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【おれ】北斗の拳 伝承【あなた】 (452レス)
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100戦士
2019/12/01(日)10:45
ID:h+w/WtAs(2/2)
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107: 100戦士 [] 2019/12/01(日) 10:45:17.07 ID:h+w/WtAs 「邪馬台国=インドネシアのジャワ島説」はこちら♪(^ー^)b ●「邪馬台国」の語源については様々な説があるが、5世紀、インドへ渡った中国の僧侶・法顕は『仏国紀』の中で ジャワ島の事を「耶婆提国」と記している。ジャバダイコク、即ち邪馬台国。 これはサンスクリット語で「大麦の島」を意味する「Yavadvipa」の漢字音訳で、「ヤバダイ・ヤマタイ」と発音される。 また、「魏志倭人伝」に「海中の洲島の上に絶在していて、或いは絶え、或いは連なり、 一周して戻って来るのに五千里ばかりである」と記載されている事から、 邪馬台国は海に囲まれた大きな島の上に存在すると考えられ、山々も多いとされている。 「邪馬台国から東へ千里海を渡ると別の島に行ける」という記述もある。 更に、「楽浪郡の境界から1万2千里も離れている」と複数の史書に明記されており、中国より遥か彼方に存在する事になる。 漢魏の1里は420m程で、1万2千里だと5千km余りとなる。ソウルからジャワ島までの距離は丁度5千kmである。 また、不弥国から「南へ水行二十日」で投馬国に、更に「南へ水行十日陸行一月」で邪馬台国に至る、とあるから、 不弥国から南に一ヶ月は航行するのであり、不弥国が北九州だとすれば邪馬台国は九州の範囲に収まらない。 「邪馬台国ジャワ島説」を唱えた内田吟風氏は「古代中国人は、朝鮮半島から東南アジアの熱帯の島々までにいた海洋民族を 倭と呼んでいたのである。倭が日本列島の事を指す様になったのは『隋書』以降の事である」としている。 更に「魏志倭人伝」は、邪馬台国の人々は「手掴みで飲食し、裸足で生活し、 衣服もただ結び束ねているだけで殆ど縫っていない」という原始的なライフスタイルであるとしている。 国語学者の大野晋氏も「日本語とスリランカ北部のタミル語の同祖説」を提唱したし、古代人の交流範囲が 物凄く広範囲だった事も分かっている。例えば、法顕の乗った船は二百人乗りという大型船だったらしい。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranime/1567232983/107
邪馬台国インドネシアのジャワ島説はこちらー 邪馬台国の語源については様な説があるが5世紀インドへ渡った中国の僧侶法顕は仏国紀の中で ジャワ島の事を耶婆提国と記しているジャバダイコク即ち邪馬台国 これはサンスクリット語で大麦の島を意味するの漢字音訳でヤバダイヤマタイと発音される また志倭人伝に海中の洲島の上に絶在していて或いは絶え或いは連なり 一周して戻って来るのに五千里ばかりであると記載されている事から 邪馬台国は海に囲まれた大きな島の上に存在すると考えられ山も多いとされている 邪馬台国から東へ千里海を渡ると別の島に行けるという記述もある 更に楽浪郡の境界から1万2千里も離れていると複数の史書に明記されており中国より遥か彼方に存在する事になる 漢の1里は420程で1万2千里だと5千余りとなるソウルからジャワ島までの距離は丁度5千である また不弥国から南へ水行二十日で投馬国に更に南へ水行十日陸行一月で邪馬台国に至るとあるから 不弥国から南に一ヶ月は航行するのであり不弥国が北九州だとすれば邪馬台国は九州の範囲に収まらない 邪馬台国ジャワ島説を唱えた内田吟風氏は古代中国人は朝鮮半島から東南アジアの熱帯の島までにいた海洋民族を 倭と呼んでいたのである倭が日本列島の事を指す様になったのは書以降の事であるとしている 更に志倭人伝は邪馬台国の人は手掴みで飲食し裸足で生活し 衣服もただ結び束ねているだけで殆ど縫っていないという原始的なライフスタイルであるとしている 国語学者の大野晋氏も日本語とスリランカ北部のタミル語の同祖説を提唱したし古代人の交流範囲が 物凄く広範囲だった事も分かっている例えば法顕の乗った船は二百人乗りという大型船だったらしい
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