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【ヤッカイドウ】北海道新幹線249【開発失敗地】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
【ヤッカイドウ】北海道新幹線249【開発失敗地】 [無断転載禁止]©2ch.net http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/
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226: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 09:34:41.48 ID:7V/mSUfP 駅構造[編集] 廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。 国鉄時代末期に完全無人化されるまでは、単式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[1]。単式1面1線を千鳥式に配置し、駅舎側から下り2番線ホーム・線路・上り1番線ホーム・線路の順の配線となっていた[1]。 互いのホームは駅舎側ホーム南側と外側ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡していた[1]。そのほか1番線の名寄方から分岐し遠軽方へ戻る形の行き止りの側線を1線有していた[1]。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた[1]。 無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホームに接していた[1]。 駅名の由来[編集] 当駅の所在する地名より。地名は、駅附近の湧別川に架橋された「開盛橋」の名に由来するとされている[2]。また原田勝正は、開拓に当たった人々の意気込みを地名に付けたものであろうと評している[1]。 旧駅名の社名淵(さなふち)は、アイヌ語の「サン・ナイ・プッ」(下る川の口)に由来する[2]。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/226
227: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 09:35:08.29 ID:7V/mSUfP 駅周辺[編集] 国道242号(置戸国道)[3] 湧別川[3] 北海道北見バス・北紋バス「開盛市街」停留所 駅跡地[編集] 駅構内は遠軽方が開盛市街地再整備で宅地や町道となり、紋別方は空き地となって防雪林が残されている。 2009年の開盛地区開基100年を前に2006年11月、開盛自治会が黒御影石製の「名寄本線開盛駅跡之碑」を建立した[4]。 遠軽方には長らく国道242号の開盛跨線橋が残り、路盤跡を転用した市街地内の町道と立体交差していたが、 北海道開発局が2012年5月から10月にかけて国道の開盛跨線橋切り下げ工事を実施したため消滅した[5]。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/227
228: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 09:35:40.46 ID:7V/mSUfP 北遠軽駅 北遠軽駅 きたえんがる - Kita-Engaru ◄開盛 (1.8km)(2.7km) 遠軽► 所在地 北海道紋別郡遠軽町字学田 北緯44度5分1.1秒 東経143度31分34.6秒座標: 北緯44度5分1.1秒 東経143度31分34.6秒 所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道) 所属路線 名寄本線 キロ程 135.4km(名寄起点) 電報略号 キエ 駅構造 地上駅 ホーム 2面2線 開業年月日 1959年(昭和34年)11月1日 廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日 備考 名寄本線廃線に伴い廃駅 テンプレートを表示 1977年の北遠軽駅と周囲約500m範囲。下が遠軽方面。遠軽側に踏切があり、この通りを挟んで上が学田三丁目、下が二丁目。ホーム横に待合室がある。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成 北遠軽駅(きたえんがるえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡遠軽町字学田にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。 電報略号はキエ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。 一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り3本上り4本(快速運転列車ほか)[1])。 目次 [非表示] 1 歴史 2 駅構造 3 駅名の由来 4 駅周辺 5 駅跡 6 隣の駅 7 脚注 8 関連項目 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/228
