◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
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158: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/17(木) 12:00:52 ID:xvbTjhWO ところが今はどこの国でも、また国の内外においても全然かへりみてゐない。時間の問題を考へた人間は、段々 駄目になつていく傾向さへある。例へば、ローマカトリック、これは段々信ずる人はゐなくなるのではないかと いはれてゐる。天皇制、これもみんなフラフラになつて駄目になつちやふのではないかと心ある人は心配する。 何故か? それは時間の連続性に対する人々の自覚が足りなくなつてゐるからです。 世界は今この大国間の争ひにしろ、平和運動にしろ、ベ平連にしろ、何にしろ、結局は空間といふもので争つて ゐるけれどもこれはまあ表面的な考へ方です。ところが人間といふものは決してそれだけではない。これは人間の 非常に不思議なところで、私は最初に、「人間はパンのみで生きるものではない」と申しましたが、人間は 空間のみで生きるものでもないのです。 三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/158
159: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/17(木) 12:03:41 ID:xvbTjhWO それが証拠には、私は最近ソビエト旅行をして先月帰つて来た人から昨日聞いた話ですが、今ソビエトで一番の 悪口は何だと思ひますか。ソビエトで人を罵倒する一番きたない言葉、それをいはれただけで人が怒り心頭に 発する言葉は何だと思ひますか……私はロシア語を知りませんから、ロシア語ではいへませんが、「非愛国者だ」と いふことださうです。さうすると一体これはどういふことなのかと不思議になります。その伝統を破壊し、連続性を 破壊してゐる共産圏においてすら、現在は歴史の連続性といふものを信じなければ「愛国」といふ観念は出て 来てないことに気付き、その観念のないところには共産国家といへどもその存立は危ぶまれるといふことを 気付いたに違ひない。ですからこの「縦の軸」すなはち「時間」はその中にかくされてゐるんで、如何に人類が 現在の平和をかち得たとしても、このかくされてゐる「縦の軸」がなければ平和は維持できない。それが現在の 国家像であると考へられていいんです。 三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/159
160: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/17(木) 12:10:39 ID:xvbTjhWO ことに日本では敗戦の結果、この「縦の軸」といふのが非常に軽んじられてきてしまつた。日本は、この縦の軸などは どうでもいいんだが、経済が繁栄すればよろしい、そして未来社会に向つて、日本といふ国なんか無くなつても良い。 みんな楽しくのんびり暮して戦争もやらず、外国が入つて来たら、手を挙げて降参すればいいんだ。日本の 連続なんかどうなつてもいいんではないか、歴史や文化などはいらんではないか、滅びるものは全部滅びても 良いではないか、と考へる向きが非常に強い。さういふ考へでは将来日本人の幸せといふものは、全く考へられないと いふことを、この一事をもつてしても、共産国家が既に明白に証明してゐると私は思ひます。 (中略) 自由だ、平和だといつてゐる共産主義国家が、国家意思を持つてゐて、日本のやうな、佐藤首相が自らの手で 国家を守るといつてゐるこの国に、国家意思がないとは一体どういふことだらうか。 さういふことになるのは今の日本の根本が危ふくなつてゐるからです。根本はここにあるのです。 三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/160
