◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
◆三島由紀夫の遺訓◆ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/
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334: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/19(火) 16:49:38.64 ID:g/qmgT6y これが新左翼の攻撃するところとなり、そのもつとも喜劇的な一例としては、次のやうなのがある。或る有名な 左派の政治学者は、戦後二十年、ファシズムと軍国主義以上に悪いものはないと主張する政治学で人気を得てゐたが、 新左翼の学生に研究室を荒らされ、頭をポカリとなぐられたとき、「ファシストもこれほど暴虐でなかつた。 軍閥でさへ研究室まで荒らさなかつた」と叫んだ。二十年間彼が描きつづけた悪魔以上の悪魔が、他ならぬ彼の 学説上の弟子の間から現はれたといふわけだ。 日本民族の独立を主張し、アメリカ軍基地に反対し、安保条約に反対し、沖縄を即時返還せよ、と叫ぶ者は、 外国の常識では、ナショナリストで右翼であらう。ところが日本では、彼は左翼で共産主義者なのである。 十八番のナショナリズムをすつかり左翼に奪はれてしまつた伝統的右翼の或る一派は、アメリカの原子力空母 エンタープライズ号の寄港反対の左翼デモに対抗するため、左手にアメリカの国旗を、右手に日本の国旗を持つて 勇んで出かけた。これではまるでオペラの舞台のマダム・バタフライの子供である。 三島由紀夫「STAGE-LEFT IS RIGHT FROM AUDIENCE」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/334
335: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/19(火) 16:50:04.22 ID:g/qmgT6y (中略) 私は暴力の支配する大学に招かれて、ラジカル・レフティストの学生たちと論争したが、かれらは誇張した 言語表現では伝統的支那風であり、人民裁判方式の愛好者たる点では現代共産中国風であり、日本の伝統否定では インターナショナリストであり、テロリズム肯定では日本のサムラヒ風右翼風であり、論理愛好癖では西欧風であり、 しかもすべて共産主義者を以て自認してゐた。 日本のヤクザ映画と称する特殊な映画は、伝統的アウトローの世界を描き、古い日本的メンタリティーを押し売りし、 感傷主義とヒロイズム、暴力肯定と非論理性において、もつとも右翼的日本的心情主義に愬(うつた)へるものとして、 左翼文化人が頭から軽蔑してきたものであるが、その日本型ジョン・ウェインは学生たちのアイドルになり、 左派の学生は暴力デモに出かける前夜、必ずこの種の映画を見に行つて、熱情を心に充填するのである。 次第次第に日本では、誰が右翼、誰が左翼と簡単にレッテルを貼ることがむづかしくなつてきた。 三島由紀夫「STAGE-LEFT IS RIGHT FROM AUDIENCE」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/335
336: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/19(火) 16:53:28.12 ID:g/qmgT6y イデオロギーの相互循環作用が起り、極端な右と極端な左が近づくかと思ふと、現在穏健な議会主義的革命を 主張してゐる偽善的な日本共産党が、大学問題などで、政府自民党と利害を等しくするやうになつたりしてゐる。(中略) かういふややこしいイデオロギーの循環作用は、日本で百数十年前に起つた現象とよく似てゐる。明治維新前の 日本には、四つのイデオロギーが、四つ巴になつてゐた。すなはち、佐幕、開国、尊皇、攘夷である。(中略) 尊皇開国、佐幕攘夷、尊皇佐幕、(さすがに開国攘夷だけはなかつたが)、などといふ各派があらはれ、しかも この各派を、短期間に廻りあるく人間まであらはれた。そして明治維新の大変革によつて成立した新政府は、 はつきり「尊皇開国」のイデオロギーをかかげて、統一国家を形成したのである。 (中略)しかし日本の歴史が証明するところによると、日本といふ国は決して内発的な革命を敢行しない国であつて、 必ず日本に起るのは、外発的な革命、すなはち外国の軍事的政治的経済的思想的な衝撃力によつて、やむをえず 起された革命なのである。 三島由紀夫「STAGE-LEFT IS RIGHT FROM AUDIENCE」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/336
