[過去ログ] 日本史上最低のゲイ右翼、三島由紀夫を叩くスレ (326レス)
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217: 2010/03/28(日)23:01 ID:0T7Q+Q+B(8/13) AAS
天皇が人間宣言をなさり、背広姿の御写真が新聞に掲載された時、彼は非常な不満、むしろ忿懣を抱いていた。
なぜ衣冠束帯の御写真にしないのかというのである。
又、焼跡だらけのハチ公前の広場を一緒に歩いていた時、彼は天皇制攻撃のジャーナリズムを心底から怒り、
“ああいうことは結局のところ世に受け入れられるはずが無い”と断言した。
そういう彼の言葉には理屈抜きの烈しさがあった。だから、彼は自分が敗戦後、日本の伝統から離れて楽しむうちに、
混乱の方が、いつか多数派になったのに驚いたのではないか。
美酒の瓶が倒れたように、日本の美質がどんどん流失しているのに気付き慄然としたのではないか。
三谷信
「級友 三島由紀夫」より
218: 2010/03/28(日)23:01 ID:0T7Q+Q+B(9/13) AAS
彼は、敗戦で束縛から解放された時まっしぐらに芸術の世界へ突進した。
…しかしその世界から出てみると、日本はすでに大きく伝統から離れていた。
彼にとり、日本の伝統は荒涼としたものになりかけていた。
彼が自分の好きな国々を思いきり歩いて故郷に戻って来た時、心の拠り処の日本の古典は滅びかけていた。
…彼が戦争直後、学習院を訪ねて校庭を歩いていたら、某教官に呼びとめられ、
「これからは共産主義の勉強をするのも面白かろう」といわれたといって、しきりに憤慨していた。
「何で今頃するのか、戦争中にやるのなら解るが」というのである。この先取りの心、少数派に身をおく
積極さ、これが晩年彼の日本についての心痛を一層深くし、嘆きを重くしたのであろう。
又、この予感、この嘆きこそ芸術家のものであろう。
三谷信
省1
219(1): 2010/03/28(日)23:02 ID:0T7Q+Q+B(10/13) AAS
彼は一時の思いつきで死んだのではない。
おそらく三十年、あるいはそれ以上、死を自分のすぐ背後に感じ続けて生きたと思う。死を背負い続けたと思う。
…彼が死なねばならぬとはっきり考え始めたのはいつか。東大紛争時における日本の文化的指導者(体制側だけでなく、
学生騒動に便乗して売名を図った人々まで含めて)の醜さを痛感したからではないか。
…勿論ずっと以前から、日本の崩れてゆくのを、彼はじっと忍耐しながら見ていたのであろうが、殊にあの事件の時に
絶望的な暗黒をつくづく見たのではないか。
三谷信
「級友 三島由紀夫」より
220: 2010/03/28(日)23:02 ID:Nfc87e7s(1) AAS
中国製冷凍ギョーザ中毒事件で、製造元「天洋食品」の元臨時従業員が逮捕された中国河北省石家荘市
の地元メディアが、当局から、独自取材を禁じられ、国営新華社通信の配信記事だけを使うよう通達を受
けていたことがわかった。関係筋が27日、明らかにした。北京でも一部紙が小さく新華社配信記事を掲載
しただけで、同様の指示が出ていたとの見方が強い。
胡錦濤政権は、中国人が逮捕されたことにより、インターネットで政府批判や反日機運が盛り上がるのを
強く警戒しており、全国規模で厳しい情報統制を敷いたとみられる。
関係筋によると、石家荘市の地元各紙やテレビに通達が出されたのは、容疑者逮捕の新華社報道直後に
あたる26日深夜から27日未明。
同筋は「だれも取材をしていないので、地元では何も分からない。政治的に敏感な問題で、当局が非常に
気を使っているようだ」と述べた。
省2
221: 2010/03/28(日)23:04 ID:0T7Q+Q+B(11/13) AAS
>>219続き
鋭敏な彼は、日本、否日本人の心の荒廃をまざまざと観たのであろう。
この闇に一瞬なりとも光を放ち得るものがあるとすれば、それは自分の命の提供しか無いと観たのであろう。
彼はそれだけ自分の才能が稀有なものであり、又自分がそれを十分に開花させたのを知っていたのであろう。
だから、自分の死の持つ力を考えたのであろう。当面は罵詈雑言が自分の自殺を覆うであろう、しかしなお、
自分の名声と才能を死なすことによる衝撃に、多少の自信はあったろう。
三谷信
「級友 三島由紀夫」より
222: 2010/03/28(日)23:04 ID:0T7Q+Q+B(12/13) AAS
彼は無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。
…世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。“死”は誰でも逃げたいものだから。
三谷信
「級友 三島由紀夫」より
223: 2010/03/28(日)23:05 ID:0T7Q+Q+B(13/13) AAS
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。
…彼は少年時代に戻って死んだ。少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。
三谷信
「級友 三島由紀夫」より
224: 2010/03/29(月)01:03 ID:50jNQxD3(1) AAS
必死にコピペ繰り返してるところ恐縮なのだが、
そんなね〜、大層なもんじゃないでしょw
ここまで買いかぶると、逆に皮肉ってるのかと思っちゃうよー
あなた、実はアンチじゃね?