229: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 09:36:12.78 ID:7V/mSUfP 歴史[編集] 時期不明(1956年11月19日以前)- 日本国有鉄道名寄本線の学田仮乗降場(局設定)として開業。 1959年(昭和34年)11月1日 - 駅に昇格。同時に改称。北遠軽駅となる。旅客のみ取扱い。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。 1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。 駅構造[編集] 廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[2]。 無人駅となっており、駅舎は無いがホーム中央部分に高床式の待合所を有していた[2]。 駅名の由来[編集] 当駅の所在する地(遠軽町)の北方に位置していたために[3]、「北」を冠する。 仮乗降場時代の「学田」は、この地に最初に入植してきたキリスト教団体が、私立大学建設を目的とする北海道同志教育会を設立し、 その開拓農場を運営するに当たって入植者に農業の傍ら道徳や教育を重視するなど同教育会の主旨の理解と義務を課したことから、この開拓地を学田と名付けた事による[4]。 なお仮乗降場から駅に昇格した折は、富良野線に一足先に学田駅が出来ていたことから変更となったと思われるが詳細不明。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/229
230: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 09:36:33.20 ID:7V/mSUfP 駅周辺[編集] 国道242号(置戸国道)[5] 湧別川[5] 社名渕川[5] 北海道北見バス・北紋バス「学田3丁目」停留所 駅跡[編集] 2001年(平成13年)時点では何も残っていない[6]。2011年(平成23年)時点でも同様で、雑草が生える更地となっていた[7]。 駅跡の遠軽方には線路跡の築堤と防雪林が残存していた[7]。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/230
231: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 09:38:10.96 ID:7V/mSUfP 遠軽は石北本線にて >>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/231
232: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 09:43:45.18 ID:7V/mSUfP 名寄本線完了 次は深名線の名寄の次の駅から 目的 このスレは、類似荒らしスレを1000レスさせない状態で建て続けた銃刀法違反逮捕者を矯正する目的で埋めています http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/232
233: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 09:48:27.24 ID:7V/mSUfP ペド兄弟スレは1スレ以外矯正されている それでも新たに増やすなら、すべてを矯正してまともなスレに変えるだけ これはあらしではなく矯正作業そのもの http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/233
234: 名無し野電車区 [] 2016/11/05(土) 15:43:33.04 ID:2uc1MgCr ◆JR北海道が大赤字でも潰れない理由は国民の税金だった事が判明し批判殺到www http://nenene-news.com/?p=3423 「JR北海道」はつぶれないーそのカラクリはこれ。 「JR北海道」の赤字は、この会社が運営する「経営安定化基金」の運用益によって賄っているのです。 「経営安定化基金」の7000億円程の資金で国の下部組織の、ある独立法人へ貸し付けて4.1%の高利回りで約年間300億円の運用益を得ているおかげなんです。 そして、その独立法人は国の特別会計でその利回り支払いを清算しているのです。 つまり「JR北海道」は私企業のフリをした、未だ「国鉄」なのです。 腹立たしい事ですが、私たちはこのおかしな私企業のために毎年多額の税金を流用されているのです。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/234
235: 名無し野電車区 [] 2016/11/05(土) 15:49:48.71 ID:2uc1MgCr 同じ日のできごと http://i.imgur.com/JnxcfYz.jpg 九州と北海道…どうして差がついたのか…甘え、独立心の有無… http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/235
236: 名無し野電車区 [] 2016/11/05(土) 15:50:58.39 ID:v+Hv7VJD 西名寄駅 西名寄駅 にしなよろ - Nishi-Nayoro ◄天塩弥生 (3.2km)(4.0km) 名寄► 所在地 北海道名寄市曙 北緯44度20分25.5秒 東経142度25分29.5秒 所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道) 所属路線 深名線 キロ程 117.8km(深川起点) 電報略号 ニナ 駅構造 地上駅 ホーム 1面1線(廃止時) 開業年月日 1937年(昭和12年)11月10日 廃止年月日 1995年(平成7年)9月4日 備考 深名線廃線に伴い廃駅 テンプレートを表示 1977年の西名寄駅と周囲約500m範囲。右が名寄方面。貨物用の側線を2本持っているのが良く判る。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成 西名寄駅(にしなよろえき)は、北海道(上川支庁)名寄市曙にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。 電報略号はニナ。深名線の廃線に伴い1995年(平成7年)9月4日に廃駅となった。 廃止直前は停車する列車が下り(名寄方面)2本、上り(朱鞠内方面)1本と極めて少なかった。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/236
