◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
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399: 2011/06/25(土)12:14 ID:HHk/1ewc(3/3) AAS
まあ、私も喜劇の部類で残念ですけれども、悲劇にはなりそうもない。
(中略)
失敗した悲劇役者というのが僕じゃないかしら。一生懸命泣かせようと思って出てきても、みんな大笑いする。
僕は、単細胞のせいかもしれないけれど、革命というものはイデオロギーの問題でもなんでもない、ただ爆弾持って
駈け出すことだと思っているんです。維新というのも、ただ日本刀持って駈け出すことだと思っている。駈けるのには、
百メートルを十六秒以下でなければ駈けるとは言えない。そのためには、ふとっていちゃ絶対だめですよ。
アメリカとベトコンの戦争は、やせたやつがふとったやつを悩ませたというだけの話ですよ。ベトコンはやせて
いるから駈けられる。アメリカ人はあの体していちゃ崖やなんか駈け昇れない。どうして日本のインテリというのは、
ふとるようになっちゃったんでしょう。これは僕は重大問題だと思っているんですよ。つまり肉体と精神との
関係において。
省2
400: 2011/06/27(月)10:35 ID:9SB0nRHs(1/3) AAS
戦後のいまの世界を見ていますと、たいていのことはフィクションで片づいちゃう。(中略)思想的な激突を
やる代わりにテレビでもって討論会をやる。そんなふうに、だんだんだんだん影がうすまってくるわけですね。
そしてすべてがフィクションの世界にとけ込んでしまって、どこに生死を賭けた大事があるのかわからなくなってくる。
激突しても、これは本当に死ぬ気があるのかどうか、殺す気があるのか、あるいは殺される気があるのか
わからないところで対決する。それが現代ですね。「葉隠」は、そういうものを非常に嫌うわけですね。
そういうのは芸能に携わる人間のやることであって、(中略)武士というものはそういうものじゃなくて、
本当に死ぬということが武士なんだから、そういう点で、河原乞食なんかいくら軽蔑してもかまわないという
考えですね。現代は全河原乞食、一億河原乞食の時代で、政治家から、経済人から、芸術家から、なにから、
やはり河原乞食だと思うのですね、「葉隠」と較べれば。
三島由紀夫
省1
401: 2011/06/27(月)10:36 ID:9SB0nRHs(2/3) AAS
全学連の運動というのはね、方向がどうあれ、根本は実感主義の復活ということだと思うのですね。これは
全学連のみならず、右の学生もそうなのであって、(中略)自分の成長期に、なんら実感にふれないで大人に
なっていったらどうなるだろう、すごい恐怖だと思うのですよ。われわれは、少なくとも空襲という実感が
ありましたね。それから死体がそこらにころがっているという実感がありました。中世の人間は、「方丈記」も
そうですが、そういう実感の中から初めてフィクションも出てきた。
私はインドに去年行きまして、ベナレスで、癩病の乞食がいっぱい並んでいるところを見て、なるほど弱法師と
いうのは、ここから出たんだと思ったのです。そして芸術の根源というのは、ああいうところにあって、ああいう
恐ろしい実感、あのファクトを一生懸命洗練したり、磨き上げたり、抽象化するから芸術が起こるのであって、
現代みたいにファクトがないところで、どうやって芸術をやっていくのかという危機感は、私どももっているわけです。
三島由紀夫
省1
402: 2011/06/27(月)10:37 ID:9SB0nRHs(3/3) AAS
たとえば、私は人間関係は、みんな委員会になっちゃったというのです。そしてうそですね。うそでかためれば安全、
謙譲の美徳を発揮すれば安全、安全第一。そして人間関係も、とにかく世論というものをいつも顧慮しながら、
不特定多数の人間の平均的な好みに自分を会わせれば成功だし、会わせれることができなきゃ失敗。これが