337: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/23(土) 19:03:04.83 ID:VMTj4RHR 宝田明は美味そうだ。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/337
338: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/26(火) 14:46:24.35 ID:RO7IWUD6 僕は今でも吉田茂は偉い人だと思うけど、明治以降の日本の歴史で、あんなに日本人の欺瞞をうまく成功させたのは、 あの人だけでしょう。それはどこから学んだかというと、イギリスですね。日本の政治家は少なくとも正義、 真実あるいは誠実という顔をしていなければならなかったのに、吉田茂の時代には国民全体が欺瞞の精神に 味方をした。あんなにアメリカ人をもてあそんだ人はいないよ。それにまたみごとに乗せることができたのは、 イギリス的な教養が彼にあったからだけど、イギリス的な教養は日本の昭和の歴史のなかでは、いつも無力だった。 いつも国家主義者の怨嗟の的であり、日和見主義、無力の良識、不決断の象徴であった。 ところが吉田茂は、 そのイギリス的な教養を逆に使って、欺瞞にうまく役立てた。これは近代史のなかで、面白い時代だと思う。 三島由紀夫 野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/338
339: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/26(火) 14:47:55.07 ID:RO7IWUD6 あんなに日本人のなかで、欺瞞がうまくいった時代はなかったと思う。それからあとはだめです。政治家が どんな欺瞞をやっても、国民がついてゆかない。国民の考えていることと、欺瞞とがみごとに一致した時代は もうこないでしょう。今はただ欺瞞と腐敗があるだけで、国民はだれもが味方をしていない。あなたも、そして 僕も怒っているのは、それですよ。欺瞞のまま、これからどこへゆくかということは心配でしょう。 三島由紀夫 野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/339
340: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/26(火) 15:02:46.78 ID:RO7IWUD6 僕は最近、神風連を興味をもって調べたんだけど、あれは絶対に勝つ見込みがない戦争を仕掛けたんだね。 しかも日本刀だけしか使わない。鉄砲は外国からきたものだから、汚れているといって使わない。熊本の鎮台に 対して戦うんだ。初めは奇襲で少し勝つけど、相手は鉄砲をもって攻めてくるから、所詮、勝負は決まってるわけだ。 なぜ日本刀だけで、負けると解ってる戦争をやったか。僕はね、それはやっぱり彼らがインテリゲンチャだった からだと思う。インテリゲンチャというものは、そういうものなんだね。つまり計算して、こうだからやると いうのは生活者の考え方なんだね。生活者の考えと、インテリゲンチャの考えはいつも違うんだ。あなたが どっちの立場に徹するかということは大問題だと思う。 三島由紀夫 野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/340
341: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/26(火) 15:13:27.35 ID:RO7IWUD6 生活者に徹すれば、日本は価値のない国、戦争にも抵抗できないという生活者の知恵でみるだろうね。神風連の 事件は、生活者にはできないもので、日本の近代インテリゲンチャの思想の源流なんです。(中略) あなたがもし、もう一つ芸術家の立場を完全にもたなければならないということになったら、生活者の知恵だけでは 足りない何かが出てくる。そのときはバカなことでも、絶対に敗北するとわかってる戦いでもやらなければ ならなくなってくる。 言葉だけの思想的な主張ないしは思想的な説得力には、僕は昔から疑問をもっている。腕力があり、剣があって、 初めて自分の思想が貫かれるのだろう。最後に人間の顔と顔とが、ぴたっとむかいあったときは、言葉は役に 立たないと思う。やっぱりそのときには剣がものをいうだろうね。文筆業者はそこへゆくまでのことを一所懸命、 言葉で考えてる人間なんだけど、それで言葉が最終的に役に立つと思ったら間違いだと思う。 三島由紀夫 野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/341