161: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/17(木) 20:02:39 ID:xvbTjhWO 日本近代知識人は、最初からナショナルな基盤から自分を切り離す傾向にあつたから、根底的にデラシネ (根なし草)であり、大学アカデミズムや出版資本に寄生し、一方ではその無用性に自立の根拠を置きながら、 一方では失はれた有用性に心ひそかに憧憬を寄せてゐる。そこに知識人の複雑なコンプレックスがあり、こんなに 扱ひにくい人種はちよつと想像もできない。 知識人の自立を尊重するふりをしながら、その大衆操作の有用性をうまく利用し、かたがた彼らの有用性への ひそかな憧れをみたしてやつた点では、政府よりも左翼のはうが何十倍も巧みであつた。戦後の知識人の役割が、 九割方、左翼の利用するところとなつたのは周知の事実であり、それなりに効果をあげたのである。 大学問題の勃発は、しかし、このやうな安定した進歩的知識人の天国に打撃を与へた。彼らの足もとに火がつき、 周章狼狽なすところを知らず、有用性の幻想は破壊されつつ、無用性の自立もすでに白昼夢となつた。進歩的知識人は 瓦礫と化した。 三島由紀夫「新知識人論」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/161
162: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/17(木) 20:03:47 ID:xvbTjhWO (中略) 私はここでまたしても日本知識人が自己欺瞞に陥るくらゐなら、死んだはうがよからう、と嘲笑はれてゐる声を きかなければ、知識人の資格はないと思つてゐる。知識人の唯一の長所は自意識であり、自分の滑稽さぐらゐは 弁へてゐなくてはならぬからである。 大学問題は、命を賭けて守れぬやうな思想は思想と呼ぶに値しないといふ、人間と思想とのもつとも重要な 「関係」に目をひらかせた。これは戦後もつとも軽視されてゐた問題であつた。(中略) 知識人はもはや国家有用の材ではありえないし、いはんや反国家有用の材でもありえない、といふ悲惨な現状を 直視して、そこから出発しないことには何もはじまらない。あらゆる有用性有効性の幻想をきつぱり捨て、 「いや、君だつて役に立つんだよ」 といふ甘言に一切耳を貸さず、有用性へのノスタルジアも己惚れも捨てなければならない。と同時に、無用性の 永遠の嘆き節からも訣別せねばならない。 三島由紀夫「新知識人論」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/162
163: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/17(木) 20:05:03 ID:xvbTjhWO 機動隊導入によつてやつと救はれながら、大学立法反対の面子を捨てかねてゐる、あの教授連の自己冒涜の轍を 踏んではならない。それはもう知識人としてでなく、人間としてダメになつた人たちなのだ。 知識人の任務は、そのデラシネ性を払拭して、日本にとつてもつとも本質的もつとも根本的な「大義」が何かを 問ひつめてゐればよいのである。安保賛成や反対は足下に踏み破り、有用性と無用性を乗りこえた地点で、 ただ精神のもつとも純粋、正義のもつとも正しいものを開顕しようと日夜励んでゐればよいのである。権力も 反権力も見失つてゐる、日本にとつてもつとも大切なものを凝視してゐればよいのである。暗夜に一点の蝋燭の火を 見詰めてゐればよいのである。断固として動かないものを内に秘めて、動揺する日本の、中軸に端座してゐれば よいのである。私はこの端座の姿勢が、日本の近代知識人にもつとも欠けてゐたものであると思ふ。 三島由紀夫「新知識人論」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/163
164: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/18(金) 15:18:21 ID:vlCgAgQG 日米共同コミュニケによつて、現憲法の維持は、国際的国内的に新たなメリットを得たのである。すなはち国内的には、 今後も穏和な左翼勢力に平和現憲法の飴玉をしやぶらせつづけて面子を立ててやる一方、過激派には現憲法にも これだけの危機収集能力のあることを思ひ知らせ、国際的には、無制限にアメリカの全アジア軍事戦略体制に コミットさせられる危険に対して、平和憲法を格好の歯止めに使ひ、一方では安保体制堅持を謳いながら、一方では 平和憲法護持を受け身のナショナリズムの根拠にするといふメリットが生じたのである。これはいはば吉田茂方式の 継承であり、早急な改憲は、現憲法がアメリカによつて強ひられた憲法であるより以上に、さらにアメリカの 軍事的要請に沿うた憲法を招来するにすぎないといふ恫喝ほど、効き目のあるものはあるまい。改憲サボタージュは、 完全に自民党の体質になつた。 三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/164
