在する雄武町は「おうむ」と読み、駅名と地名では読み方に相違があった。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、終端駅であった[1]。ホームは線路の北東側(雄武方面に向かって右手側)に存在した。このほか貨物線、留置線、給水線など[2]、
旅客用の1番線の外側に4番線までと、興部方から駅舎側に分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1本有していた[1][3]。
1番線の先には1975年(昭和50年)3月時点で専用線[3]が続いており、3番線の先には蒸気機関車時代の転車台が残っていた[1]。
線路の延長上に興浜北線北見枝幸駅までの未成線の路盤が10km以上先まで続き、駅の北側には「雄武トンネル」も完成していた[1]。
省4
111(2): 2016/11/05(土)08:18 ID:7V/mSUfP(25/147) AAS
駅周辺[編集]
国道238号・北海道道410号雄武港線
道の駅おうむ - 当駅廃駅後、駅跡に開業した。
雄武町役場
雄武町立雄武小学校
雄武町立雄武中学校
北海道雄武高等学校
雄武町国保病院
北紋バス、宗谷バス「雄武」停留所
歴史[編集]
省10
112(2): 2016/11/05(土)08:19 ID:7V/mSUfP(26/147) AAS
簡易軌道雄武線[編集]
かつて当駅から幌内川中流域の上幌内地区へ向け、簡易軌道雄武線が運行されていた[6]。計画は雄武駅 - 上幌内地区27km、開業区間は雄武駅 - 上雄武駅間12.0km。動力は内燃。栽培されていた甜菜及び森林資源の搬出が目的であった[7]。
しかしモータリゼーションにより未完成区間の工事は1953年度(昭和28年度)限りで中止となり[7][8]、開業区間も撤去された。機関車は歌登町営軌道に転用された[9]。
歴史[編集]
詳細不明とする資料もある[10]。
1950年(昭和25年) - 雄武駅 - 上幌内駅間工事着工[7]。
1953年(昭和28年)時点 - 完成済み区間である雄武駅 - 上雄武駅間が運行中[7]。
1954年(昭和29年)3月頃 - 未完成区間の工事中止[7]。
1956年(昭和31年) - 廃止[11]。
113(2): 2016/11/05(土)08:19 ID:7V/mSUfP(27/147) AAS
旭ヶ丘駅 (北海道)
旭ヶ丘駅
あさひがおか - Asahigaoka
◄興部 (1.3km)(3.9km) 豊野►
所在地 北海道紋別郡興部町字興部
北緯44度28分17秒
東経143度7分55秒座標: 北緯44度28分17秒 東経143度7分55秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 69.1*km(名寄起点)
省17
114(2): 2016/11/05(土)08:19 ID:7V/mSUfP(28/147) AAS
歴史[編集]
1956年(昭和31年)9月1日 - 日本国有鉄道の秋里仮乗降場(あきさとかりじょうこうじょう)として開業[1][2]。
1959年(昭和34年)11月1日 - 移設(興部駅から実キロ3.6km → 同1.3km)[1][3]。旭丘仮乗降場(あさひおかかりじょうこうじょう)に改称[1]。
1980年頃? - 旭ヶ丘仮乗降場に改称[1]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に駅に昇格[1]旭ヶ丘駅となる。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線廃止により廃駅となる[1]。
駅の構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。
駅周辺[編集]
北海道興部高等学校
省4
115(2): 2016/11/05(土)08:20 ID:7V/mSUfP(29/147) AAS
豊野駅 (北海道)
豊野駅
とよの - Toyono
◄旭ヶ丘 (3.9km)(4.7km) 沙留►
所在地 北海道紋別郡興部町字豊野
北緯44度27分23秒
東経143度10分30秒座標: 北緯44度27分23秒 東経143度10分30秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 73.0km(名寄起点)
省20
116(2): 2016/11/05(土)08:20 ID:7V/mSUfP(30/147) AAS
歴史[編集]
1947年(昭和22年)2月11日 - 運輸省名寄本線の豊野仮乗降場(局設定)として開業。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1950年(昭和25年)1月15日 - 駅に昇格。豊野駅となる。旅客、荷物を取扱い。
1959年(昭和34年)6月1日 - 無人化。荷物取扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した[2]。