現代社会ですよ。
(中略)
現代的コミュニケーション、現代的対人態度というものの中にある毒を清めたいときに、「葉隠」を読めばいいと思う。
「葉隠」をサラリーマンの心得みたいに思うことは、ずいぶん間違いだと思うのです。
ぼくは、もうちょっと人間関係ががたぴししたらいいと思うのです。人間関係全部ががたぴししないから、
集団の衝突になっちゃうのがいまの世の中だと思いますし、いまの近代社会というものの宿命だと思います。
どうも人間関係ががたぴししないで、あまり円滑にすべりすぎるから、一方では衝突が起こるのだろうと思います。
省2
403: 2011/06/30(木)15:57 ID:6tjK0hLE(1/4) AAS
少なくとも自民党が危ないときになって国民投票をやったとします。そうしてウイかノンかというのを国民に
問うたとします。できることは、安保賛成(ウイ)か安保反対(ノン)かどっちかしかない。安保賛成というのは、
はっきりアメリカですね。安保反対というのはソビエトか中共でしょう。日本人に向かっておまえアメリカをとるか、
ソビエトをとるか中共をとるかといったら、僕はほんとうの日本人だったら態度を保留すると思うんですね。
日本はどこにいるんだ。日本は選びたいんだ、どうやったら選べるんだ。これはウイとノンの本質的意味を
なさんと思うんですよ。
(中略)まだ日本人は日本を選ぶんだという本質的な選択をやれないような状況にいる。これで安保騒動を
とおり越しても、まだやれないんじゃないかという感じがしてしようがない。それで去年の夏、福田赳夫さんと
会ったときに、「自民党は安保条約と刺しちがえて下さいよ」と言ったんですよ。
三島由紀夫
省1
404: 2011/06/30(木)15:58 ID:6tjK0hLE(2/4) AAS
私が大きなことを言うようですが、私の言う意味は、自民党はやはり歴史的にそういう役割を持っている、
自民党は西欧派だと思うんです。西欧派は西欧派の理念に徹して、そこでもって安保反対勢力と刺しちがえてほしい。
その次に日本か、あるいは日本でないかという選択を迫られるんであるというふうに言ったことがある。いま
右だ左だといいましても、安保賛成が右なのかということは、いえないと思うんです。安保賛成も一種の
西欧派ですよ。安保反対はもちろん外国派です。そうすると国粋派というのは、そのどっちの選択にも最終的には
加担していないですよ。
ですからナショナリズムの問題が日本では非常にむずかしくなりまして、私が思うのに、いま右翼というものが
左翼に対して、ちょっと理論的に弱いところがあるのは、われわれ国粋派というのは、ナショナリズムというものが、
九割まで左翼に取られた。
三島由紀夫
省1
405: 2011/06/30(木)15:59 ID:6tjK0hLE(3/4) AAS
だって米軍基地反対といったって、イデオロギー抜きにすれば、だれだってあまりいい気持ちではない。それから
アメリカは沖縄を出て行け、沖縄は日本のものであったほうがいい、なにを言ったところで、左翼にとってみれば、
どこかで多少ナショナリズムにひっかかっているから広くアピールする。そうして私は、ナショナリズムは
左翼がどうしても取れないもの――九割まで取られちゃったけれども、どうしても取れないもの、それに
しがみつくほかないと信じている。だから天皇と言っているんです。もちろん天皇は尊敬するが、それだけが
理由じゃない。ナショナリズムの最後の拠点をぐっとにぎっていなければ取られちゃいますよ。そうして日本中が
右か左の西欧派(ナショナリズムの仮面をかぶった)になっちゃう。
三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
406: 2011/06/30(木)15:59 ID:6tjK0hLE(4/4) AAS
林:僕は今の左翼の“ナショナリズム”は発生が外国指令だと思う。いくら彼らに教えても反米はできるが
