[過去ログ] 【集団遺伝学】「アイヌ人と渡来人の混血は7世紀が始まり」…国立遺伝学研究所 [転載禁止]©2ch.net (995レス)
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992(1): 2015/10/15(木)00:18 ID:UepLlqAl(1/2) AAS
>>986
6は九州と半島が逆だろう。
外部リンク[html]:www.han.org
「 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
上顔高が 70mm, 身長が 162cmを超える渡来系弥生人の骨は、(山口県)響灘(ひびきなだ)沿岸部・島根半島など
西中国沿岸部の砂丘遺跡と、福岡平野・筑紫平野・熊本平野など遠賀川以西の北部九州平野部に分布する
かめ棺墓遺跡から出ているが、これらの渡来系弥生人の特徴にも地域差があることがわかっている。
個々の骨を渡来人タイプと縄文人タイプに分けて地域ごとの比率を調べた中橋孝博によれば、
響灘沿岸部では渡来人タイプが全体の75%を占めるのにたいし、北部九州平野部ではそれより10%ほど多く、
島根半島では響灘より10%ほど少ないという。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
渡来人タイプの割合を数値化するなど、考古学も進歩したものです。渡来人タイプの割合が
やや低い島根県古浦遺跡は弥生前期と考えられているようですが、弥生時代は古くさかのぼるほど
縄文の割合が大きいようです。その一例として、古浦遺跡では抜歯の風習も縄文式と渡来式が入り乱れているようです。
時代がくだり、前期末から中期と考えられている響灘遺跡では渡来人の割合も高くなり、
抜歯もほとんど渡来式だったようです。さらに中期から後期と考えられている北部九州の遺跡では、
一段と渡来度が高くなるとともに、抜歯の風習もすたれつつあったようです。
これらの結論として、池田氏はこう結びました(注2)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
三地域の渡来系弥生人集団のあいだにみられる渡来形質の濃淡、抜歯の施行率と様式の違いは、
このように時期差で説明でき、金属器が北部九州に出現する時期は、渡来形質と渡来系様式の抜歯を特徴とする弥生人が
響灘・玄界灘沿岸部一帯で急増する時期にあたる。
したがって、これらの金属器とその製作技術を持ち込んだのは、前期末から中期初頭にかけて渡来した朝鮮半島の
無文土器時代人であり、渡来人の規模は縄文弥生移行期にくらべてはるかに大きかったと考えられる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−」
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