他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 17 (404レス)
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128: 2019/06/11(火)20:45 ID:sQEBcB1Q(39/71) AAS

戦後といっても昭和三十年代までは戦前と同じである。
すべて石油によって変わったと思えば早分かりである。
三井三池の大ストライキ(昭和三十四年)は石炭が石油に変わったということで、
石炭は高いが石油はただ同然で、その石油を採用することによってわが高度成長は成ったのである。

したがって三井三池の血を血で洗うストライキは無益だったのである。
失業者の救済策だけ講じればよかったのである。このときマスコミが果した役割を思い出してみるといい。
一大決戦みたいなことを書き、負けるに決まった戦さを勝った勝ったと書くこと戦時中のようだった。

山本夏彦
129: 2019/06/11(火)20:46 ID:sQEBcB1Q(40/71) AAS

新聞は常に野党的である。これは旧幕臣で才あるものが新聞をおこしたから自然である。
新聞の反体制の根は遠くここにある。反政府でなければ「御用新聞」と同業にも読者にも見放された。
徳富蘇峰の国民新聞は日露戦争でわが国はすでに弾薬も兵糧も尽きている。この講和条約は渡りに舟であるから
結べと書いて、勝った勝ったと浮かれている読者の激昂にあって焼打ちされた。
社員は畳を盾に抜刀して応戦したと伝えられる。当時一流の新聞は徳富と同じ情報を得ていた。
講和やむなしと思いながら暴徒を恐れて徳富を見殺しにした。
国民新聞は御用新聞と言われて部数は激減して他は激増した。

新聞ははじめ薩長の藩閥政治反対の論陣を張った。薩長政府が去って政党政治に移ると、
今度は政党の汚職を連日あばいて政治家を「財閥の走狗、利権の亡者」と糾弾した。
省4
130: 2019/06/11(火)20:46 ID:sQEBcB1Q(41/71) AAS

五・一五、二・二六両事件の青年将校は、まじめと正義の権化だった。
話せばわかるまあ坐れと犬養毅は言ったが、問答は無用だ撃てと命じてなお正義だった。

まじめということはよいことだと思われているが、実は悪いことなのだ。
まじめと正義は仲良だ、したがって正義も悪いことなのだ。人は何より金を欲すつというが、
実はもっと正義を欲する。大好きな正義!正義は潔白の仲間だ、そして潔白は残念なのだ。

山本夏彦
131: 2019/06/11(火)20:47 ID:sQEBcB1Q(42/71) AAS

来世は男に生まれたいかと女に問うと、戦前はみんな男に生まれたいと答えた。
「人生婦人の身となることなかれ、百年の苦楽他人(夫)による」と唐代の詩人はうたったから、
千何百年も前からそうだったのだろう。女はソンで男はトクだと思っていたが、戦後は反対になった。
来世も女に生まれたいと答える女がふえたが、今は十人中九人までは再び女に生まれたいと答える。
どうしてと聞いても「どうしても」と言って要領を得ない。
稀代の美男に生まれて慕いよる娘を人妻を、片はしから犯したらさぞよかろうと言っても、
やはり女のほうがいいと笑って承知しない。

まれに一年間だけなら男に生まれてもよいがそれ以上はいや、もとの女に返りたいという娘がある。
これはまだ男を知らぬ女だ。男を知った女に問うと男は哀れだからと言う。
省2
132: 2019/06/11(火)20:47 ID:sQEBcB1Q(43/71) AAS

自分がその席に坐ったら必ずとるワイロを、坐れなかったばっかりに鋭く追及するのが正義か、
さすがに食傷してこのごろは読んでもうわの空になった。そしたらあろうことか検察官の頭株が汚職した。
そもそも検察を正義のかたまりだと思うのは迷信ではないのか。外務官僚その他と友でないのか。


痛烈というのは自分のことは棚にあげ、他を論難攻撃することである。
辻元清美女史は鈴木宗男議員を追いつめて、痛烈だったという。
(中略)今度は自分の政策秘書の給金の猫ババが露呈して、弁明も出来なかったという。
痛烈の正体をこれほど短時間に見ながら、なお人は痛烈が大好きなのである。


省10
133: 2019/06/11(火)20:51 ID:sQEBcB1Q(44/71) AAS

人の患いは好んで人の師となるに在りとシナの賢人が言っている。
人生教師になるなかれと私は教師の口もとを見て思うことがしばしばある。


旧幕のころは〜遣米使節木村摂津守、村垣淡路守の日誌をのちに読んで知った。
異人に伍してよく自己を失わず摂津守のごときは頭のてっぺんから足のつまさきまで貴人だと、
かの地の新聞に書かれた。「草の葉」の詩人ホイットマンは日本使節をたたえる詩を書いた。