反ソ、反中共はできない。したがって尊王ということは、彼らにとっては、もってのほかです。いま愛国主義が
彼らに先取りされているようにみえるが、実際は取られていないんだな。われわれ右翼がうっかりしている間に
日本のナショナリズム、愛国主義とアメリカ帝国主義打倒をすり変えてしまったんですよ。
三島:この間も羽田で火炎ビンを投げたのは毛崇拝で、かつ愛国だというんでしょう。あれは明らかにおっしゃった
ような代表的なものですが、(中略)やつらは天皇、天皇といえばのむわけないです。のむわけないから、
やつらから天皇制打倒というのを、もっと引出したいですよ。(中略)
これをもっとやつらから引出さなければならない。やつらのいちばんの弱味を引き出してやるのが、私は手だと
思っているんですがね。
三島由紀夫
省1
407: 2011/07/01(金)11:14 ID:QUGdbLGg(1/5) AAS
三島:いま左翼のあとを追って理論化を急いでもなんにもならん。
私は三派の連中なんか、共闘派の連中と論争してみたけれども、(中略)連中は言葉使いは変だし、訳の
わからんことを言いますが、少なくともポレミッシュですよ。非常に論争にたけています。足をすくうのも平気だし、
こんなことは真似しようと思ったらむだな勉強です。僕は純粋な青年にこんな毒々しい技術を学ばせたくないですね。
もし理論武装といって、そういうことを意味するんならやめてほしい。
林:(中略)左翼学生たちが果たして頭がいいかどうかということには、私は疑問を持つ。彼らの理論は
鵜呑み理論であって、イデオロギー以上には出てこない。
三島:(中略)ただポレミッシュだ。ポレミックが非常にうまい。
林:(中略)訓練され学習させられていますからね。(中略)(右翼は)まず、たった一人の大川周明、たった一人の
北一輝が出ればいいんですよ。(中略)現在の右翼の理論武装のためには、新しい北、大川が出なければならない。
省2
408: 2011/07/01(金)11:14 ID:QUGdbLGg(2/5) AAS
三島:もう一つ大事なのは、ユーモアとウイットですね。左翼の連中は小憎らしいけれども、ユーモアが
あるんですよ、ときどき。(中略)右翼の理論というのは、儒教の悪影響だと思うんだけれども、とにかく衿を
正して聞かなければならないような理論ばっかりですね。とにかくユーモアとウイットで相手をこてんぱんに
のすような、おもしろい理論がない。そういう文章がない。
赤尾敏なんかユーモアがあるな。
林:それはちょっと皮肉な意味でね。
三島:あれは若いやつが喜んで聞いてますよ、おもしろいと言って。
林:赤尾さんがアメリカの旗を掲げているのは困る。僕は手紙を出したいくらいだ。あれをはずせば立派な
ものじゃないか。なぜアメリカの星条旗を掲げるんでしょうね。
三島:ある意味では日本の右翼の追いつめられた姿をいちばん正直に露呈しておる。
省2
409: 2011/07/01(金)11:15 ID:QUGdbLGg(3/5) AAS
三島:僕は理論なんか根底的に必要じゃないと思うんです。根底的には誠だけでいいんですよ。誠以外になにが
いりますか。
林:その意見に賛成です。右翼にはユーモアはなくとも、誠がある。いちばん安心してつき合える。左翼のやつは
つき合えない。油断ができない。
三島:いちばん根底には誠だと思います。誠があるかないかですよ。
私もいま誠だなんて、きれいなことを言いましたけれども、実態の人間にぶつかってみると、そうもいえないな。
いまの青年でも右だから誠だ、左だから誠でないと思っていると、つい間違えることがある。自分で苦い目に
会ってみなければわからない。これは原則論であって、右翼は最終的には誠だけだ。それをはずしたら右翼じゃない。
左翼は誠がなくてもいいんだというところで左翼だと思うんですが、それだけの建前、もし建前をはずしたら
いろんな人間がいます。左翼もいっぱいいるし、右翼もうじゃうじゃいる。実態に触れると、いまの青年だからと
省3
410: 2011/07/01(金)11:16 ID:QUGdbLGg(4/5) AAS