165: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/18(金) 15:19:18 ID:vlCgAgQG 空文化されればされるほど政治的利用価値が生じてきた、といふところに、新憲法のふしぎな魔力があり、 戦後の偽善はすべてここに発したといつても過言ではない。完全に遵奉することの不可能な成文法の存在は、 道義的退廃を惹き起こす。それは戦後のヤミ食糧取締法と同じことである。 (中略) 私が憲法を問題にするのは、そこに国家の問題が鮮明にあらはれてゐるからであり、しかも現憲法は、国家への 忠節に肩すかしを食わせて、未実現の人類共通の理想へのみ忠誠を誓はせるやうにできてをり、国家と忠誠とを 別次元に属する形で併記してゐる。 国家とは何ぞや、忠誠とは何ぞや、といふ問ひからはじめなければ、変革の論理は実質を欠くことにならう。 三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/165
166: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/18(金) 15:20:10 ID:vlCgAgQG 私見によれば、祭政一致的な国家が二つに分離して、統治的国家(行政権の主体)と祭祀的国家(国民精神の主体)に 分れ、後者が前者の背後に影のごとく揺曳してゐるのが現代の日本である。近代政治学が問題にする国家とは、 前者にほかならない。ところで自由世界の未来の国家像は、ますます統治国家がその統治機能を、自治体、民間団体、 企業等へ移譲し、国家自体は管理国家としてのマネージメントのみに専念し、言論やセックスの自由は最大限に容認し、 いはばもつとも稀薄な国家がもつとも良い国家と呼ばれることにならう。そこでは時間的連続性は問題にされず、 通信連絡、情報、交易の世界化国際化による空間的ひろがりが重んじられる。スポーツや学術をはじめ、多くの 領域で世界国家的イメージが準備される。事実このやうな管理国家は世界連邦たるべきものの胎児なのである。 これを支配する原理は、ヒューマニズム、理性、人類愛などであり、非理性的ないし反理性的なものはきびしく 排除されるロゴスとしての国家である。 三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/166
167: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/18(金) 15:21:07 ID:vlCgAgQG 一方、祭祀的国家はふだんは目に見えない。ここでは象徴行為としての祭祀が、国家の永遠の時間的連続性を保障し、 歴史・伝統・文化などが継承され、反理性的なもの、情感的情緒的なものの源泉が保持され、文化はここにのみ根を 見いだし、真のエロティシズムはここにのみ存在する。このエートスとパトスの国家の首長は天皇である。 ここでは濃厚な国家がもつとも良い国家なのである。 さて統治国家を遠心力とすれば祭祀国家は求心力であり、前者を空間的国家とすれば、後者は時間的国家であり、 私の理想とする国家はこのやうな二元性の調和、緊張をはらんだ生ける均衡にほかならない。 私はこの二種の国家をつきつけて、国民にどちらの国家に忠誠を誓ふか、決断を迫るべきであると思ふ。 いふまでもなく真にナショナルな自立の思想の根拠は、祭祀的国家のみにあり、統治的国家は国際協調主義と 世界連邦の方向の線上にあるものである。 そしてその忠誠の選択に基づいて、自衛隊を二分したらよいのである。このことは現憲法下でも法理的に可能である。 三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/167
