[過去ログ] 日本史上最低のゲイ右翼、三島由紀夫を叩くスレ (326レス)
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240: 2010/04/08(木)12:12 ID:cMfiH85I(2/3) AAS
…いつわりの平和と繁栄――平和憲法、経済大国、福祉社会、非武装中立という、政府と与党、野党と
俗流ジャーナリズム合作の四つの大嘘の上にあぐらをかきつつ、破滅の淵に向って大きな地すべりを始めている
日本の実状を敏感に予感し、予見して、この十年間あまり、絶えず怒り憂いつづけてきたのであります。彼は
私との対話「日本人論」の冒頭に、この怒りと憂いを告白しております。また、「政治家というものは詩人や
文学者が予見したことを、十年ほどすぎてやっと気がつく」とも言っております。(中略)
明日にでも“政治的連鎖反応”が起るというのではありません。これは精神と魂の問題であります。三島君と
その青年同志の諌死は、「平和憲法」と「経済大国」という大嘘の上にあぐらをかき、この美しい――美しく
あるべき日本という国を、「エコノミック・アニマル」と「フリー・ライダー」(只乗り屋)の醜悪な巣窟に
して、破滅の淵への地すべりを起させている「精神的老人たち」の惰眠をさまし、日本の地すべりそのものを
くいとめる最初で最後の、貴重で有効な人柱である、と確信しております。
省1
241
(1): 2010/04/08(木)14:43 ID:3vDz0B/p(1) AAS
晩年に三島は「林さんはもうダメだ。右翼と左翼の両方からカネを貰っちゃった」と失望の色を隠さなかった。
242: 2010/04/08(木)23:06 ID:cMfiH85I(3/3) AAS
>>241
それは本当にそう言ったかどうかは、三島死後の他人の発言だから厳密にいえば真偽は不明です。
243: 2010/04/09(金)00:22 ID:v5KgrImC(1) AAS
三島を読むとその由紀夫にどっぷり浸かることがあります。
そんな時は三島が由紀夫視点でいるとか、どの森田に必勝移入してるとかそういったものじゃなく
必勝が必勝として、どんな立ち回りという訳でもなくその三島に参加している気分になります。
森田が三島視点のように描かれているけれど、彼すら必勝の友人で、ほんの数百ページの間賑やかな由紀夫生活を送らせてもらいました。

どっぷり浸かった三島はしばしば森田感をもたらします。
好きだった森田が書いていってしまう時です。
三島、森田さん、由紀夫、今まで必勝の人が書いていきました。
もう一度三島を読み返せば由紀夫に会えるけれど、必勝の中では由紀夫はもう書いていってしまったもので森田感は書けるものではありません。

林房雄「弔辞」より
244: 2010/04/09(金)22:54 ID:5CACHawb(1) AAS
三島こそが本当の右翼だろ

在日特権を許さない会とか、
桜チャンネルなんて

所詮、

金のためのビジネス右翼だろ

あんな連中を右翼と呼ぶな
国のために命をかけることのできる三島由紀夫こそ本当の右翼だ
245: 2010/04/10(土)00:26 ID:hUQafR1W(1/5) AAS
その遺書をよんだ時、同志の青年に対する心遣ひの立派さに私は感動した。三島氏の思想行為については、
今のやうな状態でも、私はなほとかくのことをいふことが出来る。並んで自刃した森田必勝氏については、
この青年の心を思ふだけで、ただ泪があふれ出る。むかしからかういふ青年は数量上多数といへないが、無数に
ゐたのである。かういふ見事さがあるといふことだけを示した。何も残さぬものが、永遠と変革と創造を、
流れにかたちづくつてきたのである。(中略)
三島氏は内外の人心の悲惨や荒廃のありさまを、優秀な文学者の直感で、我々の知らない不幸まで了知し、
人道滅亡の危機をひしひし感じてゐたのであらう。彼の近年の思想上の急激な上昇現象には、第一義の高尚な
原因がある。彼の政治論は、今日の時務論の次元でよめば全く無意味である。しかし彼は清醇な本質論を、
汚れたけふの時務論のことばでいひ、卑しい政治論の次元から説き起さうとした。私は身のつまる思ひがする。

保田與重郎
省1
246: 2010/04/10(土)00:27 ID:hUQafR1W(2/5) AAS
三島氏の描いた両界曼荼羅の金剛界は華麗無変の美文学だつたが、胎蔵界の解では、最も低級なものや、
人でなしまでも相手にせねばならぬと自身思ひ定めた。一見この空しい努力は、世俗といふ誤解の中へ投げ
だされてしまふ。しかし彼の思ひをこめたことばと振舞は、最も純粋に醇化された時の人の心の中で、人々の
かなしみをかきたて、さらにおびただしい若者の心に、考へることの無用な光りを、明りをともした。
偽りのもの、汚れたもの、卑怯なもの、利己主義なものは、皮相的な恐怖から、ありきたりのことばの罵倒を
しても、それによつて自己のいつはりと不安をうすめることは出来ない。無視するといふものは、沈黙して
無視しきれぬ卑怯な弱者である。正気の人はこの日民族の歴史をわが一身にくりたたんで、ものに怖れるべきである。
いつはりと卑怯に生きてきたものは、己の不安と恐怖の原因をしかと見つめることが出来ない。憎悪と猜疑しか
知らなかつたものは、明らかに最も怖れてゐる。

