◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
上下前次1-新
184: 2011/02/21(月)11:44 ID:iJLgyZEX(1/12) AAS
国民精神といふものは、歴史と伝統と文化との誇りから自然に生まれてくるものである。外国から押しつけられた
教育で、国民の誇りをなくすやうな方向へ日本を持つて行きながら、さうして国民精神を自ら崩壊させる方向へ
持つて行きながら、何をもつてさういふものを基盤にした防衛といふものが成り立ちうるか。
それで、私はまたしても憲法の問題に戻つてくるんです。私共のやうな人間が絶えず憲法を改正しろと言つて
ゐなければ、もう憲法改正の気運は永久にどつかへ消えてしまふでありませう。私はあの敗戦憲法を敗戦の日本に
残した、この傷跡をですね、なんとかして改善しなけりやならんといふことを永年考へてきたんです。しかし、
我々がいくら言つてもダメだといふやうな悲しい事態になつたのに、国民はそれについて憲法改正できないと
いふことは、何を意味するんだといふことを考へないできたんです。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
185: 2011/02/21(月)11:45 ID:iJLgyZEX(2/12) AAS
それでは憲法改正すりや、ファッショになるだらうか。これが非常に問題なんですね。ナチスはワイマール憲法を
改正してないのは、皆さんご存知と思ふんです。ナチスはたうとう憲法改正事業つていふことを、やつてないんです。
そして、全権授権法つていふのを成立させたのは、ワイマール憲法下で成立させたんです。あくまで平和憲法下で
ナチズムといふものは出てきたんです。この事実、歴史的な事実をよく知らない人間は、憲法改正すれば
ファシズムになる、ナチズムになると言ふんです。
ところが、ファシズムやナチズムになりたかつたら、憲法を変へる必要がないんです。そして、国家の根本の
精神といふものを作り直すには、何もそんな難しいことをやらなくたつていいんだつてことを、だんだんと
分かつてきてるのかどうかといふことを、私は非常に疑問に思つてきたわけであります。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
186: 2011/02/21(月)12:17 ID:iJLgyZEX(3/12) AAS
(中略)
今この危機感が全然ないといふやうな時代になつてきて、今、世界中で一番呑気なのは日本かもしれないんですが、
日本に果たして、かういふ危機がもし生じた場合、対処するやうな大きな精神的基盤があるだらうか。いや、
日本人は大丈夫だ、日本人といふのは放つておいても、いざといふ時にやるさ。ところが、放つておくうちにですね、
お腹の脂肪が一センチづつだんだんだんだん膨らんでくるのが、皆さんの体験的事実としてご存じだと思ふんです。
そして、人間といふのは豚になる傾向もつてゐるんです。
私は今日人間だと思つても、明日自分が豚になるかもしれないといふ恐怖でいつも生きてきた。やつぱり豚に
ならないためには、そして脂肪が蓄積しないためには、絶えず精神を研ぎすまし、例へば日本刀を毎日磨くやうに、
磨いていかなきや人間てのはダメになると。日本人はその一日一日ダメになつていくといふことに気がつかないんぢや
ないか。さう思つてまゐりますと、今の世界情勢といひますか、この国際戦略上の日本といふ国の難しさといふ
省2
187: 2011/02/21(月)12:19 ID:iJLgyZEX(4/12) AAS
(中略)
我々は国際戦略といふものの、一番渦が渦巻いてゐる日本といふ国にゐるんです。日本ていふ国はあたかも
実験室のやうなものです。ベトナムのやうな激しい戦争は戦はれてはゐないけれども、国民の心の一つ一つの
中にですね、さういふ二つの大きな勢力の渦が、どつちが勝つかといふ形で忍び込んできてゐる。その忍び込み方は
非常に巧妙で、騙されやすい。
(中略)
そして、日本ていふ国はですね、天皇陛下を中心にして、まあ、千年以上、二千年近い歴史を、とにかく
日本人独特のやり方によつて生きてきたんです。これが、日本といふものの大事な点であつて、それをどつか
棚の上に上げておいて、ヒューマニズムだとか、国連中心主義だとか、やれ平和尊重だとか、やれ民主主義擁護だとか
言つてみたところで、私は共産戦略に勝つことは絶対にできないと固く信じてゐるんです。
省2
188: 2011/02/21(月)12:20 ID:iJLgyZEX(5/12) AAS
これは、防衛問題で一番難しいところで、うつかり日本人、日本人て言ひ過ぎると、また、軍国主義復活なんて