225: 2010/03/29(月)22:00 ID:/hemA08c(1) AAS
日本各地の動物園で飼育されているが、寒さに弱く、冬場は展示していない動物園もある(例:旭山動物園)。
最も個体数が多い動物園は長崎バイオパークで、年によって変わるが、約30個体以上が飼育されている。バ
イオパークは実質的に放し飼い状態になっており、カピバラに直接触れることができる。市原ぞうの国でも直
接触れることが出来る方式を導入した。変わったところでは、伊豆シャボテン公園やこども動物自然公園で飼
育されているカピバラで、冬場は温泉に入る姿を観察することができる。また、バイオパークには温泉だけで
なく打たせ湯もある。 また、秋篠宮文仁親王が自宅でマーラやワニガメなどと一緒に飼育している。 また、熊
本の阿蘇にあるカドリードミニオン(旧称:阿蘇くま牧場)でも、飼育されており、通常檻の中に居るが、天気の
良い日は園内に放し飼いされていることがあり、直接触れることができるときもある。大阪の海遊館でも見るこ
とが出来る。
三谷信
省1
226: 2010/03/29(月)22:17 ID:9M2It6AJ(1/5) AAS
事件の翌日から、あらゆるメディアはあなたの行動を醜聞として描くことに情熱を傾けることになりました。
…TVでは「右翼評論家」なる人物が高説を垂れ、政治家たちは狂気の沙汰だとあなたを批判していました。
日本共産党はファシズムに対する警戒を説き、新左翼の学生たちは唖然として言葉を喪失していたように思えます。
わたしにはそうした政治的発言のいっさいが愚劣に思えていました。わたしは書店に行って、そのとき第三巻まで
刊行されていた『豊饒の海』の連作を買い求め、十日間ほどで一気に読み終わりました。しばらくして最終巻の
『天人五衰』が刊行されると、これも勢いに任せて読破しました。(中略)
わたしはここに仕掛けられた巨大なアイロニーに眼が眩む気持ちを抱きました。と同時に、自分の死後に遺された
者たちはすべからくこのアイロニーを生きるべしという、あなたの呪いめいた遺言に、さて、その呪いを
どのように受け取り、自分の文脈のなかで理解してゆくことにしようかと、呆然たる気持ちを抱いていました。
四方田犬彦
省1
227: 2010/03/29(月)22:18 ID:9M2It6AJ(2/5) AAS
今から考えてみると、「豊饒の海」が最後に突入していったのは、物事のすべてが「存在の耐えられない軽さ」を生き、
ノスタルジア(懐旧)とパスティッシュ(模倣)の原理のもとに操作されてゆく、ポストモダンの薄明のこと
だったような気がしています。わたしが大学生活を送った一九七〇年代は、十年間を通して、あなたの名前が
忌避され、排除されてきた時代でした。大学院の研究室でも、同級生どうしの会合でも、あなたの死のみならず、
その作品について言及することは場違いであり、できればあなたのような文学者が戦後日本に存在して
いなかったかのように振舞うのが、暗黙の了解であるような日々が続いていました。日本のポストモダン社会は、
三島由紀夫の不在によって、安心して自己実現を達成したのです。七〇年代と八〇年代を代表するイデオローグであった
山口昌男と蓮見重彦を考えてみたとき、それは明らかとなるでしょう。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
228: 2010/03/29(月)22:18 ID:9M2It6AJ(3/5) AAS
山口はあなたが悲劇的なもの、崇高なものに魅惑されていたのとは対照的に、それらから意図的に距離を置き、
喜劇的なもの、道化的なものに焦点を当てました。そしてすべての知識が位階制度を超えて並置される地平を、
ユートピア的に実現しようと企てました。
一方の蓮見は、あなたと同じ学習院に学び、皇族と人脈的な関係をもつことにきわめて野心的な人物でしたが、
一貫してあなたを嫌っていることを公言していました。もっとも事物の表層を好むというニーチェ伝来の哲学を
喧伝するという点で、彼はあなたの屈折した後継者であったといえなくもありません。
あなたの全集が再び編集され、刊行されていなかった日記や書簡が公にされたり、…あなたの行動の全体が
次の世代によって再検討の対象となるようになったのは、二〇〇〇年代に入り、先の二人の知的扇動家の影響が
消え去ったことと、軌を一にしているのは、けっして偶然ではありません。
四方田犬彦
省1
229: 2010/03/29(月)22:19 ID:9M2It6AJ(4/5) AAS
(中略)三島さん、裕仁はあなたよりも十八年と二ヶ月ほど生き延びて、一九八九年に身罷りました。
彼が支配していた昭和という時代は、六十四年をもって終了しました。けれどもすでにそれ以前から、誰もがもはや