三島:最近感心したのは、大東塾の靖国神社問題に対する対処の仕方ですね。これには感心している。つまり
靖国の霊を国が神道の祭祀にしたがって顕彰し、弔うべきだというだけのことです。彼の言いたいことは。
それを政治家だとか、いろんな圧力団体がそうさせない。遺族会すらそういう本旨を誤っているという場合に、
だれがその思想をとおすのか。その思想をとおすのに、言論だけでたりるのか。どの政治家のところへお百度詣り
したら、それをとおしてくれるのか。人間がそういうことを考えたら、それをとおす方法といったら、やっぱり
ぶんなぐるほかないでしょう。だからちょっとぶんなぐったでしょう。
政治家をぶんなぐることがいいかどうかわからない。ただ影山(正治)氏の塾の人がやったことは、ある一つの
思想をとおすには、どうしても法的にも、議会政治の上でも、どうしてもとおらない。しかしそれが日本にとって
本質的なものだと考えたら、あの方法しかないんじゃないですか。
三島由紀夫
省1
411: 2011/07/01(金)11:19 ID:QUGdbLGg(5/5) AAS
その方法の良し悪しというよりも、あの方法しかないからやったんでしょう。そういうふうな、どうしても
やらなければならんことで、ほかに方法がないということをやるために右翼団体というものはあるんだと思うし、
塾というものがあると思うんだ。それはその姿勢は守らなければならない。それを捨てたらだめだと思うんですよね。
あの人はその観点からあの事件についてはちゃんとしていると思う。
林:右翼は長い歴史を持ち過ぎて、政治家、財界人と仲良くなり過ぎている傾きがある。政界財界から二歩も
三歩も距離をおいて、いざというときにその尻をひっぱたくのが頭山満、内田良平先生以来の右翼浪人の
生き方だった。対露軟弱論者の伊藤博文はずいぶんおどかされたり、はげまされたりしている。
政界と財界に対して常に一敵国を形成しているという根本態度だけは、僕は右翼人に忘れてもらいたくない。
三島由紀夫
林房雄との対談「現代における右翼と左翼」より
412: 忍法帖【Lv=1,xxxP】 2011/07/02(土)06:08 ID:7awekSGq(1) AAS
a
413: 2011/07/02(土)10:44 ID:T4T4fAeg(1/4) AAS
三島:日本人の心のなかには、日本人というのは自分の主義主張のためには体を張るものである、命を最終的に
惜しまないものであるという伝統的なメンタリティーがあるでしょう。そうして新左翼というものはそのすれすれのところへいって、
国民に期待を抱かせたわけです。あのとき(安田城攻防)期待したやつはずいぶんいる。ところがそうでなかった。
これから先右翼に対する期待はそれが残ってる。ほんとうに体を張るやつはどっちかなということを国民は
みていますよ。
私はここで右翼も左翼と同じ体質になって、体を張らないんだということになったら、これは絶対絶望だと
思うんですよ。左翼と違って体を張るんだということが右翼の最終的なもので、それが国民の心というものを
ほんとうにつかむ唯一の方法だと思う。これは言ってやさしいことではありません。軽々に言うべきでは
ないんだけれども、ほんとうにそこしかないんじゃないですか。
三島由紀夫
省1
414: 2011/07/02(土)10:45 ID:T4T4fAeg(2/4) AAS
林:誠と命が右翼だ。左翼はどんなえらそうなことを言っても、それがない。(中略)彼らには戦略があるだけだ。
これはマルクスの生産力説と唯物史観から生まれている。人間というものをまるで認めてない。ちょっとした
不満は人間疎外というし、彼らの人間性回復とは実は動物になりたいということなんで、だから三島君は
“東大を動物園にしてしまえ”と言った――あんな学生動物がたくさんできてきたのだから。(笑)
三島:つまり義のために死ぬというのは人間の特徴で、動物にはない。義のために死なないのは、動物と人間の
境い目がつかないやつ。(中略)