論より証拠というのは昔のことで、今は証拠より論の時代だとは何度も言った。
論じれば証拠なんかどうにでもなる。
省9
134: 2019/06/11(火)20:52 ID:sQEBcB1Q(45/71) AAS

大正デモクラシーというのはブルーカラーを低く見た時代で、
商人をバカにしてホワイトカラーを高くみた。
これは今も続いている。そろばんの動きを教えないのがいい学校だなんてその極みである。


社員でさえ読まない本 社史


駅のそばの丸井はもとは月賦屋といわれてさげすまれていた。
中野の店の二階の天井は昭和二十年代にぬけおちた。朽ちていたのである。
それがクレジットと称して一躍恥ずべきものでなくなった。ネーミングにはこれだけの力がある。
省11
135: 2019/06/11(火)20:52 ID:sQEBcB1Q(46/71) AAS

「神州清潔の民」という言葉なら、私は子供のときから知っていた。
してみれば西洋人は不潔の民なのかとけげんに思った。
戦国乱世のころわが国に布教に来たフロイス以下の宣教師は、
日本人の入浴好きに驚き、街路に塵ひとつとどめないのに驚き、
皆々巧みに箸をつかって食事するのに驚いた。


ロケーションをしてだれに監督させるか、それにいくら払ったらいいか見当がつかないから、
いっさいを電通または博報堂にまかせる。三千万円のCFならそれなりの見積がでる。
コピーライターだのスタイルストだの髪結いだのはこの見積のなかにもぐりこんだから、
省12
136: 2019/06/11(火)20:53 ID:sQEBcB1Q(47/71) AAS

多く雑誌を出していれば松下グループの広告だけで毎月一億や二億にはなる。
テレビラジオならもっと莫大になる。それを総引き揚げするぞと言われたら松下の批評はできなくなる。
私は浅薄な正義は嫌いだが、こんな脅迫に屈するのはもっと嫌いだから今これを書く気になったのである。


花森安治は耳で聞いて分かる言葉を使え、全部ひら仮名で書いてみて、そのままで分かる言葉を使え。
いい文章を暗記せよ。写せ。英和辞典に出ている言葉は日本語だと思うなと叱咤したという。
そっくりそのまま新聞記事の批評である。テレビのコピーの批評である。


日本人はいつからニセ日本人になったか、私は怪しんで少年のころからじっと見守っていた。
省13
137: 2019/06/11(火)20:54 ID:sQEBcB1Q(48/71) AAS

新聞は、ことに朝日新聞は終始社会主義の味方だった。日教組を手なずけたのは大成功だった。
入試試験は朝日から出るぞとおどして部数をふやした。国鉄民営化にも反対した。


動労は国民に見放されたのになお千葉動労だけでもゼネストはできる、全国の動労に千葉動労の同志がいる、
その一人が一本ずつ犬くぎを抜けば、即ちゼネストだと豪語したが、
さすがに民心は離れたと見たのだろう新聞は全く書かなくなった。
報道がなければその言は存在しない。


新聞は近く日教組を見捨てる。その兆しはすでに投書欄にあらわれているとはいつぞや書いた。
省10
138: 2019/06/11(火)20:54 ID:sQEBcB1Q(49/71) AAS

60年安保のたぐいはわが国の独立運動ではなかった。ソ連または中国の属国になって、
宗主国から首相に任命されて、にこにこして組閣する写真を見たような気がする、
どうしてこんな事になったか。日本人のすべては日米戦争なんかのぞんでいなかったからだ、
あの時我らはすでに「ニセ毛唐」だったのだ。


キャンペーンと称して正義と良心を読者に強い、賛成して共に言うならよし、
なお言わないと読者は読者を村八分にした。書き手と読み手はぐるなのである。


私が正義をほとんど憎むのは、自分のことを棚にあげて初めて正義だからである。
省13
139: 2019/06/11(火)20:55 ID:sQEBcB1Q(50/71) AAS

工場や機械があればそれをかたに銀行は金を貸す。
プランには影も形もないから戦前の銀行は出版には全く貸さなかった。当然である。
戦後貸すようになったのは銀行の堕落だとは前に言った。出版と印刷(製本も)の違いを、
ひと口で言うと右の通りである。何事ごとも複雑に考えないほうがいい。


マスコミが印刷製本を一段下に見るのは奇怪だと、私は昔から不承知でこの世の中で
全く論じられないものの一つに印刷業と印刷術があると書いた。
(中略)出版と印刷の違いを、ひと口で言うと印刷には工場がある、機械がある、
出版には何もない。机と電話とプランがありさえすば〜出版たちどころに成る。
省18
140: 2019/06/11(火)20:55 ID:sQEBcB1Q(51/71) AAS