342: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/27(水) 11:50:44.93 ID:576oCG8+ 僕は「仮面の告白」以来、小説というのはやっぱり人生を解決する、あるいは人生を料理するものだという考えが 抜けないね。どんなに唯美的に見えても、その小説が何か作家の行動であって、一種の世界解釈だという考えは 抜けないね。ほんとうに生きるということと同じなんだから、それは唯美的に見える作家のほうがかえって強く 持っている考えであるかもしれない。ほんとうの意味のつめたい客観性というものは持てないですよ。 日本人というのは方法論がないかわりに、無意識の形式意欲がある。無意識の形式意欲に対する日本人独特の 感覚的な厳しい意欲がある。そしてある新しいものが入ってくると、日本人は無意識にそれを形式的に キャッチしようと思う。(中略)小林秀雄がフォルム、フォルムとしきりに言うけど、日本人の直感的なものだね。 三島由紀夫 石原慎太郎との対談「七年目の対話」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/342
343: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/27(水) 12:00:47.47 ID:576oCG8+ あらゆる忠義によるラジカルな行動を認めなければ、天皇制の本質を逸すると僕は言っているわけです。 場合によっては共産革命だって、もし錦旗革命だったら天皇は認めなければならないでしょうね。天皇制の 本質なのかもしれませんよ。それをよく知らないで、右翼だとかファッショだといってバカにしきって戦後共産党が やっていたのは共産党がバカだといいたいね。米のなかった時代に朕はたらふく食った、汝国民は飢えていろなどと いう代りに、何で赤旗をもって宮城前で天皇陛下万歳をやらなかったかといいたい。あそこで陛下の帽子を ふっているあとを追いかけていって革命を成功させなかったか、それをやらなかったからこそいまこういう目に あっている。 彼らは天皇制護持を平気で言えるという時点まで踏み切れない。だから日本の共産党はダメなんだ。天皇制護持まで できれば成功していたし、第一党になっていただろうと思うが。彼らに言わせれば、まあ惜しいことをした。 しかしもう遅い。 三島由紀夫 大島渚との対談「ファシストか革命家か」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/343
344: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/27(水) 12:04:14.09 ID:576oCG8+ 安保賛成、新憲法賛成というのは福祉の原理だよ。つまり家にテレビ置いて、マイカー置いて、ピクニックやって 安心したいという。安保反対、新憲法反対というのは民族自立の原理だ、ロジックとしては。どうしてそういう風に ならないであんな風(安保反対、新憲法守れ)になっているのかということにを言っているのだけど、(中略) 守れ、守れだけじゃダメなんだ。一番汚らしいと思うね。大江健三郎は守れの犠牲になっていますよ。戦後を守れ、 民主主義を守れを文学でやるのは方法がまちがっている。なぜなら守るというのは剣の使命であって、言葉の 使命ではないからだ。言葉はただ刺すだけだ。守ろうと思ったら、剣を執らなきゃだめだ。(中略) 大江君も今度の「万延元年のフットボール」でも、右翼の劇団に属して渡米し、帰って来てマーケットを襲う弟に 憧れと愛情をつよく持っていますよ。大変なアフェクションだ。これは矛盾していますね。 三島由紀夫 大島渚との対談「ファシストか革命家か」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/344
345: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/28(木) 04:45:46.91 ID:ElPLsMZQ 宝田明が天皇陛下ならよかったなあ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/345
346: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/30(土) 11:02:51.57 ID:I/SlWehr 子供の遊びは無目的、それでいて真剣そのものでしょう。夕方、御飯になって遊びと別れるときの、あの辛さ、 ああいう辛さがなかったら、文学はビジネスにすぎなくなる。御飯は生活です。誰でも御飯はたべなくちゃならない。 しかし「御飯ですよ」と呼ばれるまで、御飯の時間を忘れていられるような真剣な遊びを毎日みつけなくてはね。 市民というものは何を売っても、肉をひさぐことはしない。しかし芸術家というものはそれをどうしても やらなければならないんですね。そこに市民と芸術家のちがいがある。 色気があり過ぎてもだめ、なさ過ぎてもだめだと思いますが……。あまりあり過ぎると、女蕩(たら)しになる。 生活者になってしまうと思う。生活者になれない程度の色気のなさ、そうかといって考古学者にもなれない色気の あり方、そういう微妙なところで小説は書けて行くのではないか。 三島由紀夫 久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/346