(公文書ででもないかぎり)昭和という年号などもはや存在していなくなったかのように振る舞っていました。
なるほど昭和も三十年代、四十年代までは、それなりに口にされると実感めいたものが浮かび上がってきました。
けれども昭和五十年代というのは、たとえその表現に過ちがないとしても、もはやいかなるイメージをも人々に
喚起しなくなっていました。ましてや短かった昭和六十年代など、そう書き記してみたところで、どのような
イメージも浮きあがってくるわけではありません。それは一九七〇年代、一九八〇年代という表現がいかにも
人口に膾炙しているのと、好対照です。わたしは、こうした年号の喚起力の衰退の原因のひとつは、三島さん、
あなたの割腹自殺にあったのではないかと睨んでいます。あなたは生命を賭けることで、裕仁の時間支配に
修復しようのない楔を打ち込もうとしたのではないでしょうか。
省2
230: 2010/03/29(月)22:20 ID:9M2It6AJ(5/5) AAS
わたしには、一九七〇年十一月二十五日にあなたが日本人の一人ひとりに死を送り届けることで、これまで
暗黙のうちに日本を支配していた時間の神学的秩序に、凶悪にして不吉な楔を打ち込んだような気がしてなりません。
思い出してみれば、わたしの世代は機会あるたびに、あなたが割腹をしてもう何年が経過したとか、何十年が
経過したと口にしながら、時間をやり過ごしてきたのです。死の御降臨。死の分節。
あなたによって考案された禍々しい暦が、日本の時間秩序を攪乱し、神聖なる時間の起源を禍々しい紛い物へと
摩り替えてしまうことを可能にしたのだと、わたしは考えています。
(中略)親愛なる三島さん、わたしたちはいまだにあなたの影のもとに生きています。もしあなたが今生きて
いらしたとしたら、このような年少者たちを前に、また高笑いをされるかもしれません。その姿が目に浮かびます。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より
231: 2010/03/31(水)22:20 ID:sVZfeSz+(1) AAS
ヒトラーのナチズムに隠された動機とは、・・・古代から引き継がれるキリストを刺した槍に宿る
〈悪魔〉であり、その秘密の力を獲得することである。
あの時、ヒトラーを通してヨーロッパに働き掛ける古代以来の〈悪魔〉の力を予防し、抑止するこ
とは果たしてできただろうか?どの段階かではできたが、どの段階かからは不可能であっただろ
う。亡命すべからざればただただ死しかなかったと私には思われる。著者はドイツに帰化したヒュ
ーストン・スチュアート・チェンバレンなる人物について「悪魔に追われた男」として、〈悪魔〉は「い
つ、どこで彼の魂に取り憑くのか知らなかった・・・チェンバレンを常に監視していた防衛軍の情報
員らは、彼が目に見えぬ悪魔から逃げ出すさまを見たとすら報告している!」(175頁)と驚愕とと
もに書いている。著者は単純な反ナチではなく、〈悪魔〉を看破しようとしているのである。これほど
に〈悪魔〉を実体あるものとして現実の政治史的問題を凝視しつつ描ききった著作を私は知らない
省3
232: 2010/03/31(水)23:43 ID:id6jCjG7(1/3) AAS
私はこの三年にわたって折にふれ三島とあってきたが、私がいつも感じたのは、彼は現存の日本人のうちでは
最も重要な人物だったということだ。当然のことながら、私には彼がその生涯の終わりにどのようなコースを
たどるかについては想像もつかなかったが、たとえその範囲は限られたものであるにせよ、彼はその
ダイナミズムと懐疑主義と好奇心によって日本の歴史に永久にその名をとどめる地位を占めるにちがいないと
確信していた。(中略)
三島の行動は、今日の日本の右翼の大物たち――その名前をあげる必要はあるまい――を、道化役者のように
見えるようにした。私と議論した一部の人々は、三島はその行動によって、笑止千万なピエロの役割を演ずる
ことになったと主張した。これに対し私は三島はピエロどころか、逆に他の人々をピエロとして浮かびあがらせた
――つまり、彼等をつまらない行動によって、金をもらいたがったりするようなピエロに仕立てあげたのだといいたい。
ヘンリー・S・ストークス
省1
233: 2010/03/31(水)23:43 ID:id6jCjG7(2/3) AAS
三島を高く評価したい私の次の理由は、私の見るところでは、彼は日本の政治論争にこれまで見られなかった
深みをつけ加えた点である。(略)…三島を「右翼の国家主義者」といった言葉で片づけることはできない。
三島は「右翼」とか「国家主義者」とかいったレッテルを貼った箱に、絶対におさめることのできない人物である。