237: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 15:51:21.57 ID:v+Hv7VJD 目次 [非表示] 1 歴史 2 駅構造 3 駅名の由来 4 利用状況 5 駅周辺 6 駅跡 7 隣の駅 8 脚注 9 関連項目 歴史[編集] 1937年(昭和12年)11月10日 - 鉄道省名雨線名寄駅 - 初茶志内駅(後の天塩弥生駅)間開通に伴い開業。一般駅。 1941年(昭和16年)10月10日 - 線路名を深名線に改称、それに伴い同線の駅となる。 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。 1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物・荷物取扱い廃止。 1961年(昭和36年)4月1日 - 無人化。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。 1995年(平成7年)9月4日 - 深名線廃線により廃止。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/237
238: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 15:51:55.98 ID:v+Hv7VJD 駅構造[編集] 廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(名寄方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた[1]。 かつては列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった1線は、交換設備運用廃止後は撤去された。そのほか本線から構内南側に分岐する貨物側線を3線有していた[1]。 この貨物側線は木材運搬に使用され、1983年(昭和58年)4月時点では、分岐器が深川方、名寄方の両方向とも維持されていた形で2線が残存していたが[2]、1993年(平成5年)までに撤去された[1]。 無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が改築されて残っていた。駅舎は構内の北側に位置しホーム西側とを結ぶ通路で連絡した[1]。 駅舎は無人化後縮小され、待合室部分のみの間口の狭い建物となっていた(1983年(昭和58年)時点ではこの形状[2])。 駅名の由来[編集] [icon] この節の加筆が望まれています。 当駅の所在する地(名寄市)の「西」に位置することから付けられた。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/238
239: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 15:52:21.53 ID:v+Hv7VJD 駅周辺[編集] 民家は少なく、周囲は休耕田が目立っていた[2]。 北海道道798号西風連名寄線 天塩川[3] ジェイ・アール北海道バス深名線「稲川商店前」停留所 駅跡[編集] 西名寄駅跡周辺 (2011年8月8日) 2000年(平成12年)時点では既に整地され[4]、2011年(平成23年)時点では「上川ライスターミナル」の物流センター倉庫が建築されており、倉庫の前に停車場接近標識が立っていた[5]。 また、駅名標のレプリカが、天塩弥生駅の駅名板と共に名寄市の「名寄市北国博物館」に、キマロキ編成とともに保存されている。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/239
240: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 15:52:48.19 ID:v+Hv7VJD 天塩弥生駅 天塩弥生駅 てしおやよい - Teshio-Yayoi ◄北母子里 (15.6km)(3.2km) 西名寄► 所在地 北海道名寄市弥生 北緯44度20分5秒 東経142度23分9秒 所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道) 所属路線 深名線 キロ程 114.6km(深川起点) 電報略号 テヤ ハチ(改称前) 駅構造 地上駅 ホーム 1面1線(廃止時) 開業年月日 1937年(昭和12年)11月10日 廃止年月日 1995年(平成7年)9月4日 備考 深名線廃線に伴い廃駅 テンプレートを表示 1977年の天塩弥生駅と周囲約500m範囲。右が名寄方面。島式ホーム状だが駅舎側は貨物線で、単式ホーム1面1線。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成 天塩弥生駅(てしおやよいえき)は、北海道(上川支庁)名寄市弥生にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。電報略号はテヤ。深名線の廃線に伴い1995年(平成7年)9月4日に廃駅となった。 目次 [非表示] 1 歴史 2 駅構造 3 駅名の由来 4 利用状況 5 駅周辺 6 駅跡 7 隣の駅 8 脚注 9 関連項目 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/240
241: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 15:53:15.81 ID:v+Hv7VJD 歴史[編集] 1937年(昭和12年)11月10日 - 鉄道省名雨線名寄駅 - 当駅間開通に伴い初茶志内駅(はっちゃしないえき)として開業。一般駅。 1941年(昭和16年)10月10日 - 当駅 - 朱鞠内駅間が延伸開業し全通。路線名を深名線に改称、それに伴い同線の駅となる。 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。 1951年(昭和26年)7月20日 - 天塩弥生駅に改称。 1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物・荷物取扱い廃止。 1982年(昭和57年)3月29日 - 無人化。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。 1995年(平成7年)9月4日 - 深名線の廃線に伴い廃止となる。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/241
