他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 17 (404レス)
他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 17 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/
上
下
前
次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
99: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 18:39:28.63 ID:sQEBcB1Q ★ たとえ、どんなにそれが小さかろうと、 ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、 そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、 なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。 ★ おたがいにコンクリートの壁で作った隠れ家の中にひそんで、 仕方なしに毎晩毎晩編隊を送っては、相手の心臓部を爆撃し、 その生命の根源を破壊し、その生産と流通を不随ならしめる。 勝利
は最後に腐るほうの側にある。 しかも双方とも、たいていは同時に腐ってしまうのだ。 ★ 戦争はぼくらを欺く。憎悪は、競争の昂揚に、何ものをも加えはしない。 ★ イデオロギーを論じあってみたところで、何になるだろう? すべては、立証しうるかもしれないが、またすべては反証しうるのだ。 しかもこの種の論争は、人間の幸福を絶望に導くだけだ。 それに人間は、いたるところぼくらの周囲で、同じ欲求を見せているのだ。 ★ 人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。 人間であるということは、自分に関係がないと思われるよう
な 不幸な出来事に対して忸怩たることだ。 人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。 人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、 世界の建設に加担していると感じることだ。」 ★ 現代技術のあまりにも急速な進歩に恐れをいだく人々は、 目的と手段を混同しているようにぼくには思われる。 単に物質上の財宝をのみ希求している者に、 何一つ生活に値するものをつかみえないのは事実だが、 機械はそれ自身がけっして目的ではない。 ★ 人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。だが未知も、 それに向って挑み
かかる者にとってはすでに未知ではない、 ことに人が未知をかくも聡明な慎重さで観察する場合なおのこと。 ★ もとより人間を、左翼の人と右翼の人、せむしと非せむし、 ファシストとデモクラートに、区別することはできよう。 しかも、このような区別は、非難しがたいものなのだ。 ★ ただ、本然というものは、諸君も知られるとおり、 世界を単純化するものであって、けっして混沌を創造するものではない。 本然というのは、全世界に共通なものを引き出す言葉なのだ。 サン・テグジュペリ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/99
100: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 18:39:41.52 ID:sQEBcB1Q ★ 戦争を拒まない一人に、 戦争の災害を思い知らせたかったら、彼を野蛮人扱いしてはいけない。 彼を批判するに先立って、まず彼を理解しようと試みるべきだ。 ★ 理屈はどんなことでも証明する。 世界に起る不幸を、せむしたちのせいだとかたづける男にも理屈はあるのだ。 ぼくらがもし、せむしに対して宣戦したとしたら、 ぼくらはやがて、彼らに対して激昂する理由を見いだすだろう、 つまりぼくらは、せむしたちの罪悪に復讐して戦うわけだ。 ★ 生きる、とい
うことは徐々に生まれることである。 ★ 愛と所有の陶酔とを混同してはならない。所有の陶酔は最悪の苦しみを伴う。 ★ 僕がこんなに、あのバラのことが気になるのは、 バラが僕のことを愛してくれたからじゃない。 僕が、バラのことをたくさん世話したからなんだ。 ★ 僕ら人間について、大地が万巻の書より多くを教える。 理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。 ★ 君が自分でなじみになったものに対して、 君はずっと責任があるんだからね。君は君のバラに対して責任があるんだよ……。 ★ 君が君のバラのために失った時間こそが、 君のバラ
をかけがえのないものにしているんだよ。 サン・テグジュペリ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/100
101: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 18:40:09.17 ID:sQEBcB1Q ★ 生命というものは、その時々の状態によって説明されるものではない。 その歩みによって説明されるものだ。 ★ 人を愛することの本質は、互いに相手を見ることではなく、 共に同じ方向を見る中にあるのだ。 ★ 家や星や砂漠や、そういったものに美しさを与えるのは、 何か目に見えないものだ。 ★ 重要なのは自分の生きるよすがとなったものが、 どこかに残っているということだ。さまざまな慣習でもいい。 家族の祝いごとでもいい。思い出を秘めた家でもいい。