外国の新聞で叩かれちやふ。だから、さうも言へない。お前、自分で防衛を論ずる場合、何が一番大事だと思ふんだ、
日本を守ることであるつて言ふと、今や多少モンロー主義的になりつつあるアメリカはどう言ふか。よしやつてくれ。
頼もしい。諸君、是非自分で自分の国を守つてくれつて言ふでせう。
(中略)まあ、左翼側に言はせれば、アジア人をしてアジア人と戦はしめよといふやうなのが、アメリカ側の
軍事政策であると言はれてゐる。(中略)
我々は何もそのアメリカのおかげでもつて、民族同士、よその民族主義と戦ふ気持ちは毛頭ない。我々はただ、
日本といふものを守り、せつかく日本といふ国があるのに、それを侵さうとする勢力から守らうとしてゐるに
過ぎない。ただ、その日本人の守らうとする自主防衛の努力と、向うが、よし自分たちでやつてくれといふ
気持ちとは、本当にすつきりと合ふ時があるかどうかは、私は非常に疑問に思ふんです。
省1
189: 2011/02/21(月)12:22 ID:iJLgyZEX(6/12) AAS
日本はアメリカに反抗して生きることはできません、悲しいながら。しかしながら、アメリカの何も手下になつて、
ただかつかつと、まあ残り物をもらつて生きるといふのもプライドが許さない。(中略)自分たちの力でですね、
日本が日本を守るといふことがどういふことかと、その一番現実的であると同時に理念的精神的な問題を、
突つ込んで突つ込んで突つ込まなきやいかん。
で、その基盤になる国民精神とは何であるか、日本の国体とは何だ、国柄とは何だ、さういふものをよおく
突つ込んで考へることが、防衛といふものの一番の問題であつて、さういふことを抜きにしてですね、この次の
ファントムが一機幾らだから税金をどれくらゐ取られるとか、そんなことは何億円、何十億円かからうとも、
末の末の問題だと私は思つてゐる。何よりも、その精神の価値といふものを自分の中に認識したいと、これが
私の今日のお話で、結論になります。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
190: 2011/02/21(月)17:31 ID:iJLgyZEX(7/12) AAS
私は戦後の国際戦略の中心にあるものはいふまでもなく核だと思ひます。そして核のおかげで、世界大戦が
避けられてゐるのも事実ですが、同時に核が総力戦体制をとることをどの国家にも許さなくなりました。なぜなら、
総力戦体制をとつた戦争はただちに核戦争を誘発するからであります。そして世界戦争の危険がさけられると同時に
限定戦争と云ふ新しい戦争が始められました。(中略)ところが、限定戦争の最大の欠点は国論の分裂を必然的に
きたすといふ事であります。なぜなら総力戦体制に入つた場合にはどんな自由諸国でも国民の愛国心がおほいに
高揚されて、国民はいやでもおうでも、祖国のために戦ふといふ信念に燃え立ちます。第二次世界大戦時がさうで
ありました。ところが今は、一方で国家が国家の国際戦略に従つて、限定戦争を行なつても、国内では総力戦体制が
しかれてをりませんから、これに反対する勢力は互角の勝負で戦ふことが出来ます。従つて限定戦争があるところでは、
かならず平和運動と反戦運動が収拾出来ないやうな勢ひで燃え上ります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
191: 2011/02/21(月)17:32 ID:iJLgyZEX(8/12) AAS
(中略)しかしながら、限定戦争に対する抵抗する体質としては、自由諸国と共産諸国とではおのづから違ひます。
共産諸国は、閉鎖国家でその中で言論統制が自由であり、相互の監視が徹底してゐますから、国論の統一のためには、
どんな陰鬱な暗澹たる手段を弄することも辞さない。(中略)
そしてアメリカでは御承知のとほり反戦運動が収拾つかないやうな形になつてをり、しかもそれがブラック・パワーの
やうな一種の民族主義的なものと結びついて、ますます国論統一を妨げていく状況です。
(中略)共産圏の有利な事は、人民戦争理論といふものがありますから、自由諸国の正規軍に対して、自分らの方は
不正規軍をもつて不正規戦を戦ふことが出来る。この不正規戦はあくまで人民が主体で、女、子供もこの戦争に
参加します。そして彼等は、いはゆる工作員になつて、全くなにも知らない子供が手紙の走り使ひにつかはれても、
その手紙が重要な秘密文書である場合もある。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
192: 2011/02/21(月)17:33 ID:iJLgyZEX(9/12) AAS
(中略)これで一方では、アメリカ正規軍の兵隊が十人死ぬとする。一方では人民戦争に参加した、あるひは、
