[過去ログ] 部落が経営する会社 (1002レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
763: (ワッチョイ eeca-w3aL) 2022/10/23(日)09:36 ID:ahEkgOfn0(1) AAS
前近代の愚かな近世には、穢多〜非人〜と蔑称で罵られたヤクザが存在した。穢れ多しヒトデナシなんて、そんなひどいッ。
やくざは徳川幕府に虐げられた人々だった。
江戸後期には、頂上作戦により大物やくざの摘発と死刑が行われた。
忠治親分は関八州の裏社会の国決めを行った人物だった事から国定の忠治と呼ばれた。赤城の山も今宵限りじゃ。
わしの娘をの、やくざモンの嫁に出す訳にはいかない、と、やくざは結婚差別を受けていた。
極道や言われましてもな、あんさん極潰しちゃいまっか、と、やくざは民衆から蔑まれていた。
ドラゴンタトゥーにケジメをつけるためにエンコつめたんやと、四本指ちらつかせて、ヨツと呼ばれた。不祥事のケツ拭かされたんや。
やくざと堅気との間には目に見えない境界線のようなものがあった。 差別〜
身分なんてあるかどうかわからん、士農工商どれにも含まれない、社会外のアウトロー(無法者)だった。
やくざ→専業のバクチ打ち、用心棒またはカツアゲ、ヒモ等により雨風シノイデいた。
そんな職業とは言えない、生業とは言えない業を糧としていた。
やくざは納税はしなかった。
制裁的私刑として、生爪剥がし、、皮剥等をおこなっていた。
兄貴分がやっちもうた〜という死体の後始末を、つまり、お掃除をやらされていたやくざもいた。

維新の志士たちはそのようなやくざの置かれた立場、差別的状況を知っていた。
穢多非人(というやくざ)の(蔑)称を廃(止)し、(やくざの)身分職業共に平民同様とす。
明治維新という大きな歴史のうねりの中で、やくざは解き放たれた。
明治4年の、やくざ解放令は日本初の人権政令であった。
人権上の理由(やくざは用心棒として使える)から。
1-
あと 239 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.006s