彼の思想の広さといい深さといい、そうした単純な分類に入れることを許さない。
三島が何をいわんとしていたか、それを一言にして説明するには、何か新しい言葉を見つけださなければなるまい。
三島について注目すべき理由はほかにもある。彼は今日の政治論争のすべてを公開の席に持ちだした――(略)
…これらの問題については、自民党の幹部たちは私的な場所でのみしばしばその意見を表明してきたのである。
しかるに三島は敢然として、政治家たちがこれまでおっかなびっくりで、私的な場所だけで取りあげてきた
政策論争を、公けの席に持ちだした。職業政治家になぜこれができなかったのであろうか。
ヘンリー・S・ストークス
省1
234: 2010/03/31(水)23:45 ID:id6jCjG7(3/3) AAS
…三島を西洋に「説明」できるだけの資格を持つ西洋の学者は、ほんの一にぎりしかいない。しかもこれらの
学者たちでさえ、今までのところでは、三島をもっぱら文学者としてだけ扱い、彼の政治活動は重視していない
ようだ。私はそれはあやまっていると考えるし、三島自身がなくなる二週間前に、これらの学者について語った
言葉から推察すると、こうしたあやまりは彼自身予想していたようだ。彼は英語でこう言っていた。
「あの人たちは日本の文化の中のやさしいもの、美しいものばかりを取りあげる」したがって外国の批評家に
限っていえば、三島が全く誤解されてしまう可能性はきわめて大きい。この国の政情の非現実性――国防の
問題をトランプ遊びかポーカーの勝負をやっているかのように議論する国である――を、認識できる人は
ほとんどあるまい。(略)…外国人は日本で自由な選挙が行なわれ、それに過剰気味なくらいおびただしい
世論調査と言論の自由があるという事実こそが、日本に民主主義のあることを物語っていると頭から信じこんで
いる。三島は日本における基本的な政治論争に現実性が欠けていること、ならびに日本の民主主義原則の
省3
235: 2010/04/02(金)00:31 ID:KUyJthmj(1) AAS
ここへ来た時第一番に氷水を奢ったのは山嵐だ。そんな裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっちゃ、
おれの顔に関わる。おれはたった一杯しか飲まなかったから一銭五厘しか払わしちゃない。しかし一銭だ
ろうが五厘だろうが、詐欺師の恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あした学校へ行ったら、一銭五
厘返しておこう。おれは清から三円借りている。その三円は五年経った今日までまだ返さない。返せない
んじゃない。返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中をあてにしてはいない。
おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしないつもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清
の心を疑ぐるようなもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。返さないのは清を踏みつけるの
じゃない、清をおれの片破れと思うからだ。
ヘンリー・S・ストークス
「ミシマは偉大だったか」より
236: 2010/04/04(日)22:32 ID:89Ss7qpn(1/2) AAS
日本は、外国から一人前の国家として扱われていない。国家も、人間も、その威が行われていることで、
はじめて国家であったり、人間であったりするのであって、何の交渉においても、外国から、既に、尊敬ある
扱いをうけていない日本は、存在していないのと同じである。そんな国の下で平和を歎び、春夏秋冬口に入る
果物、野菜を讃へ、牛肉、鶏、(それらはすべて、体の中に蓄積されれば死の危険のある物質を含んでいる)を、
巴里の料理人を雇って来て料理させているレストランで会食して、得々としている、滑稽な日本人の状態を、
悲憤する人間と、そんな状態を、鈍い神経で受けとめ、長閑な笑いを浮べている人間と、どっちが狂気か?
このごろの日本の状態に平然としていられる神経を、普通の人間の神経であるとは、私には考えられない。
議会の討論を聴いても、新聞を読んでも、私には日本の政府が暗愚だ、というよりも、狂気しているとしか
思われない。
私が三島由紀夫の怒りを見て、子供以上の純粋に感動したのは当然である。
省2
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