重要なのは還ることをめざして生きるということだ。 ★ 犠牲とは、お前をなにものからも切断することなく、 逆にお前を富ますものだ。 ★ 人にとって最も必要なことは、ついに「存在する」ことであり、 存在の豊かさの内に死ぬなら、獲得とか所有とかは問題になるはずがない。 ★ 問題はただ一つ、効果があるかどうかだ。 ★ あなたがバラのために時間をかけた分だけ、 バラはあなたにとって大切なものとなる。 サン・テグジュペリ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/101
102: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:24:12.24 ID:sQEBcB1Q ★ さあ、いつまでもぐずぐずしないで。 いらいらするから。行くって決めたのなら、もう行って。 ★ 彼女はぼくをいい匂いでつつみ、明るくしてくれたんだ。 ぼくはぜったい逃げてはいけなかったんだ! 彼女の下手な駆け引きの裏にある優しさを見抜くべきだったんだ。 でも、ぼくは彼女を愛するには若すぎた。 ★ ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。 だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう
。 ★ 相手の自己評価を傷つけ、自己嫌悪におちいらせるようなことを 言ったりする権利は、誰にもないのです。 大切なことは、相手をどう思うかではなく、相手が自分自身のことを、 どう思っているかなのです。相手の人間としての尊厳を傷つけることは、 犯罪だということをわきまえておきましょう。 ★ 人がそれを見つめて、大聖堂を思い描いた瞬間、石はただの石ではなくなる。 ★ きみが夕方の四時に来るなら、ぼくは三時から嬉しくなってくる。 そこから時間が進めば進むほど、どんどん嬉しくなってくる。 そうしてとうとう四時になるともう、
そわそわしたり、 どきどきしたり。こうして、幸福の味を知るんだよ。 ★ 置いていかなければならない宝物を持っていることを、天に感謝したい。 ★ あんたはこのことを忘れちゃいけない。 めんどうみた相手には、いつまでも責任があるんだ。 ★ 一度犯した失敗は今後もう起こりにくいので、 この先、失敗する可能性はひとつ減ったことになる。 ★ 知性にしても、判断力にしても、創造者ではない。 サン・テグジュペリ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/102
103: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:24:39.70 ID:sQEBcB1Q ★ 秩序とは、生命の結果であって、その原因ではない。 秩序とは、ある強力なる都市のしるしではあるが、その起源ではない。 ★ この子が綺麗なのは、心の中に薔薇を一輪持ってるからだ。 ★ 子どもたちは、ぼろきれのお人形に時間を費やす。 だからそのお人形はとっても大事なものになる。 それで、とりあげられると泣くんだね・・・ ★ 過去とは成就された全体、 かつて未来としてあったものを乗り越えた全体であろう。 ★ 努めなければならないのは、自分を完
成することだ。 試みなければならないのは、山野の間にぽつりぽつりと 光っているあの灯火たちと心を通じあうことだ。 ★ 私は私自身の証人である。 サン・テグジュペリ http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/103
104: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:24:54.63 ID:sQEBcB1Q ★ 自信というものは、いわば雪の様に音もなく、 幾時の間にか積った様なものでなければ駄目だ。 そういう自信は、昔から言う様に、お臍の辺りに出来る、頭には出来ない。 頭は、いつも疑っている方がよい。 難かしい事だが、そういうのが一番健康で望ましい状態なのである。 ★ 「あいつは、ああいう奴さ」という。甚だ厭な言葉である。 だが、人を理解しようとして、その人の行動や心理を、どんなに分析してみた所が、 最後につき当る壁は、「あいつは、ああいう
奴さ」という同じ言葉であるから妙である。 ★ ただ「葦」であるには「考え」がありすぎ、ただ考えるには「葦」であり過ぎる。 僕という存在は、僕という観念を超え、又、その逆でもある。 ★ 「あわれ」とは、歎きの言葉である。 何かに感動すれば、誰でも、ああ、はれ、と歎声を発する。 この言葉が、どんなに精錬されて、歌語の形を取ろうとも、 その発生に遡って得られる、歎きの声という、その普遍的な意味は失われる訳がない。 ★ 美というものは、現実にある一つの抗し難い力であって、 妙な言い方をする様だが、普通一般に考えられているよ
りも 実は遙かに美しくもなく愉快でもないものである。 ★ 思い出のない処に故郷はない。 確乎たる環境が齎す確乎たる印象の数々が、 つもりつもって作りあげた強い思い出を持った人でなければ、 故郷という言葉の孕む健康な感動はわからないのであろう。 そういうものは私の何処を捜しても見つからない。 ★ 青年は観察されることをきらう。観察されていると知るや、すぐ仮面をかぶる。 その点で、青年ほど気難かしく、誇り高いものはない。 青年は困難なものと戦うのが最も好きだ。 ★ 幾時の間にか、誰も古典と呼んで疑わぬものとなった、 豊か