ひそかに参加した女、子供が十人死んだとする、その場合にその死の与へる衝撃は女、子供の方が何十倍強い事は
御承知のとほりであります。
(中略)
今言つた事をだいたい要約しますと、共産圏の利点としては、限定戦争下における国論統一の利点、人民戦争理論に
よるヒューマニズムの徹底的利用の利点、この二つが彼等の最大の利点であります。この点については自由諸国内の
マスコミュニケイションは、むしろ共産圏に有利に働くわけであります。(中略)
かういふ点から、自由諸国は二つの最大の失点を初めから自らのうちに包含してゐるんです。これを考へないでは
世界戦略も国際戦略もないといふ事は非常に重要な問題で、これをコンピューターではじいて、物量の上で、
あるひは純戦術的な上で勝つ事が明らかな場合でも、この二つの失点によつて負けるべき事は今までしばしば
省2
193: 2011/02/21(月)22:14 ID:iJLgyZEX(10/12) AAS
日本のことを考へますと、私は日本はやはり、あくまで忘れられたものに対する価値といふものを認識してゐないと
いふ感じがしてしやうがないのです。といふのは、日本も自由諸国の一環でありますから、私は言論統制といふ事には、
非常に反対であります。そして分断国家の場合には共産圏に対する反感、憎悪、あるひは競争意識、かういふものは、
国民に彌漫してをりますし、また、共産圏からも直接的な被害、肉親の殺戮、その他の恐ろしい体験がありますから、
これに対する言論統一はむしろ容易であります。韓国が良い例であり、いろんな分断国家ではさういふ例が見られます。
(中略)さういふ意味で(日本は)非常に言論統一といふ事がむづかしい。もしこれを強行しようとすれば、
非常に人工的な手段を使つて、益々国民の反撃をかふやうな方法でしか出来ないわけでありますから、マスコミ操作と
いふ事自体が難しくなつてくる。これはアメリカも同然であります。ところが日本人には民族精神の統一として、
その団結力の象徴といふものがあるのに、それが宝の持ち腐れになつてゐるといふのは、これは当然天皇の問題で
あります。
省1
194: 2011/02/21(月)22:15 ID:iJLgyZEX(11/12) AAS
またもう一つは、第二のヒューマニズムの利用といふ点につきましても、我々は現代の新憲法下の国家において、
ヒューマニズム以上の国家理念といふものを持たないといふ事によつて苦しんでゐる。先のよど号事件にも
見られましたやうに、韓国や北鮮が非常に鮮明な単純なわかりやすい国家意志を表明したのに、日本政府は、
つひに人命尊重以上の理念を打ち出す事が出来なかつた。これはあくまでも敵に戦略的に負けてゐる事であると
私は思ふのです。といふのは、新憲法の制約が、あくまで人命尊重以上の理念を日本人に持たせないやうに
ぎりぎりに縛りつけてあるからであります。
私がこれから申し上げる防衛問題の前提としてこれを申し上げるのは、我々はヒューマニズムを乗り越えて、
人命より価値のあるもの、人間の命よりももつと尊いものがあるといふ理念を国家の中に内包しなければ
国家たり得ないからであります。これは種々利用されて欠点はありますが、我々は天皇といふものを持つてゐる。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
195: 2011/02/21(月)22:16 ID:iJLgyZEX(12/12) AAS
我々がごく自然な形で団結心が生ずる時の天皇、それから、人命の尊重以上の価値としての天皇の伝統と、この
二つのものを持つてゐながら、これを常にタブーにして手をふれることが出来ないままに戦後体制を持続してきた。
ここに私は共産圏、敵方に対する最大の理論的困難があるにもかかはらず、結局この根本的な問題を是正すること
なしに、ずるずると動いてきてゐることに非常に危機感を持たざるを得ないのです。そして現在の状況は、戦争は
すぐには起りますまいが、ある暴力が発生すると、非暴力といふものが非常にいいことに見えます。(中略)
さういふ点から、左右そのものが平和的な仮面を被つた共産党系と、いろんな点で利用し合ふやうになる。
これは大きな政治の場面でも、向うが平和的な手段にくれば、これを利用することによつて自分も利得をうる。
そして中間にゐる大衆社会はどちらもニュートラルなものとして歓迎する、さういふ状況が出来上つてゐることが
戦略上、非常に私は問題点であると考へます。これは、私は日本の防衛といふものの、先づ基本的な前提として
判つていただきたいと思ふのです。
省1
196: 2011/02/22(火)11:21 ID:ZNtRfI9a(1/7) AAS
第二に今度私は国防理念の問題を申し上げたいと思ひます。それで国防理念の問題としては、我々はつまり物理的な