168: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/18(金) 15:22:49 ID:vlCgAgQG 現自衛隊に対する国民の最終的な疑惑は、表面上、最高指揮権は内閣総理大臣にあるけれども、最終的な指揮権は アメリカ大統領にあるのではないかといふ疑惑であらう。航空自衛隊の編成装備、英語による指令等を見た者は、 一抹の不安を禁じえないであらう。 そこでまづ、航空自衛隊現勢力の九割、海上自衛隊の七割、陸上自衛隊の一割をもつて「国連警察予備軍」を 編成する。なぜ予備軍かといへば、現憲法下では海外派兵がむづかしいからである。日本国連警察予備軍は 統治国家としての日本に属し、安保条約によつて集団安全保障体制にリンクし、制服も独自の制服を持ち、主任務は 対直接侵略にあり、根本理念は国際主義的であり、将兵の身分は国連事務局における日本人職員に準ずる。 第二に、残余の兵力、すなはち陸上自衛隊現勢力の九割、海上自衛隊の三割、航空自衛隊の一割は「国土防衛軍」を 構成する。国土防衛軍の根本理念は、祭祀国家の長としての天皇への忠誠にあり、絶対自立の軍隊であつて、 いかなる外国とも軍事条約を結ばない。 三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/168
169: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/18(金) 15:26:47 ID:vlCgAgQG 国連警察予備軍は状況に応じて、国連から核兵器の管理を委任されることもあるが、国土防衛軍の装備は在来兵器に 限られる。主任務は対間接侵略にあり、治安出勤も国土防衛軍の仕事である。なほ国土防衛軍は相当数の民兵を 包含し、わが「楯の会」はこのためのパイオニヤである。 国連警察予備軍は、高度の技術的軍隊で、新兵器の開発、技術の習得はここで行はれ、その成員は、軍人であると 同時に技師である。これに反して、国土防衛軍は、魂の軍隊といふ色彩が強く、そのモラルは徹頭徹尾武士的な ものである。 そしてこの二つの軍隊を、共に指揮系統として内閣総理大臣が統括するが、その最終的忠誠の対象が異なるところから、 種々の礼式の相違があらはれるであらう。 (中略)私としては考へに考へた末であり、かつ、一場の夢物語であることも承知である。しかし日本の防衛の あるべき姿を考へれば考へるほど、私にはほかの解決は思ひ当らない。もちろんこれには憲法の制約を考慮に 入れた上のことで、憲法を変へるとなれば、また話は別である。 三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/169
170: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/18(金) 15:29:06 ID:vlCgAgQG 日本にとつてもつとも緊急に変革を要するものは防衛の問題であり、しかもそこにいかにして自立の思想を 盛り込むかといふ問題である。日本に変革の必須な問題は多々あらうが、これを除外して変革を考へることは 空論であり、共産党ですら、核兵器に一言も触れぬ狡猾さをもつて、武装中立を謳つてゐる。日本の防衛と自立の 永遠のジレンマのもとである核兵器が、国内戦に使へないといふ特質を持つてゐるところに目をつけて、この特質を 逆手にとつて、絶対自立の軍隊を健軍することがまづ急務であり、自衛隊をただあいまいに安保条約に接着させて おくことは危険なのだ。中共はすでにIRBMの戦略配置を終つたと伝えられ、日本はその射程距離内に はひるのである。 私の変革方式は、変革の雛型をまづ自分の力で自分の周辺に作ることだ。雛型であるから、まだ実用に役立た なくても仕方ない。しかし自立の思想を肉体化し現実化して、これを通じて、何が正しいかを顕現することだ。 三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/170
171: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/18(金) 15:30:50 ID:vlCgAgQG (中略)現代社会では、一定の効果と一定のメリットが評価され、それが抽出されてしまふと、たちまちうしろへ 投げ捨てられてしまふ。政治は場当りの効果主義の集積である。 (中略)この「何事か」の積み重ねは、いくら積み重ねても同じ次元の積み重ねにすぎず、そこから別次元の 変革への飛躍は生れない。(中略) 私は文士としてまづ言葉を信ずる。しかし何らかの政治的有効性において信ずるのではない。私にとつての変革とは、 言葉と同じ高度の次元の、決して現象化され相対化されぬ現実を創り出すことでなければならない。そのための 行動とは、死を決した最終的な行動しかなく、それまでの行動類似のものはすべて訓練であり、世阿弥の言ふ 「稽古は強かれ」の「稽古」にほかならない。 変革とは一つのプランに向かつて着々と進むことではなく、一つの叫びを叫びつづけることだ、といふ考へが、 私の場合には牢固としてゐる。前述の自衛隊二分論は、相対的解決策としての変革にすぎぬが、その中にも私の 叫びの貫流してゐることを、聞く人は聞くであらう。 三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/171
