世界遺産総合スレ (571レス)
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: 2013/09/19(木)23:29
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291: [sage] 2013/09/19(木) 23:29:20.31 ID:Do3FX6rx0 世界遺産めざす “三池炭鉱関連施設”9月13日(金) 21時00分ttp://rkb.jp/news/news/16626/ 世界遺産の推薦候補をめぐって注目が集まっている「明治日本の産業革命遺産」。 福岡県内には、先日、この時間にお伝えした北九州の八幡製鉄所と、大牟田の三池炭鉱があります。 きょうは、大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる三池炭鉱の関連施設を、1955年・昭和30年に撮影された貴重な映像とともにご紹介します。 石炭の採掘現場へと向かう炭鉱マンたち、1955年の三池炭鉱の映像です。ttp://rkb.jp/news/files/2013/09/2013-09-137-150x84.jpg 明治以降の日本の近代化や戦後の復興をエネルギー面から支え、地元の大牟田市などに活況をもたらしました。 1997年に閉山しましたが、今でも多くの関連施設が残っていて、こちらの「宮原坑」もその1つです。 三池炭鉱が、国から三井に払い下げられ、最初に操業を開始した宮原坑。現在、残っているのは、1901年に完成した第二竪坑やぐらです。 1931年に、この場所での石炭の採掘は終了しましたが、その後も、坑内の大量の湧き水をくみ上げるため、鋼鉄製のやぐらが取り壊されることはありませんでした。 ●大牟田市世界遺産登録・文化財室・坂井義哉さん「最終的には三池炭鉱が閉山した平成9年、さらにそのあとの平成12年ごろまで、水のくみ上げをずっとやってました。 電気設備の修理・点検とか、そういうことをやらなきゃいけないもんですから、このケージを使って中に潜って、 そういう設備の点検をしなきゃならないということで、この設備が残ったと」 住宅街の真ん中に高さ22メートルのやぐらがそびえる姿は、全国的にも珍しく、毎週日曜日には一般公開されています。 ●坂井義哉さん「地元の方からすると、本当に見慣れたものなんですね。 それが、『えっ、文化財。えっ、世界遺産』っていうふうに、やはり戸惑いの声があるのも正直なところだろうと思います。 でも、実は、それだけの価値を持っているものなんですね。 こういう炭鉱の施設っていうのは、実は全国的に見ても、こんなに古いのは残ってなかったんだと」 宮原坑の完成から4年遅れて操業を開始した「万田坑」。 ヨーロッパから当時の最新の機材や建築技術を取り入れ、三井財閥が総力を挙げて建設しました。 ●坂井義哉さん「不要施設っていうのは、工場ですから基本的には破却、除却していくんですけれども、 三池炭鉱というある意味、大きな炭鉱、大きなところを1つの会社が持ってたもんですから、 それぞれの坑口に特定の機能を付与していたということで、石炭を掘るのをやめても、別の機能を生かすために残ったと」 ●宮岡記者「竪坑としては一時、国内最大規模を誇った、ここ『万田坑』。ケージを上下させる巨大なウインチもまだ、保存されていて、こんな間近に見ることができるんです」 宮原坑や万田坑などの坑口を結び、石炭を運んだ「三池炭鉱専用鉄道」。 最盛期の総延長は150キロにも及び、重量のある石炭列車がスムーズに走れるように、勾配をなるべく緩やかにしていました。 その鉄路の先にあるのが、三池港です。1908年完成で、上空から見ると、ハチドリが羽ばたく姿のような形をしています。 干満の差が大きい有明海から、海底の砂が流れ込まないように防波堤を長くしたため、このような形となりました。 ●挨拶する福岡県・小川洋知事「(設計者の)團琢磨氏が『築港しておけば、100年の基礎になる』と述べられたとおり、 今なお、この港は、私どものために立派に稼働してくれています」 三池港は、先月、上海との定期貨物航路が新たに開設されるなど、物流の拠点としての役割を担っています。 三池炭鉱の閉山から16年、人口は減り続け、町にかつてのにぎわいはありません。 繰り返された事故や労働争議など、炭鉱は「負の遺産」だとして、関連施設を残すことに批判的な声もあります。 しかし、町おこしに取り組んでいる田中さんは「炭鉱関連施設を積極的にPRすべきだ」と話します。 ●「三池港ワンデイカフェ」代表・田中久仁子さん「ここ本当に3年ぐらいですかね、 世界遺産という新たな冠がかかってきて、恐らく皆さん、そのスピードにはついていけてないし…。 でも、1つのチャンスだと思います。これを素直に受け入れる。 これも、また1つ、これから町が飛躍するための足がかり、チャンスになると思います」「世界遺産に推薦されるかどうか」 政府は今月中にも結論を出す見通しで、関係者はかたずをのんで見守っています。 ※スタジオ●川上キャスター世界遺産については、「産業革命遺産」と「長崎の教会群」が、政府の推薦をめぐって争っています。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ruins/1306551358/291