な表現力を持った傑作は、理解者、認識者の行う一種の冒険、 実証的関係を踏み超えて来る、無私な全的な共感に出会う機会を待っているものだ。 ★ 問いがそのまま答えになるほど執拗に問う人もあり、 問う能力がないから答えを持っている人もあるのだ。 解決を欲しがる精神が、奴隷根性の一変種であるのが大体普通なのである。 ★ 映画を見に出かける人々には、 酒場や踊場に行く人々と全く同じ基本的な念願がある。 自分では織れなくなった夢を織って貰いに行くのだ。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/104
105: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:25:12.60 ID:sQEBcB1Q ★ 自然は、美や真理を提供してくれるモデルではない。 自然とは貧乏人にこたえる冬の事だ。 こたえない人は、恐らく人間の一部を廃業したのだろう。 ★ 2+2=4とは清潔な抽象である。 これを抽象と形容するも愚かしい程最も清潔な抽象である。 この清潔な抽象の上に組立てられた建築であればこそ、 科学というものは、飽くまでも実証を目指す事が出来るのだし、又事実実証的なのである。 ★ 詩を失ったリアリズムとは、無私な観察というものの過信による文体の喪失
である。 独特の文体を持たぬ作家の観察という様なものが一体何んだろう。 そんなものを誰も文学から期待しやしない。 ★ あらゆる思想は実生活から生れる。 しかし生れ育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、 凡そ思想というものに何んの力があるか。 大作家が現実の私生活に於いて死に、仮構された作家の顔に於いて更生するのはその時だ。 ★ 批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。 批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか! ★ 人間は自分の姿というものが漸次よく見えて来るに
つれて、 自己をあまり語らない様になって来る。 これを一般に人間が成熟して来ると言うのである。 ★ 疑いを挑発しない解決という様なものが、この世にありようがない。 ★ 「人間喜劇」を書こうとしたバルザックの眼に、恐らく最も驚くべきものと 見えた事は、人の世が各々異った無限なる外貌をもって、 あるがままであるという事であったのだ。 彼には、あらゆるものが神秘であるという事と、 あらゆるものが明瞭であるという事は二つの事ではないのである ★ 僕等は近代にいて近代の超克ということを言うのだけれど、 どういう時代でも時代の一
流の人物は皆なその時代を超克しようとする処に、 生き甲斐を発見している事は、確かな事と思える。 ★ どんな天才作家も、自分一人の手で 時代精神とか社会思想とかいうものを創り出す事は出来ない。 どんなつまらぬ思想でも、作家はこれを全く新しく発明したり発見したりするものではない。 彼は既に人々のうちに生きている思想を、作品に実現し明瞭化するだけである。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/105
106: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:25:28.20 ID:sQEBcB1Q ★ 実生活の自然な傾向は行為せずに眺める事を禁じている。 作家の眼は、この禁制を破る。 作家は、観照の世界という全く不自然な心的態度のうちに棲むものだ。 この世界に居ると、実生活は、狂態で充満していると見えるのが当り前な事なのである。 ★ 死を目標とした生しか、私達には与えられていない。 その事が納得出来た者には、よく生きる事は、よく死ぬ事だろう。 ★ 私は、沢山売れる本は読みません。 沢山売れる本を決して軽蔑しているわけではないのでし
て、 私は本は勉強以外には読まぬ覚悟をしているだけです。 遊びたい時には外の事をして遊びます。 およそ、本を読むなどというとぼけた、愚劣な遊びは御免なのであります。 ★ 芸術を愛する人々は、美というものを定義しようとも証明しようともしない、 愛してさえいれば、そんな必要がないからではなく、 愛していることが美の定義も証明も不可能だとはっきり教えてくれるからである。 ★ 現実の苦がい経験を嘗めた人に、小説が軽薄に見えても仕方がない。 ただ問題は次の一事だ。生ま生しい経験を、生ま生しいままに貯えるには 一種の術が要る、
というよりも一種の稀有の資質が要る。 ★ 議論が、全く正しいという事の為には、 一つの言葉は明瞭に一つの概念を表すという頗るたわいもない仮定が必要だ。 ★ 西洋模倣の行詰りと言うが、模倣が行詰るというのもおかしな事で、 模倣の果てには真の理解が現れざるを得ない。 そして相手を征服するのに相手を真に理解し尽すという武器より強い武器はない。 これは文化の発達の定法であって、 わが国の文化は、明治以降この定法通りに進んで来た。 ★ ドストエフスキイの発明した人間の自由に関する思想は、 彼のかけ替えのない体験の質によって保