配給のキリンビールのラベルが墨一色になったのを見て、この戦争も終わりだなと思ったことは以前書いた。


「文章は経国の大業、不朽の盛時」という言葉がある。このごろ絶えて言わなくなったが、昔はよく言った。
文章は不滅であとまで残るというほどのことだから、恥ずかしくて言わなくなったのである。
文章は俗論に反することを述べるものだといえばお分かりだろう。


唐突だが戦前は職業婦人といった。どういうわけか電話の交換手は明治の昔から娘だった。
百貨店の売子、銀行の窓口嬢、昭和になってからはバス・ガールがあった。
いずれも志願者が多く、それをいいことに薄給だった。ただ高給をとったのは派出看護婦で、
省5
141: 2019/06/11(火)20:55 ID:sQEBcB1Q(52/71) AAS

新時代の堕落は、旧時代の堕落に負うところが多い。


犬猫でさえ人類よりましである。第一彼らは銭を持たない、従って売淫しない、戦争しない。


空腹と空腹感は、本来別物だそうだ。


青少年のくせに、何らかの反逆と革新の気概がなく、テレビにうつつをぬかすなら、フヌケである。


新薬の出現によって、百年このかた人は死ななくなった。ほんとは死ぬべき人が、生きてこの世を歩いている。
省20
142: 2019/06/11(火)20:56 ID:sQEBcB1Q(53/71) AAS

俗に自分のことは他人の目で見よというが、いくら他人になっても、他人もまた人である。


居ながら見られるのは便利だが、病人じゃあるまいし、映画や芝居くらい見物に出かけてはどうか。


自動車にもとづいた未来の都市計画案は、私には荒涼たる無人の廃墟に見えます。


その末端にあるカーをクーラーをテレビを享楽して、てっぺんの原爆だけ許すまじと
歌っても、そうは問屋がおろさぬと言ったことがある。


省19
143: 2019/06/11(火)22:20 ID:sQEBcB1Q(54/71) AAS

大げさに言えば、このまずはめでたいの、まずはのなかに、千万無量の思いがこもっている


「春秋に義戦なし」と古人は言ったが、この世の中にニュースはないと、ながめて私は
楽しまないのである。


その席にすわらなかった、あるいはすわれなかったばかりに吐く正論を、私は謹聴しない。


おめず臆せず自分の見たところを言うものは、ばかでなければ勇気あるものである。


省19
144: 2019/06/11(火)22:20 ID:sQEBcB1Q(55/71) AAS

事故を未然に防ぐ親切から作ったと、この悪意は親切を装うほどの悪意である。


女たちは男たちの上品が、口さきだけなのを知っている。


何の目的も学問もないものが、海外に遊んでも得るところはない。大仕掛けな「はとバス」に
乗ったようなもので、故に私は海外に旅しない。


生れるのが自然なら死ぬのもまた自然なのに、こんなに死ににくくなった時代はない。


省18
145: 2019/06/11(火)22:23 ID:sQEBcB1Q(56/71) AAS

論より証拠というのは昔のことで、今は証拠より論の時代だとは何度も言った。
論じれば証拠なんかどうにでもなる。


社員がかけつけるのは見舞のためではない。払わぬ理由をさがすためである。


いくらいいと言われてもキチガイじゃあるまいし、
新聞に求められて原稿料をもらってその紙上に新聞の悪口を書けるものではない。


ひとの懐を勘定して羨むのはいやしむべきことだが、人は本来いやしい存在である。
省19
146: 2019/06/11(火)22:23 ID:sQEBcB1Q(57/71) AAS

私たちが預金をそのままにしておくのは、稼業にはげんだほうがもし成功すればなまじな
利殖よりはるか有利だからである。それにまっ当だからである。


父母が生きているかぎり子と孫は歓迎されるが死んだらされない。


今年の魚が毒なら昨年の魚も毒だろう来年の魚も毒に違いない、魚食うべしいくらでもと
私が書いたら婦人たちはとびかかろうとしたが、そのうちそっぽを向くようになった。


ことに正義は自分にあって相手にないと思うと居丈高になる。
省20
147: 2019/06/11(火)22:24 ID:sQEBcB1Q(58/71) AAS

自分のよく知ることを全く知らない人に知らせることを、難なく出来ると思う人は絶対に出来ない人である。


世間には笑われておぼえることが山ほどあるのである。


いまの私たちの老後の諸問題は昔はみな孝が始末していたものである。


狼に育てられた子供に似て言葉はあとから教えても身につかない。


短くする発想がないのはけげんである。長いばかりが能ではないぞ。
省20
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