林:(中略)いまの日本の左翼にもレーニン的なところがあり過ぎるんだ。(中略)裁判官が書いていたね。
安田講堂のそばの建物にたてこもった学生は、地方から出てきたばかりで、中央の闘争ぶりを見ろと、だまして
つれて行かれたんだそうですね。そういうことをやるんですよ。右翼ならそういうことはやらんなあ。
三島由紀夫
省1
415: 2011/07/02(土)10:46 ID:T4T4fAeg(3/4) AAS
三島:公明党はちょっと気味が悪いところがあるな。というのは僕は一九七五、六年には、ひょっとすると
連立政権ができるんじゃないかと思っています。(中略)
林:児玉誉士夫さんは、民社と公明党と自民の連立政権をつくれと言っている。
三島:しかしその場合、公明党のいちばんの持参金は自衛隊と警察ですよ。これはほかの野党はだれも持っていない。
林:そんなにたくさん入ってるんですか。
三島:非常なもんですよ、公明党の自衛隊と警察に対する手の打ち方は。十年たてば持参金になる。(中略)
省9
416: 2011/07/02(土)10:48 ID:T4T4fAeg(4/4) AAS
林:池田大作という人物は聡明な男だから、なにを読んでみても、理路整然と逃げてる。大事なところは少しも
触れない。いま正面から公明党を攻撃しているのはやはり大東塾ですね。
三島:ですから連立政権ができたとき、そういう時代がくれば、ほんとうにそれに対抗する勢力は右翼しかない
でしょう。
(中略)
林:いろんな「文化人」が「潮」にも「赤旗」にも書くでしょう。自民党の出版物に書くと安い。知識階級とは
そんなもんですから、あてにしなくていい。(中略)
三島:辛辣なことだが、そうですね。講演料がたくさん出ているところへ行く。文化人なんというのは頼らない
ほうがいいですよ。
僕は反共というのは、実は嫌いなんですよ。共産主義だろうがなんであろうが外国思想はみんな反対というのが
省5
417: 2011/07/04(月)11:39 ID:BjX55snA(1/5) AAS
三島:人間がさがして最後に到達するものは根だよ。そうだろ。
石原:いろんな意味での存在の根に対する回帰でしょうね。(中略)
三島:回帰だろう。回帰のなかには自由という問題をこえたものがあるはずだ。ぼくは簡単に言うと、こういう
ことだと思うんだ。つまりわれわれは何かによって規定されているでしょう。これは運命ですね。日本に生まれ
ちゃった。(中略)
自由を守るというのはあくまで二次的問題であって、これは人間の本質的問題ではない。自由を守る、ある政治体制を
守るということは、人間にとって本質的問題でも何でもない。ぼくは、おまえ民主主義を守るために死ぬか、と
言われたら、絶対に死ぬのはいやですよ(中略)われわれはある政治体制を守るために死ぬんじゃない。じゃ何を
守るために死ぬのか。バリューというものを追い詰めていけば、そのために死ねるものというのが、守るべき
最終的な価値になるわけだ。それはこの自由の選択のなかにないとぼくは思うんだね。自由の選択自体のなかにはない。
省3
418: 2011/07/04(月)11:40 ID:BjX55snA(2/5) AAS
三島:ニーチェの「アモール・ファティ」じゃないけれども、自分の宿命を認めることが、人間にとって、
それしか自由の道はないというのがぼくの考えだ。
(中略)
石原:(中略)しかし宿命というものを忌避しようとすることは、人間にとっての自由です。そこに、神のでない
人間の意志がある。
三島:しかし宿命を忌避する人間は、またその忌避すること自体が運命だろう。そういう人間はそういうふうに
生まれついちゃったんだ、反逆者として。
石原:しかしそれはその人間の一つの存在の表現であって、ぼくはやはり人間の尊厳というのはそこにしか
ないと思うな。
三島:君はずいぶん西洋的だなあ。ぼくはそういう点では、つまり守るべき価値ということを考えるときには、
省4
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