証された現実性によって、 その効力を発揮するが、ある集団の各人に平均的な自由主義という思想は、 頭数が増えるだけが頼みである。 ★ 水掛論なるものが一体、両方に正しい理窟があるものじゃない、 中途までしかものを考えない内に議論を始める処から起る現象である。 ★ 友と共感する為に何かを捨てる必要はない様に、 芸術作品に対しても、人々は自己流にしか共感しない。 芸術作品は、各人の自己を目覚めさせる事によって、人の和を作り出す。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/106
107: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:25:48.74 ID:sQEBcB1Q ★ 真似は尋常な行為である。 子供は、理解する前に、まず真似をしなければ、大人にはなれないし、 私達の生活の大部分は人真似で成り立っている。 真似をするには、他人の存在が必要であるのみならず、他人への信頼が必要である。 ★ 人間は、憎悪し拒絶するものの為には苦しまない。 本当の苦しみは愛するものからやってくる。 ★ 君が口にする社会不安という言葉さえ、 君のみじめな生活を隠す様に働いていると思った事はないか。 君の生活が混乱している様に君
の精神は混乱しているか。 ★ 善良な不平家というのがいちばん嫌いだ。いちばん救われないような印象を常に受ける。 ★ 考えるとは、合理的に考える事だ。 どうしてそんな馬鹿気た事が言いたいかというと、 現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、 どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思えるからだ。 ★ 一体自分を語るのと他人を語るのと、どちらが難しい事であろうか。 いずれにしても、人間は、決して追い付けないもう一人の人間を追う様に見える。 ★ ドストエフスキ
イは矛盾のなかにじっと坐って円熟して行った人であり、 トルストイは合理的と信ずる道を果てまで歩かねば気の済まなかった人だ。 ★ 見る事と生きる事との丁度中間に、いつも精神を保持する事、 どちらの側に精神が屈服しても、批評というものはない。 これは理智の上の仕事というより、寧ろ意志の仕事である。 ★ 「自分の嗜好に従って人を評するのは容易な事だ」と、人は言う。 然し、尺度に従って人を評する事も等しく苦もない業である。 常に生き生きとした嗜好を有し、 常に溌剌たる尺度を持つという事だけが容易ではないのである。 ★ 社会
のあらゆる表現は決して捕らえる事の出来ぬ錯乱の証左である。 だがこの証左を悟る精神はまた愚劣に満ちている 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/107
108: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:26:08.57 ID:sQEBcB1Q ★ 私達は、皆、人間の顔には、非常に興味を持っている。 生活上の必要から、興味を持たざるを得ないから、 人の顔の表情に関しては特に鋭敏にもなっている。 私達は、皆、凡庸なものであろうが、肖像画家の眼を持っている。 ★ 死はいつも向うから歩いて来る。俺達は彼に会いに出掛けるかも知れないが、 邂逅の場所は断じて明かされてはいないのだ。 ★ 考えるという事と書くという事は二つの事実を指してはいないのである、 言葉という技術を飛びこして何か考え
るなどとは狂気の沙汰である。 ★ 重要な事は、人々は、人々のそれぞれの生活に 即した現実を見ているに過ぎないという事、 人々は各自の職業習性を離れて決して現実を眺める事は出来ぬという事である。 ★ 実生活を離れて思想はない。 しかし、実生活に犠牲を要求しないような思想は、動物の頭に宿っているだけである。 社会的秩序とは実生活が、思想に払った犠牲にほかならぬ。 その現実性の濃淡は、払った犠牲の深浅に比例する。伝統という言葉が成立するのもそこである。 ★ ヘーゲルは歴史上の一人物に過ぎず、 歴史がヘーゲルのシステムのな
かにあるのではない ★ 僕がドストエフスキーをとうとうダメにしたのは、 キリスト教がわからなかったからなんです。どうしてもわかりません。 ★ 自分の本当の姿が見附けたかったら、 自分というものを一切見失うまで、自己解析をつづける事。 中途で止めるなら、初めからしない方が有益である。 途中で見附ける自分の姿はみんな影に過ぎない。 ★ 有効に行動する為に予見すること、これが知性の目的である。 ★ 老醜という言葉は様々な生物にいえるが、 大木には当てはまらぬ。大木は老いていよいよ美しい。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test
/read.cgi/rongo/1559561520/108
109: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:26:52.56 ID:sQEBcB1Q ★ 誑かされるのが生きる事ではない。生きる事が誑かされる事なのだ。 この瓜二つに見える言葉は、俺には全く異なった音を伝える様だ。 ★ 人生を解釈する上に非常に便利な思想というものは、その便利さで身を滅ぼす。 便利さが新たな努力を麻痺させるからだ。 ★ 百五十年も前に、ナポレオン法典は、各人の思想発表の自由を規定したのである。 めいめいが好き勝手な事を主張する自由を認めた上で、 皆が協力して秩序ある社会を作ろうとは、 また何んという困難極