あるひは物量的な戦略体制といふものに非常に頭が凝り固まつてゐる。例へば中国の核の問題。この核に
対抗する手段が我々には無いわけです。ABMを持たうと思つてもABMは非常に金がかかりますから、ABMを
持つことだけでも大変なことであります。それによつて我々は、集団安全保障といふ理念の中に入つて日米安保
条約によつてアメリカの核戦略体制の中に入るといふことを、国家の安全保障の一つの国是にしてゐるわけです。
ところが、アメリカはABMを持つてをりますが、日本はABMを持つてゐない。従つて核に対しては、我々は
アメリカの対抗手段に頼ることは出来ますが、アメリカの防衛手段から我々は疎外されてゐる訳であります。
我々は防衛手段を自分で持たなければなりませんが、その防衛手段については、あくまでも核の問題が入つて
きますから、非核三原則を原則とする現政府では、それについて核に対抗する核的な防衛手段もまた制限されて
ゐるといはなければなりません。
省1
197: 2011/02/22(火)11:22 ID:ZNtRfI9a(2/7) AAS
ところが集団安全保障と自主防衛との問題が段々出てきますにつれて、この間の矛盾が、私は、国防理念の中で
段々大きなギャップと裂目を露呈してくるのが、これから二、三年の大きな問題ではないかといふふうに考へて
をります。といふのは、沖縄の問題において、我々は自主防衛といふ問題にいやおうなく直面せざるを得ませんが、
自主防衛とは何であるかといふことについて、先づ人々が考へることは、核のことであります。我々は核が無ければ
国を守れない、しかし核は持てない、これは永遠の論理の悪循環で、核が持てないから集団安全保障に頼る外はない。
従つて我々にとつては、純然たる自主防衛といふことは有り得ないんだ。我々の自主防衛といふものは、
集団安全保障の前提付の上で、二次的に自主防衛といふものが、からうじて許されるわけである。かういふ
固定観念が私は非常に強くなつてゐると思ひます。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
198: 2011/02/22(火)11:23 ID:ZNtRfI9a(3/7) AAS
さういふ場合には、新憲法自体が国連憲章の上に成り立つてゐまして、国連の防衛理念といふものが第一になつて
ゐるにもかかはらず、我々は国連軍に参加することも出来ませんから、国連の防衛理念に対しては、片務的であつて、
我々は国連的な防衛理念によつて、自らの手で自らを守る、といふやうな論理矛盾を犯さざるを得ない。
(中略)我々は我々の国を守るのだ、外国の世話にならないで我々のことは、我々でやるんだ、ともかく我々の
この腕の力の限り、やるだけやるといふところが、我々の考へる自主防衛です。しかしこの理論的裏付けとしては
はつきりいつて何も無い。といふのは、もし戦略的に考へれば、そんな事は、不可能だ、だから国連軍に入れば
いいだらう。従つてもし、非常に政治的にいへば、お前はさういつてゐる段階でもうすでにアメリカの戦略的体制に
引つかかつてゐるんだ、お前はアメリカの傭兵になつてゐるんだと、いはれざるを得ないところへ自分を
追ひこむ外はない。自主防衛といふ言葉をさういふふうに使はしてしまつたのは誰の罪だ。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
199: 2011/02/22(火)19:57 ID:ZNtRfI9a(4/7) AAS
(中略)私はこの間、防衛研修所に行つてこの話を大分したのですが、防衛研修所の人達が十週間位にわたつて、
お互に議論してきた結論は実に簡単なことなのです。つまり魂の無い所に武器はない。これは日本の防衛体制を
考へる場合に、魂のない所に武器はないといふ、こんな簡単なことはないんです。ところが、一方では武器が
多ければ魂が無くても安全だといふ考へがある。そして一方では魂が有つても武器が無ければしやうがないのでは
ないかといふ考へがある。いまの日本のいはゆる非武装中立といふ考へが、ある程度非常に観念的ではあります
けれども、日本人のメンタリティーのどつかに訴へてゐるといふのはまさにこの点の矛盾をついてゐるからだらうと
思ひます。といふのは、魂のないやつがいくら武器をもつてもしやうがないから武器をもたんでおかう、といふ
事になれば実際おつしやるとほり何ともいひやうがない。しかし防衛問題のキーポイントは、魂と武器とを
結合させることであります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
200: 2011/02/22(火)19:59 ID:ZNtRfI9a(5/7) AAS
(中略)
ところが、核兵器が発明されましてからモラルと兵器といふものが無限に離れてしまつた。といふのは使へない