無人駅となっており、駅舎は無いが木造の待合所を2棟有していた[2]。ホームは道路と同じ高さであった[2]。
省11
117(1): 2016/11/05(土)08:21 ID:7V/mSUfP(31/147) AAS
沙留駅
沙留駅
沙留駅(1983年頃)
沙留駅(1983年頃)
さるる - Saruru
◄豊野 (4.7km)(3.7km) 富丘►
所在地 北海道紋別郡興部町字沙留北浜町
北緯44度26分8.7秒
東経143度13分32.8秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg 北海道旅客鉄道(JR北海道)
省23
118: 2016/11/05(土)08:22 ID:7V/mSUfP(32/147) AAS
歴史[編集]
1921年(大正10年)
3月25日 - 鉄道省名寄東線中湧別駅 - 興部駅間開通に伴い開業。一般駅。
10月5日 - 名寄東線を名寄線に編入、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1978年(昭和53年)12月1日 - 貨物取扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
省6
119: 2016/11/05(土)08:22 ID:7V/mSUfP(33/147) AAS
駅周辺[編集]
国道238号(オホーツク国道)[2]
北海道道492号沙留停車場線
沙留郵便局
興部町立沙留中学校
興部町立沙留小学校
沙留海水浴場
沙留岬[2]
沙留川[2]
オムシャリ沼 - 駅から南東に約4.8km[1]。
省4
120: 2016/11/05(土)08:22 ID:7V/mSUfP(34/147) AAS
富丘駅
富丘駅
階段跡が残る(2010年8月)
階段跡が残る(2010年8月)
とみおか - Tomioka
◄沙留 (3.7km)(7.5km) 渚滑►
所在地 北海道紋別郡興部町字富丘
北緯44度24分43秒
東経143度15分1秒座標: 北緯44度24分43秒 東経143度15分1秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
省23
121: 2016/11/05(土)08:23 ID:7V/mSUfP(35/147) AAS
歴史[編集]
1956年(昭和31年)9月1日 - 日本国有鉄道名寄本線の富丘仮乗降場(局設定)として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に駅に昇格。富丘駅となる。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した[2]。
仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は無いがホームから少し離れた位置に待合所を有していた[2]。ホームは木造で名寄方に90度の角度で設置されたスロープを有し[2]駅施設外に連絡していた。
駅全体が周囲より高台の海岸段丘上に位置し、道路へ出るには防雪覆い付きの階段を下る形で連絡した[3]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。元はアイヌ語のオ=シカリ=サロル(川尻が迂回する湿地)またはオ=ム=サロル(川尻が塞がる湿地)から「思沙流」と呼ばれた段丘地帯であったが、
省1
122: 2016/11/05(土)08:23 ID:7V/mSUfP(36/147) AAS
駅周辺[編集]
国道238号(オホーツク国道)[5]
思沙留川[5]
北紋バス「富丘」停留所
駅跡[編集]
2001年(平成13年)時点では道路から駅構内への防雪覆い付きの階段のみが残存していた[3]。駅前後の線路跡は農道として再利用されている模様であった[3]。
2011年(平成23年)時点でも同様に防雪覆い付きの階段は残存しており、ホーム跡には枕木が外された形で放置され、散乱していた[6]。線路跡も確認出来た[6]。築堤上の空き地になっている。
また、旧駅附近の国道に立てられている「農業基盤整備事業」の看板には、当駅附近の名寄本線の絵が描かれていた[6]。
123: 2016/11/05(土)08:24 ID:7V/mSUfP(37/147) AAS
川向仮乗降場(かわむかいかりじょうこうじょう)が存在した(開業年月日不詳(1956年(昭和31年)11月19日には存在していた)、1966年(昭和41年)3月(日付不詳)廃止)[7]。
124: 2016/11/05(土)08:24 ID:7V/mSUfP(38/147) AAS
渚滑駅
渚滑駅
渚滑駅(1989年3月)
渚滑駅(1989年3月)
しょこつ - Shokotsu
所在地 北海道紋別市渚滑町3丁目
北緯44度22分22.2秒
東経143度19分10.2秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
日本国有鉄道(国鉄)
省31
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