まる理想を人間は抱いたものか。 ★ あゝ夏よ去れ心明かすな棲みつかぬ季節よ失せ行け切れぎれに惑ふわれかな ★ 姿は似せがたく、意は似せ易し。 言葉は、先ず似せ易い意があって、生れたのではない。 誰が悲しみを先ず理解してから泣くだろう。先ず動作としての言葉が現れたのである。 動作は各人に固有なものであり、似せ難い絶対的な姿を持っている。 ★ 表現以前にある個性という様なものは、全くの空想である。 芸術家は、材料と取り組み、己れを空しくしてある形を作り上げてみて、 はじめて己れの個性という様なものが、出来上がった形に現
れるのを悟るものです。 その現れたものが最初にあったのではない。 ★ テレビを享楽しようと、ミサイルを呪おうと、 私達は、機械を利用する事を止めるわけにはいかない。 機械の利用享楽がすっかり身についた御蔭で、機械をモデルにして 物を考えるという詰まらぬ習慣も、すっかり身についた。 御蔭で、これは現代の堂々たる風潮となった。 ★ 思想史とは社会の個人に対する戦勝史に他ならぬ。 ……「犬は何故しっぽを振るのかね」「しっぽは犬を振れないからさ」。 この一笑話は深刻である。 ★ 生きた人が死んで了った人について、 その無気な
しの想像力をはたく。だから歴史がある。 ★ 観察された或る事実が、動かし難い無二の現実性を帯びる為には、 観察者のその時一回限りの感動というものに、 その事実が言わば染色されていなければならない。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/109
110: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:29:56.16 ID:sQEBcB1Q ★ 出来上った知を貰う事が、学ぶ事ではなし、 出来上った知を与える事が教える事でもなかろう。 質問する意志が、疑う意志が第一なのだ。 ★ どちらを選ぶか、その理由が考えられぬからこそ、人は選ぶのである。 そこまで人は追い詰められねばならぬ。 ★ 小説の面白さは、他人の生活を生きてみたいという、実に通俗な人情に、 その源を置いている。小説が発達するにつれて、 いろいろ小説の高級な面白がり方も発達するが、 どんなに高級な面白がり方も、この低級
な面白がり方を消し去る事は出来ないのである。 ★ 人間精神は言葉によってのみ壮大に発展出来るのだが、 この事実は精神が永遠に言葉の桎梏の下にあることも語るものだ。 ★ 文字という至便な表現方法を知らずに、いかに長い間人間は人間であったか、 優美や繊細の無言の表現を続けて来たか ★ 小説とは、今日も依然として小人の説の織りなすドラマであって、 私小説とか社会小説とか言ってみたところで、 外面的な曖昧な区別たるを免れない。 本質的に考えれば、登場人物が一人であるか、多数であるかの区別しかないのである。 ★ 一般に若い頃
に旺盛だった読書熱というものを、 年をとっても持ちつづけている人はまことに少い。 本を読む暇がなくなったという見易いことには誰でも気が付くが、 本というものを進んで求めなくなって了った自分の心には、 なかなか気付がかぬ。又、気が付き度がらぬ。 ★ 批評するとは自己を語る事である、他人の作品をダシに使って自己を語る事である。 ★ 俺はよく考える。俺達は皆めいめいの生ま生ましい経験の頂に 奇怪に不器用な言葉を持っているものではないのだろうか、と。 ただそういう言葉は当然交換価値に乏しいから手もなく置き忘れられているに過
ぎない。 ★ 思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、 ともかく現在在るものを超克し、これに離別しようとするところにある。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/110
111: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:34:25.55 ID:sQEBcB1Q ★ 人間が種族保存上、有効に行動し生活する為に、 自然は、人間に、知性という道具を与えたのは確からしいが、 己れの謎を解いて貰う為に与えたとは到底考えられぬ事である。 ★ 神経質で、敏感で、いつも自分がいい子になりたいと思っている奴は、 時とすると実によく相手の心持ちを見抜くものだ。 然し、自分に関係のない事柄、つまり、どっちにしたって 自分はいい子になってられるという場合には、恐ろしく鈍感になるものだ。 ★ 変わり者はエゴイストではな
い。社会の通念と変った言動を持つだけだ。 世人がこれを許すのは、教養や観念によってではない、附き合いによってである。 附き合ってみて、世人は知るのだ。自己に忠実に生きている人間を軽蔑する理由は何処にあるか、と。 ★ 困難は現実の同義語であり、現実は努力の同義語である。 ★ 何故に人間の捕えた理想は空しいのか。それは単なる人間精神上の戯れだからだ。 何故に人間を捕えた理想は現実的なのか。自然の理法は常に人間精神より沈著だからだ。 だが、誰が知ろう、お前の理想は捕えた理想か、捕えられた理想か。 ★ 現在が語り難い様に
過去は語り難い、殊に精神のうちの出来事は。 今飛び去っているものは捉え難いし、 既に飛び去って了ったものは形を変えて今飛び去っている。 ★ 直情だけでは、直情の歌を作るに足りぬ。 天真と見える万葉の歌が、どんなに巧妙な鋭敏な言葉の使い方から生まれているかは、 現代の歌人が、絶えず驚きを新たにしている処である。 ★ モネの印象は、烈しく、粗ら粗らしく、何か性急な劇的なものさえ感じられる。 それは自然の印象というより、自然から光を掠奪して逃げる人の様だ。 可憐な睡蓮が、この狂気の男に別れを告げている。 ★ 先ず何を置い