172: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/18(金) 15:32:25 ID:vlCgAgQG かつてアメリカ占領軍は剣道を禁止し、竹刀競技の形で半ば復活したのちも、懸声をきびしく禁じた。この着眼は 卓抜なものである。あれはただの懸声ではなく、日本人の魂の叫びだつたからである。彼らはこれらをおそれ、 その叫びの伝播と、その叫びの触発するものをおそれた。しかしこの叫びを忌避して、日本人にとつての真の 変革の原理はありえない。近代日本知識人が剣道のあの裂帛の叫びを嫌悪するのは、あれによつて彼らの後生大事に してゐる近代ヒューマニズムと理性の体系にひびのはひるのをおそれるからだ。あの叫びこそ、彼らの臆病な 安住の家をこはしにかかる斧の音をきくからだ。 変革とは、このやうな叫びを、死にいたるまで叫びつづけることである。その結果が死であつても構はぬ、 死は現象には属さないからだ。うまずたゆまず、魂の叫びをあげ、それを現象への融解から救ひ上げ、精神の 最終証明として後世にのこすことだ。言葉は形であり、行動も形でなければならぬ。文化とは形であり、形こそ すべてなのだ、と信ずる点で私は古代ギリシア人と同じである。 三島由紀夫「『変革の思想』とは――道理の実現」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/172
173: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/19(土) 11:30:26 ID:YN/FOojl 文人の倖は、凡百の批評家の讃辞を浴びることよりも、一人の友情に充ちた伝記作者を死後に持つことである。 しかもその伝記作者が詩人であれば、倖はここに極まる。小高根二郎氏のこの好著を得て、蓮田善明氏は、 戦後二十年の不当な黙殺を償つて余りある、文人としての羨むべき幸運を担つた。(中略)このやうな作品を 小高根氏をして書かせたものこそ、蓮田氏の徳であり、又、その運命の力である。しかも蓮田氏の生前、 小高根氏との交遊が浅かつたことを考へれば、この作品に好い意味でも悪い意味でもみぢんも私心のないことが 首肯され、蓮田氏の文業とその謎の死が、この著作を内的な自然な衝動を以て促したことがすぐ見てとれるのである。 蓮田氏の文業とその壮烈な最期との間には、目のくらむやうな断絶があり、コントラストがある。終戦直後、 蓮田中尉がその聨隊長を通敵行為の故を以て射殺し、ただちに自決したといふ劇的な最期を遂げたとき、これを 伝へ聞いた蓮田氏の敵は、戦時中の右翼イデオローグのファナティシズムの当然の帰結だと思つたにちがひない。 三島由紀夫「『蓮田善明とその死』序文」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/173
174: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/19(土) 11:31:38 ID:YN/FOojl しかし少年時代氏に親炙した私にとつて、この死と私の知る蓮田氏のイメージとの間には、軽々に結び合はされぬ 断絶があつた。 ところで一個の肉体、一個の精神から出たものが、冥々の裡にも一本の糸として結ばれるといふ点については、 蓮田氏の敵もまちがつてはゐなかつた。ただ敵は、そのやうな激しい怒り、そのやうな果敢な行為が、或る非妥協の やさしさの純粋な帰結であり、すべての源泉はこの「やさしさ」にあつたことを、知らうともせず、知りたいとも 思はなかつただけである。 少年時代に蓮田氏を知つた私の目からすれば、私は幸運にも蓮田氏のやさしさのみを享け、氏から激しい怒りを 向けられたことはなく、ただその怒りが目の前で発現して、私にもよくわからぬ別の方向へ迸つてゐる壮観を 見るばかりであつた。月に一度の「文芸文化」の同人会に、一少年寄稿家として出席を許され、そこで専ら 蓮田氏に接した私の印象は、薩摩訛りの、やさしい目をした、しかし激越な慷慨家としての氏であつた。 三島由紀夫「『蓮田善明とその死』序文」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/174