242: 名無し野電車区 [] 2016/11/05(土) 15:53:28.76 ID:2uc1MgCr 下関駅 乗車人員 10,541人/日(降車客含まず) 新山口駅 乗車人員 7,544人/日 小倉駅 (JR九州)35,301人/日 (JR西日本)10,618人/日 高松駅 12,117人/日 敦賀駅 3,386人/日 盛岡駅 18,205人/日 青森駅 5,677人/日 函館駅 3,077人/日wwwwwwwww (←目を疑いましたがホントでしたwww) ※番外編 室蘭駅 616人/日wwwwwwwwwwww 東室蘭駅 2,123人/日wwwwwwww 苫小牧駅 3,651人/日wwwwwwwwww 釧路駅 1,479人/日wwwwwwwwww http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/242
243: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 15:53:55.52 ID:v+Hv7VJD 駅構造[編集] 廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(名寄方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた[1]。 かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であり、ここを始発・終着とする名寄からの区間列車も運転されていた。 そのほか駅舎側の線から駅舎側に分岐し駅舎東側の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[2]。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去された。貨物側線は1983年(昭和58年)4月時点では、分岐器が深川方、 名寄方の両方向とも維持されていた形で残存していたが[2]、1993年(平成5年)までに撤去された[1]。ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた[1]。 無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が改築されて残っていた。駅舎は構内の北側に位置しホーム西側とを結ぶ通路で連絡した[1]。駅舎は無人化後縮小され、待合室部分のみの間口の狭い建物となっていた(1993年(平成5年)時点ではこの形状[1])。 駅名の由来[編集] [icon] この節の加筆が望まれています。 当駅の所在する地名に旧国名の「天塩」を冠する。 旧駅名の初茶志内(はっちゃしない)は、アイヌ語の「ハツクシ・ウシ・ナイ」(葡萄、子桑の多い川)に由来する[1]。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/243
244: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 15:54:26.40 ID:v+Hv7VJD 駅周辺[編集] 名寄市内の山間に位置した[2]。 北海道道798号西風連名寄線 弥生共同墓地 初茶志内山 - 駅の南。標高201m。 ジェイ・アール北海道バス深名線「天塩弥生」停留所 駅跡[編集] 天塩弥生駅跡 (2011年8月8日) 廃駅後しばらく駅舎やホームが残っていたが、1998年(平成10年)に全て解体され、跡地は整地された。2000年(平成12年)時点では跡地が残るのみで[3]、2010年(平成22年)時点では民家の裏の荒廃した空き地となっていた[4]。 2011年(平成23年)時点では駅附近の線路跡が確認出来、バラストが残存していた[5]。駅名標のレプリカが名寄市の「名寄市北国博物館」にキマロキ編成とともに保存されている[5]。 2015年、元鉄道マンの夫妻が、天塩弥生駅跡地と周辺の土地を購入し、昭和40年代までに建設された道内の駅舎をイメージした民宿を建築した[6][7]。 2016年3月から「天塩弥生駅」の屋号で営業しており、昼の時間帯はレストランとして営業している[8]。 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/244
245: 名無し野電車区 [sage] 2016/11/05(土) 15:55:35.59 ID:v+Hv7VJD 北母子里駅 北母子里駅 北母子里駅(1994年8月31日) 北母子里駅(1994年8月31日) きたもしり - Kita-Moshiri ◄白樺 (5.4km)(15.6km) 天塩弥生► 所在地 北海道雨竜郡幌加内町字母子里 北緯44度21分46秒 東経142度15分33秒 所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道) 所属路線 深名線 キロ程 99.0km(深川起点) 電報略号 キモ 駅構造 地上駅 ホーム 1面1線(廃止時) 開業年月日 1941年(昭和16年)10月10日 廃止年月日 1995年(平成7年)9月4日 備考 深名線廃線に伴い廃駅 テンプレートを表示 1977年の北母子里駅と周囲約500m範囲。右下が名寄方面。島式ホーム1面2線の他、駅舎側に朱鞠内側から貨物線が引き込まれている。この貨物線は、ホーム外側の本線に棒線化された後も撤去されず残されていた。 ストックヤードは駅舎横の名寄側がかつて利用され、多くの木材が野積みされていた時期もあったが、既に長年使用されずに草生しており、保線車両用の白く長い車庫がその前に設置されている。 駅裏には補機用蒸気機関車の転車台跡の窪みが残されている。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成 http://echo.5ch.net/test/read.cgi/rail/1478282617/245
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