ても、全く謙遜に、無私に驚嘆する事。 そういう身の処し方が、ゴッホの様な絶えず成長を止めぬ強い個性には、 結局己れを失わぬ最上の道だったのである。 ★ 電車に乗って前に腰掛けた人間達の顔を見渡してみたまえ。 如何に壮大なる愚劣を発見する事か。 兵隊も紳士も番頭も、神様から戴いた顔をどうしようもなく 肩の上で動かしている光景は、如何にすばらしく無惨な事か。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/111
112: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:34:50.55 ID:sQEBcB1Q ★ 人間とは何かという問いは、自分とは何かという問いと離す事ができない。 ★ ともかくも俺は生きのびた。そうだともかくもだ。 ともかくもなどとなんとうまい言葉を人間は発明しただろう。 ★ 歴史を鏡と呼ぶ発想は、鏡の発明とともに古いように想像される。 歴史の鏡に映る見ず知らずの幾多の人間達に、 己れの姿を観ずる事が出来なければ、どうして歴史が、私達に親しかろう。 ★ エンペドクレスは、永年の思索の結果、 肉体は滅びても精神は滅びないという
結論に到達し、噴火口に身を投じた。 狂人の愚行と笑えるほどしっかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはいないのである。 ★ 必然性というものは図式ではない。僕の身に否応なく降りかかってくる、そのものです。 僕はそれをいつもそれを受入れる。どうにもならんものとして受入れる。 受入れたその中で、どう処するべきか工夫する。その工夫が自由です。 ★ 現在というものを理解する事は、誰にもいつの時代にも大変難しいのである。 歴史が、どんなに秩序整然たる時代のあった事を語ってくれようとも、 そのままを信じて、これを現代と比
べるのはよくない事だ。 その時代の人々は又その時代の難しい現在を持っていたのである。 ★ 幾人にでも分配の可能な、社会的思想という匿名思想には、 無論、個性という質がないわけであるから、その効力は量によって定まる他はない。 ★ 吾々にとって幸福なことか不幸なことか知らないが、 世に一つとして簡単に片付く問題はない。 ★ 笑いの裡には常に防衛と不安とがある。微笑は何んの武器をももっていない。 微笑する人には、何んの不安もない。そこではただ生命の花が開くだけだ。 ★ 人間は憎み合う事によっても協力する 小林秀雄 http:/
/egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/112
113: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:35:09.59 ID:sQEBcB1Q ★ 美しいものは、諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させる力があるのです。 ★ 同じ理論を抱いているというので親友だと思い込む、 実はただひとりでものを言うのが不安だからに過ぎぬとは気が附かぬ。 ★ 凡そものが解るという程不可思議な事実はない。 解るという事には無数の階段があるのである。 人生が退屈だとはボードレールもいうし、会社員も言うのである。 ★ 互いに己れを主張し、攻撃と防禦の気を伺っている様な思想は、 権力のかぶった仮面に過ぎ
ないからであります。 これらの思想は各々の陣営の中に住んでいるので、人間の精神の裡にあるのではない。 ★ 己れを実現する為の、最も現実的な保証なり根拠なりを、 原子爆弾の数の上に置いている、さようなものを思想と呼ぶのは滑稽である。 この思想としての内的根拠を全く欠き、一方、物質のシステムの明瞭性も 全く欠いた怪物に、世人は、イデオロギイなどというえらそうな名を付けました。 ★ 学者とはずい分長い間、書物に書いてある知識くらいは皆空で覚えていた人だったでしょう。 書物は、記憶の不確かな処を確かめる用しかしなかったで
しょう。 ★ 詩は言うまでもないが、散文にしても物語だった。 読まれたのではない、語られたのです。 本は、歌われたり語られたりしなければその真価を現す事は出来なかったのです。 ★ 凡そ究極的な問題は、直覚によって掴む他はないもので、 直覚の率直な表現が、屡々逆説と見えるという事は、ニイチェの作でいつも経験する事です。 真の逆説とは言わば認識に於ける極めて率直な決断なので、 ひねって逆を言ってみるという様な事てはない。 ★ 現代の批評病は、いろいろな症状を現しているが、 根本のところは、物に対するこの心の手ごたえを失
っている事から来ている様に思われます。 何かを批評している積りであるが、その何かが実はないのである。 ★ ベルグソンが、晩年の或る著述の中で、これからの世にも大芸術家、 大科学者が生まれるかも知れないが、大政治家というものは、もう生まれまい、 と言っております。つまり政治は、現在既に大政治家など いよいよ必要としない傾向を辿っているというのです。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/113
114: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:35:26.09 ID:sQEBcB1Q ★ 個人の独創により、普遍的人間性を表現しようとする十九世紀理想主義の 権化たる点において、ベエトオヴェンは、文学の世界で言うなら ゲエテやバルザックに比すべき稀有な芸術家だった… ★ 天下を整理する技術が、大根を作る技術より高級であるなどという道理は ないのでありますが、やはり整理家は、無意味な優越感に取りつかれるらしい。 交通巡査でさえそうかも知れぬ。 ★ 自分の経験した直観が悟性的判断を越えているからと言って、 この経験を軽んずる