175: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/19(土) 11:33:03 ID:YN/FOojl が、私は、詩人的国文学者としての氏を、古代から近代までの古典を潺湲(せんくわん)と流れる抒情を、何ら 偏見なく儒臭なく、直下にとらへて現代へ齎しうる人と考へてゐたから、氏の怒りの対象については関知する ところでなかつた。 氏はそのやうな人として現はれ、そのやうな人として私の眼前から去つたのである。 「予はかかる時代の人は若くして死なねばならないのではないかと思ふ。……然うして死ぬことが今日の自分の 文化だと知つてゐる」(「大津皇子論」) この蓮田氏の書いた数行は、今も私の心にこびりついて離れない。死ぬことが文化だ、といふ考への、或る時代の 青年の心を襲つた稲妻のやうな美しさから、今日なほ私がのがれることができないのは、多分、自分が そのやうにして「文化」を創る人間になり得なかつたといふ千年の憾(うら)みに拠る。 氏が二度目の応召で、事実上、小高根氏のいはゆる「賜死」の旅へ旅立つたとき、のこる私に何か大事なものを 託して行つた筈だが、不明な私は永いこと何を託されたかがわからなかつた。 三島由紀夫「『蓮田善明とその死』序文」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/175
176: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/19(土) 11:34:00 ID:YN/FOojl (中略) それがわかつてきたのは、四十歳に近く、氏の享年に徐々に近づくにつれてである。私はまづ氏が何に対して あんなに怒つてゐたかがわかつてきた。あれは日本の知識人に対する怒りだつた。最大の「内部の敵」に対する 怒りだつた。 戦時中も現在も日本近代知識人の性格がほとんど不変なのは愕くべきことであり、その怯懦、その冷笑、 その客観主義、その根なし草的な共通心情、その不誠実、その事大主義、その抵抗の身ぶり、その独善、 その非行動性、その多弁、その食言、……それらが戦時における偽善に修飾されたとき、どのような腐敗を放ち、 どのように文化の本質を毒したか、蓮田氏はつぶさに見て、自分の少年のやうな非妥協のやさしさがとらへた 文化のために、憤りにかられてゐたのである。この騎士的な憤怒は当時の私には理解できなかつたが、戦後自ら 知識人の実態に触れるにつれ、徐々に蓮田氏の怒りは私のものになつた。そして氏の享年に近づくにつれ、 氏の死が、その死の形が何を意味したかが、突然啓示のやうに私の久しい迷蒙を照らし出したのである。 三島由紀夫「『蓮田善明とその死』序文」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/176
177: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/02/20(日) 12:11:09.19 ID:O0Ate/um どうもこの日本人といふのは、防衛といふ問題について、まだ戦争のアレルギーが残つてゐる。すぐ、徴兵制度の 恐怖といふのを考へる。私はこの機会にもはつきり申し上げておきますが、徴兵制度は反対であります。少なくとも 自分の意志に反して兵隊にするといふことは、これからの時代には、私は原理的に不可能なんぢやないかと思ふんです。 そんな兵隊が軍隊にゐたら反戦運動やるに決まつてるし、パンフレットを配るに決まつてるんです。そんな人間で 軍隊が内部崩壊することを恐れるのに比べれば、人数は少なくつてもいいから、やりたいつて奴だけ集めればいい。 それ以外の人間は、もし戦争でも起きたらどういふふうに国に協力できるか。それは各々の軍を持つてやればいい。 各々の軍といふのはどういふことか。その時になつて色んな人間が自衛隊の周りに群がつて来て、「私にも 手伝はせてくれ」つて言はれましても、御飯炊きをする奴がいつぱいゐても困る。普段の平時からそれぞれの 能力に応じて、一旦緩急ある時に協力できる体制を作ればいいぢやないか。 三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/177
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