347: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/04/30(土) 11:04:57.04 ID:I/SlWehr 美は恐ろしいですよ。女も恐ろしいけど……。ただ市民は美を恐ろしいと思わない人種だと思うんだが、やはり 市民は電気冷蔵庫のデザインが美しいとか、1951年型の自動車のデザインが美しいとか、そういう 怖ろしくない美しか理解しない。自分の生活を脅かすようなものを決して美しいと思うな、というのが市民の 修身です。やはり美に脅かされるということが芸術家で、市民になれない最後の一線でしょう。 幸福というものは掴んだ瞬間になくなるからといって諦めるのは、卑怯だと思う。 大体、人体というこんな複雑な機械が故障なく動いてるということは幸福ですよ。そのためには一億くらいの 条件がそろわなければ、こんなことを喋っていられるコンディションにならないんだ。これはある意味で幸福だな。 第一、人間は幸福でなければ生きていませんよ。 三島由紀夫 久米正雄・林房雄との対談「人生問答」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/347
348: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/05/23(月) 10:48:42.62 ID:txEd4IWA 小説を書くというのは、ことばの世界で自分の信ずる「あすのない世界」を書くことですね。そして、あすの ない世界というのは、この現実にはありえない。戦争中はありえたかもしれないけれども、今はありえない。 今、われわれは、来週の水曜日に帝国ホテルで会いましょうという約束をするでしょう。戦争中は、来週の 水曜日に帝国ホテルで会いましょうといったって、会えるか会えないか、空襲でもあればそれまでなんで、 その日になってみなきゃ、わからない。それが、つまりぼくの文学の原質なのですけれども、今は、来週の水曜日、 帝国ホテルで会えること、ほぼ確実ですよね。そして文学は、ぼくのなかでは依然として、来週の水曜日、 帝国ホテルで会えるかどうかわからないという一点に、基準がある。それがぼくの、小説を書く根本原理です。 ぼくは文学では、そういう世界を、どうでも保っていくつもりです。それはぼくの悲劇理念なのです。 三島由紀夫 三好行雄との対談「三島文学の背景」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/348
349: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/05/23(月) 10:49:43.09 ID:txEd4IWA 悲劇というのは、必然性と不可避性をもって破滅へ進んでゆく以外、何もない。人間が自分の負ったもの、 自分に負わされたもの、そういうもの全部しょって、不可避性と必然性に向かって進んでゆく。ところが現実生活は、 必然性と不可避性をほとんど避けた形で進行している。偶然性と可避性といいますか、そうして今の柔構造の 社会では、とくにそういうような、ハプニングと、それから、可避性といいますか、こうしなくてもいいんだ ということ、そういうことで全部、実生活が規制されてしまう。 そうするとわれわれも、ある程度、その法則に則って生活しなくては生きられないわけですから。それで来週の 水曜日、帝国ホテルで会うということについても、ある程度、迂回作戦をとりながら、その現実に到達するために 努力する。ところが、芸術では、そんなことする必要はまったくないのですから、来週の水曜日、会えないところへ しぼればいいわけですよね。ぼくにとっては、そういう世界が絶対、必要なのです。それがなければぼくは、 生きられない。 三島由紀夫 三好行雄との対談「三島文学の背景」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/349