理由にはならぬという態度です。 ★ 私は、美術や音楽に関する本を読むことも結構であろうが、 それよりも、何も考えずに、沢山見たり聴いたりする事が第一だ、 と何時も答えています。 ★ 今日の知識人達にとって、己れの頭脳によって 理解出来ない声は、みんな調子が外れているのです。 その点で、彼等は根底的な反省を欠いている、といっていいでしょう。 ★ 近代科学の本質は計量を目指すが、精神の本質は計量を許さぬところにある。 ★ 極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。 絵は、眼で見て楽
しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。 頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。 ★ ソヴェトには言論の自由はないであろうが、沈黙の自由ならある筈だ。 言葉のしゃれではない。黙らされた人間は、必ず沈黙によって自己を現すものであり、 この力は必ずしも言論の力に劣るものではありませぬ。 ★ 文字のなかった時代の教養人とは、無論、何でも頭で覚えていた人だ。 そしてこれを上手にしゃべった人だ。 そういう教養人の態度が、文字ができ、書物が書かれると、 急に変わってくるという様なことは考えられぬ。 ★
浪漫主義が流行させた、独創とか個性とかいう言葉は濫用されています。 濫用しているうちに、知らず知らず、芸術作品の個性という意味が下落する。 下落して単なる個人個人の相違という意味と混同されます。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/114
115: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:36:27.38 ID:sQEBcB1Q ★ もし芸術作品の個性という事が言いたいのなら、 それは個人として生まれたが故に、 背負わなければならなかった制約が征服された結果を指さねばならぬ。 ★ 批評文の作者はいつも、ある命題が心に浮ぶと同時に、 その反対命題が心に浮ぶくらい鋭敏でなくてはならぬ。 ★ 人生の謎は、齢をとればとる程深まるものだ、とは何んと真実な思想であろうか。 ★ 心に疑惑の火を絶たぬこと、これが心に皺がよらない肝腎な条件に思えた。 ★ 人の心は問題の解決をいつ
も追っているかも知れぬが、 矛盾の解決によって問題を解決しようとは必ずしも希ってはいない。 生活意欲というものは寧ろ問題を矛盾したまま 会得しようと希っているし、事実それを日々実行している。 ★ 誰も彼もが他人の言葉には横を向いている。 迂闊だからではない、他人から加えられた意見を、 そのまま土台とした意見を捨てきれないからだ、 土台とした為に無意味なほど頑固になった意見を捨てきれないからだ。 誰も彼もがお互に警戒し合っている、騙されまいとしては騙し合っている。 ★ ニューズの氾濫は人々に疲れやすい神経的昂奮を齎す
ばかりではない。 人々に戦争を悪く冷静に模倣する術も教えるのだ。 戦争に関する僕等の直覚力や想像力を、 この異常な人間経験に対する僕等の率直な理解を麻痺させて了う。 ★ 室町時代という、現世の無常と信仰の永遠とを 聊かも疑はなかったあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心している。 それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆どそれを信じているから。 ★ 科学主義というものは一と口で言えば、 問題を解決する事を知って問題を提出する事を知らぬ一面的な批評主義だ。 ★ 誰も、己れの心を、自分の感じ方でしか感じはしないし
、 己れの語り方でしか語れはしない。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/115
116: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:38:01.06 ID:sQEBcB1Q ★ 人間の生活を一番よく知っている人が一番立派な文学作家なのだ。 私はもう、それを信じて疑わない。他はみんな附けたりだ。 それでなくて何が文学というものが面白かろう。 文学だと思って読まなければ面白くないような文学は私はもういらない。 ★ キリストの一生ほど、彼〔ドストエフスキー〕に強い疑いを起させたものはなかった。 人から来た疑いは解く事も出来よう。だが神から来た疑いを解く事は出来ぬ。 ★ ベルグソンは若いころにこういうことを言ってま
す。 問題を出すということが一番大事なことだ。 うまく出す。問題をうまく出せば即ちそれが答えだと。 この考え方はたいへんおもしろいと思いましたね。 ★ 諦観は悪い事かもしれないが、諦観に生きる人々は厳存する。 宿命観はいけないかも知れないが、宿命観を強いられる精神の苦痛は厳存する。 ★ 美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。 ★ 生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな。 ★ 保守派は、現実の習慣のうちに安んじて眠っている。 進歩派は、理論のうちに夢みている。 眠っているものと、夢みてい