世界遺産めざす 三池炭鉱関連施設月日金 時分 世界遺産の推薦候補をめぐって注目が集まっている明治日本の産業革命遺産 福岡県内には先日この時間にお伝えした北九州の八幡製鉄所と大牟田の三池炭鉱があります きょうは大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる三池炭鉱の関連施設を1955年昭和30年に撮影された貴重な映像とともにご紹介します 石炭の採掘現場へと向かう炭鉱マンたち1955年の三池炭鉱の映像です 明治以降の日本の近代化や戦後の復興をエネルギー面から支え地元の大牟田市などに活況をもたらしました 1997年に閉山しましたが今でも多くの関連施設が残っていてこちらの宮原坑もその1つです 三池炭鉱が国から三井に払い下げられ最初に操業を開始した宮原坑現在残っているのは1901年に完成した第二竪坑やぐらです 1931年にこの場所での石炭の採掘は終了しましたがその後も坑内の大量の湧き水をくみ上げるため鋼鉄製のやぐらが取り壊されることはありませんでした 大牟田市世界遺産登録文化財室坂井義哉さん最終的には三池炭鉱が閉山した平成9年さらにそのあとの平成12年ごろまで水のくみ上げをずっとやってました 電気設備の修理点検とかそういうことをやらなきゃいけないもんですからこのケージを使って中に潜って そういう設備の点検をしなきゃならないということでこの設備が残ったと 住宅街の真ん中に高さ22メートルのやぐらがそびえる姿は全国的にも珍しく毎週日曜日には一般公開されています 坂井義哉さん地元の方からすると本当に見慣れたものなんですね それがえっ文化財えっ世界遺産っていうふうにやはり戸惑いの声があるのも正直なところだろうと思います でも実はそれだけの価値を持っているものなんですね こういう炭鉱の施設っていうのは実は全国的に見てもこんなに古いのは残ってなかったんだと 宮原坑の完成から4年遅れて操業を開始した万田坑 ヨーロッパから当時の最新の機材や建築技術を取り入れ三井財閥が総力を挙げて建設しました 坂井義哉さん不要施設っていうのは工場ですから基本的には破却除却していくんですけれども 三池炭鉱というある意味大きな炭鉱大きなところを1つの会社が持ってたもんですから それぞれの坑口に特定の機能を付与していたということで石炭を掘るのをやめても別の機能を生かすために残ったと 宮岡記者竪坑としては一時国内最大規模を誇ったここ万田坑ケージを上下させる巨大なウインチもまだ保存されていてこんな間近に見ることができるんです 宮原坑や万田坑などの坑口を結び石炭を運んだ三池炭鉱専用鉄道 最盛期の総延長は150キロにも及び重量のある石炭列車がスムーズに走れるように勾配をなるべく緩やかにしていました その鉄路の先にあるのが三池港です1908年完成で上空から見るとハチドリが羽ばたく姿のような形をしています 干満の差が大きい有明海から海底の砂が流れ込まないように防波堤を長くしたためこのような形となりました 挨拶する福岡県小川洋知事設計者の琢磨氏が築港しておけば100年の基礎になると述べられたとおり 今なおこの港は私どものために立派に稼働してくれています 三池港は先月上海との定期貨物航路が新たに開設されるなど物流の拠点としての役割を担っています 三池炭鉱の閉山から16年人口は減り続け町にかつてのにぎわいはありません 繰り返された事故や労働争議など炭鉱は負の遺産だとして関連施設を残すことに批判的な声もあります しかし町おこしに取り組んでいる田中さんは炭鉱関連施設を積極的にすべきだと話します 三池港ワンデイカフェ代表田中久仁子さんここ本当に3年ぐらいですかね 世界遺産という新たな冠がかかってきて恐らく皆さんそのスピードにはついていけてないし でも1つのチャンスだと思いますこれを素直に受け入れる これもまた1つこれから町が飛躍するための足がかりチャンスになると思います世界遺産に推薦されるかどうか 政府は今月中にも結論を出す見通しで関係者はかたずをのんで見守っています スタジオ川上キャスター世界遺産については産業革命遺産と長崎の教会群が政府の推薦をめぐって争っています
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