350: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/05/23(月) 10:50:59.21 ID:txEd4IWA (中略) ぼくの小説があまりに演劇的だ、と批評する人もありますけれども、必然性の意図と不可避性の意図が、ギリギリに しぼられていなければ、文学世界というもの、ぼくは築く気がしない。それはぼくの構想力の問題であり、 文体の問題でもあるんですが、あるいは、法律を勉強したのが多少、役にたっているかもしれません。犯罪が 起これば、これは刑事事件ですから、そこで刑事訴訟のプロセスが進行するわけでしょ。これは完全に、必然性と 不可避性の意図のなかに人間をとじこめてしまいますからね。そういうものがぼくにとっては、ロマンティックな 構想の原動力になるので、私の場合「小説」というものはみんな、演劇的なのです。わき目もふらず破滅に 向かって突進するんですよね。そういう人間だけが美しくて、わき目をするやつはみんな、愚物か、醜悪なんです。 三島由紀夫 三好行雄との対談「三島文学の背景」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/350
351: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/05/23(月) 10:51:44.12 ID:txEd4IWA ヴァレリーもいってるように、作家というのは、作品の原因でなくて、作品の結果ですからね。自己に不可避性を 課したり、必然性を課したりするのは、なかば、作品の結果です。ですけれども、そういう結果は、ぼくはむしろ、 自分の“運命”として甘受したほうがいいと思います。それを避けたりなんかするよりも、むしろ、自分の 望んだことなんですから……。生活が芸術の原理によって規制されれば、芸術家として、こんな本望はない。 ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、ばかばかしくみえようと、気違いじみてみえようと、それはけっきょく、 自分の作品が累積されたことからくる必然的な結果でしょう。ところがそれは、太宰治のような意味とは、 違うわけです。ぼくは芸術と生活の法則を、完全に分けて、出発したんだ。しかし、その芸術の結果が、生活に ある必然を命ずれば、それは実は芸術の結果ではなくて、運命なのだ。というふうに考える。 三島由紀夫 三好行雄との対談「三島文学の背景」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/351
352: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/05/23(月) 10:52:45.75 ID:txEd4IWA それはあたかも、戦争中、ぼくが運命というものを切実に感じたのと同じように、感ずる。つまり、運命を 清算するといいましょうか。そういうふうにしなければ、生きられない。運命を感じてない人間なんて、 ナメクジかナマコみたいに、気味が悪い。 「新潮」の二月号に西尾幹二さんがとてもいい評論を書いている。芸術と生活の二元論というものを、私が どういうふうに扱ったか、だれがどういうふうに扱ったかについて書いている。日本でいちばん理解しにくい考えは、 それなんですよね。それで、作品と生活との相関関係ということが、私小説の根本理念ですから、その相関関係を 断ち切ることは、絶対できない。私の場合は、作品における告白ももちろん重要ですけれども、実は告白自体が フィクションになる。作品の世界は、さっきも申し上げたように、かくあるべき人生の姿ですからね。もし、 自分が作品に影響されてかくあるべき人生を実現できれば、こんないいことはないわけですけれども、逆に そうなれないというのが、人生でしょ。 三島由紀夫 三好行雄との対談「三島文学の背景」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/352
353: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2011/05/23(月) 10:55:35.86 ID:txEd4IWA そうなれないことが人生で、それでは、そうなれない人生をもっと問題にして、どうにもならんことを小説に 書けばいいではないか、という考え方も出てくると思う。しかし、ぼくは、それは絶対やりたくないですね。 死んでも、やりたくない。そういうことを書く作家というのが、きらいなのです。小島信夫の「抱擁家族」などと いうのは、そうならない人生を一生懸命書いているわけです。そうなれない怨念を書くのが文学だとは、ぼくは 決して信じたくない。 文学というのは、あくまで、そうなるべき世界を実現するものだと信じている。告白といいますけれども、告白も、 かくあるべきだ、こうなりたいんだ、けれども、こうならなかったという、それを語るのが、告白であって、 告白と願望との関係は、ひと筋なわではゆかないと思いますよ。人はいつでも、告白するとき、うそをついて、 願望を織り込んでしまうと思うのです。 三島由紀夫 三好行雄との対談「三島文学の背景」より http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1296353789/353
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