るものとは、幾らでもいるが、覚めている人は少い。 ★ 終戦の翌年、母が死んだ。母の死は、非常に私の心にこたえた。 それに比べると、戦争という大事件は、言わば、私の肉体を右往左往させただけで、 私の精神を少しも動かさなかった様に思う。 ★ 言葉の故郷は肉体だ。 僕等の叫びや涙や笑いが、僕等の最初の言葉である事を疑う者はあるまい。 だが、言葉は拡散する。厄介な肉体の衣を脱いで、軽々と拡散する。 もう再び肉体を得ないのだとしたら、一体何処まで飛び去ればいいのだろうか。 詩人とは、その事に気附いた人間だ。 ★ 左翼だとか右
翼だとか、みんなあれイデオロギーですよ。 あんなもんに「私」なんてありゃしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。 どうしてああ徒党を組むんですか。 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/116
117: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:39:27.29 ID:sQEBcB1Q ★ 才能の鍛錬が、才能の玩弄に落ちない事は、先ず稀有だと言っていい。 ★ 凡そ物の真相とは、人間が追求するが発見は出来ない或るものの様にも考えられるし、 発見はするが追求は出来ない或るもののようにも考えられる。 恐らくどちらも本当であろう。 ★ 人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない、 この世を捨てようと希う事は出来ない。 世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である。 ★ 俺を支えているものは俺自身ではなく、ただ俺
の過去なのかもしれない。 俺には何んの希望もないのだから。 だけど、俺が俺の過去を労ろうとすればするほど、それは俺には赤の他人に見えて来る。 ★ 理想に捕えられ、のたれ死にまで 連れて行かれたトルストイは、理想の恐ろしさをよく知っていた。 彼の定義に従えば、理想とは達する事の出来ぬものだ、 達せられるかも知れぬ様な理想は、理想と呼ぶ様な価値はないのである。 ★ 愛読書を持っていて、これを溺読するという事は、なかなか馬鹿にならない事で、 広く浅く読書して得られないものが、 深く狭い読書から得られるというのが、通則なの
であります。 ★ 近代の歴史思想というものは、思想界に於ける産業革命の 如きものではあるまいかと、私はいつも思っている。 私達は、歴史に悩んでいるよりも、 寧ろ歴史工場の夥しい生産品に苦しめられているのではなかろうか。 ★ 真理の名の下に、どうあっても人々を説得したい、 肯じない者は殺してもいい、場合によっては自分が殺されてもいい。 ああ、何たる狂人どもか。 そこに、孔子の中庸という思想の発想の根拠があった様に、私には思われる。 ★ 人の有るが儘の心は、まことに脆弱なものであるという、 疑いようのない事実の、しっかり
した容認のないところに、 正しい生活も正しい学問も成り立たぬという、 彼〔宣長〕の固い信念、そこに大事がある。 ★ 私達は皆めいめい自己流に生きている、そうであるより他はない、 これは実に厄介な困難な事である。 小林秀雄『政治と文学』 共感する 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/117
118: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2019/06/11(火) 20:40:28.07 ID:sQEBcB1Q ★ 日本の歴史が今こんな形になって皆が大変心配している。 そういう時、果たして日本は正義の戦いをしているかという様な考えを抱く者は 歴史について何事も知らぬ人であります。 歴史を審判する歴史から離れた正義とは一体何ですか。空想の生んだ鬼であります。 ★ 極めて柔軟な精神は屡々懐疑的な精神と間違えられる。 極めて懐疑的な心は屡々無関心と誤られる。 これらには共通した消極的な類似があるからだ。 ★ 私は客観的な尺度などちっとも欲しかない。客
観が欲しいのだ。 ★ 歌とは、敗北を覚悟の上でのこの世の定め事への抗言に他ならぬ。 ★ 古典は単に私達の眼前に在るのではない。歴史のぎりぎりの結論として在るのだ。 ★ 悲劇の反省など誰にも不可能です。悲劇は心の痛手を残していくだけだ。 痛手からものを言おうと願う者は詩人である。 そして詩人が、どんなに沢山の、どんなに当たり前な人間の心に 住んでいるかを知るのには、必ずしも専門詩人たるを要しないでしょう。 ★ 例えば、物忘れがひどくなったのが呆けた事なら、呆けた事など大した事ではあるまい。 詰まらない事を、あんまり覚
え過ぎたから、いっそさっぱりしているようなものだ。 呆けたという特色は、そんなものではない。棺桶に確実に片足をつっ込んだという実感です。 ★ 古典とは、私達が、回顧の情をもって近づく生きて考えた優れた人間の姿なのであって、 分析によって限定する過去の一思想の歴史的構造ではない。 従って、古典とは、理解されるものというより、むしろ直覚されるものだ。 小林秀雄『「論語」(評論)』 共感する 小林秀雄 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1559561520/118
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 286 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.012s