からです。我々は人間が使へない武器を持つた時に、人間の思想と道徳の問題が最大の危機に直面したといふ
ふうに私は考へる。といふのは、使へない武器は恫喝にすぎませんから、恫喝によつて、どんな嘘も可能になる。
例へば膨大な核基地が何処かにあるといふことが、察知されますと、敵側からスパイを派遣してこれを察知するでせう。
あらゆる方法で情報を集めてこの核基地の所在を発見しようとするでせう。ところがこの核基地の所在が本当は
無くてもいいんです。無くても絶対ここにあると信じれば充分恫喝になるのですから、核兵器といふものは、
最終的にいへば、無くてもいいんです。あるぞといつてゐるだけで嚇かされるんです。勿論昔の法科をお出に
なつた方は、秋刀魚をもつて強盗に入つた場合に、強盗に入られた方がこれを凶器だと思つて間違へて金を
出した場合、これはどうなるのだといふ問題を出されたと思ふのです。
省1
201: 2011/02/22(火)20:00 ID:ZNtRfI9a(6/7) AAS
これは刑法上昔から錯誤の問題として出される珍問題の一つですが、核とは秋刀魚と同じやうな形をもつてゐる。
持たなくても持つてゐると嚇かすだけで効果がある。この場合には、核といふものはつまり心理的な武器になり、
人間の心理に嘘をつかせる、そして嘘であつても、とにかく恫喝されるといふ目的が達せられればいいので
ありますから、証明するやうな材料が最終的に無ければ無い程有利であるわけです。
これは、沖縄問題で非常によく出たと思ふのであります。といふのは佐藤さんがアメリカにいらした時に、沖縄の
核兵器の基地を撤去するかしないかの問題を新聞記者会見でつつこまれました。この問題についてはわれわれは
両国間の暗黙の腹芸としていへないとおつしやつた。これは勿論です。いへないことが核兵器の面白いところです。
もし、これが普通の武器でしたら使ふ武器ですから、ここに日本刀が三挺あるぞ、ここに機関銃が三挺あるぞと
いつた方が有利なはずです。それなのにいへないところに核の面白さがある。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
202: 2011/02/22(火)20:01 ID:ZNtRfI9a(7/7) AAS
ここで私は武器と魂、武器とモラルといふものの結び付きが非常にこはれてきた、それと同時に国民精神といふ
ものに対する影響が核によつて非常にマイナスに働いてきたと思ひます。といふのは国民精神といふのは正直な
ものです。国民が一心団結して火の玉になつて敵国にあたらう、あるひは国を守らうといふ時には、それの
よりどころとして日本には昔、日本刀があつたんです。あるひは、アメリカには、フロンティア・スピリットが
あつてピストルといふものを彼等は持つてゐます。そこに己の存在をかけますから、おれは命をはつてもこの
モラルを守るといふやうな気構へがある。しかし、あるかないか分からんものに対して、どうして人間はモラルを
かけることが出来るか。自分の全生涯をかけることが出来るか。そこに国民精神分裂の一つの原因とモラルの
退廃が潜んできた。
そこに参りますと、コンベンショナル・ウェポンといふものの戦略上の価値をもう一つ復活すべきではないだらうか。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
203: 2011/02/23(水)16:53 ID:7jsSUgIC(1/3) AAS
人民戦争理論でなくて核でなくて、日本が闘へる、しかし一歩も日本によせつけないといふものを考へますと、
これは、私は英語を使つたコンベンショナル・ウェポンでなくて、日本には日本刀といふものがあるではないか、
日本刀で充分だと云ふ考へに到達せざるを得ない。私は、かういふのは単に比喩としていつてゐるのであつて、
日本は、日本刀だけで守れるとは限りませんから、五十歩百歩と云ふことを考へれば、たとへ非核ミサイルを
持つても、地対地ミサイルを持つても、地対空ミサイルを持つても、核でないから日本刀と同じことなのです。
全く同じことなのです。それならば日本刀の原理といふものを復活しなければ、どうしたつて防衛問題の根本的な
ものは出てこないんです。(中略)使へる武器だけを持つてゐるのは日本の利点だと考へなければいけない。
(中略)そしてここにつまり武士と武器といふものを、武士と魂とを結びつけることができなければ、日本の
防衛体制は全く空虚なものになつてしまふ、といふところが私の考へてゐる最終的のところです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 308 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.014s