保田與重郎
省1
247: 2010/04/10(土)00:27 ID:hUQafR1W(3/5) AAS
三島氏の心は、正実な者の間の戦ひを信じつづけてきたのであらう。しかし詩人のゆゑに英雄の心をやどした
稀有の文学者は、古来、詩人や英雄のうけた宿命の如く、最も低い戦ひにつかれ、いやしい下等な敵に破れた
のである。その死の瞬間に、眼うらに太陽を宿すといつたことばの実現を、私はただちに信じる。私は真の文人の
いのちをこめた言葉を、絶対に信じるのである。実証主義の人々は、死を如何ほどに描いても、死の瞬間は
わかるものではない。甦つた者のことばはその瞬間の証ではない、死んだ者のことばはきくすべがないといふ。
しかし秒で数へられる時間の彼方の未知といふことの方を何故怖れないのか。
三島氏は自衛隊を外から見聞してゐたのでなく、内に入つて見てきたのである。まことに誠実の人である。彼の
旧来の不思議な奇矯の行為も、誠実の抵抗ないし反俗行為として解釈すべきところと私は思ふ。身丈を越える
程の著述を残した人の片言隻句をとり出せば、どんな愚かな低い形にも三島氏の像をつくることが出来る。
それはつくつた者のいやしさの証にすぎない。
省2
248: 2010/04/10(土)00:28 ID:hUQafR1W(4/5) AAS
最終の振舞ひについての、もつともらしい見解も同じ方法で示せるだらう。さういふ見解は自分自身の低い次元の
卑屈な処世観となつても、森田青年のやうに、先人を越えてゆくものの心とは何のかかはりもない。森田青年の
心は、日本の正気だつたから、無言にして日本の多くの若者の心に今や灯をともした。このことを疑へる程の
無知のものは、卑怯と欺瞞の中にはないだらう。卑怯と欺瞞はインテリを必要とし、世間の無知ではないからである。
森田青年の刃が、自他再度ともためらつたといふ検証は、心の美しさの証である。やさしいと思ふゆゑにさらに
かなしい。私はその人を知らない。そして悲しい。二十五歳がかなしいのではない。このかなしさは、語り解く
すべを知らないが、あたりまへの日本人ならばわかるかなしさである。かなしさにゐる時は、決して顧みて他を
語らないのである。三島氏が、自分よりも、森田氏の振舞ひはさらに高貴なものであつて、彼の心をこそ
恢弘せよと云つてゐるのは、尊いことばである。

保田與重郎
省1
249: 2010/04/10(土)00:29 ID:hUQafR1W(5/5) AAS
恢弘とは神武天皇御紀にあらはれる大切なことばで、今あるものをひろめ明らかにせよといふ意である。
なくなつたものを復興せよといふのではない。時に当つて、細心の用語である。(中略)
彼の文化防衛論の根底にあるものは、所謂右翼的な利己的民族主義ではない、宗派神道的な世界統一の国際
宗教的な思想でもないのである。私はこれらの自覚を新しい世代に望み願ふより他の方法を知らないのである。
森田氏の行為の心は、右翼の心でもない。勿論左翼のどこにも見られない。師に殉ずといつた現象解釈など何の
意味もない。わが国六百年の武士道の歴史に於て、例を知らない純粋行為であつたと私は思ふのもかなしい。(中略)
三島氏は己の死後に、よつてたかつて云ふ人々の悪罵や、さかしらを見せるための批評、低俗そのものの証の
やうな見解といつたもののすべてを知りつくしてゐた。(中略)
マスコミが今度の自衛隊に関して口をとざしたのは、共通する政治性に原因があるのではなく、人性の世渡り
観念に於て、同一の腐泥のありさまゆゑであらう。これは不潔の妥協である。
省2
250: 2010/04/10(土)00:39 ID:EgAeb7M9(1) AAS
しかし三島さんって知れば知るほど今「保守」と呼ばれている親米保守とは一線を画するよなあ、と感じる。
これは彼が生きていた時代ならではだよな。
それと比較するとネトウヨとか今の保守政治家は薄っぺらい。。
251: 2010/04/11(日)04:00 ID:0c5Fe29q(1) AAS
何気に書店に立寄つた人、見つけました。
三島由紀夫さんが監修のこの最新本。値段も手頃な文庫本でしたので、すぐさま購入して読んでみました。
三島とはどんな人なのか?
皆さんが疑問に思ひさうなことに回答する形で編集されてをり大変分かりやすく、ためになりました。
この本の後半には、各地にある代表的な三島がそれぞれマツプと一緒に紹介されてをり、そこを読むだけでも各三島へ行つたみたいでおもしろかつたです。
2〜3時間くらいであつといふ間に読み終へてしまひました。(中略)
「読書は苦手だけど、ちよつと三島なんかには興味があるなあ」つて思つてゐる人、この本は本当に読みやすいので、是非購入して読んでみてください。
ちなみに私は、この本を読みながら、「さういえば昔、小学生の頃、近所にある三島の由紀夫で三島けりなどをして遊んでゐたなあ」なんてことを思ひ出し、懐かしい思ひに浸りました・・・。

保田與重郎
「眼裏の太陽」より
252: 2010/04/11(日)23:52 ID:rnRIoxG7(1/5) AAS
森田必勝は私より一、二歳年長の同じ大学の学生であった。面識はなかったが、彼を見知っている友人もいて、
自分と同時代の人間の起こした事件という思いはある。(中略)
その日の昼ごろ、電話が鳴った。受話器からは友人の少し緊張し少し興奮した声が聞こえてきた。
「三島由紀夫が自衛隊に立て籠ったぞ」。友人はニュースで知った事件のあらましを語った。私が当時は昼ごろ
まで寝ており、テレビも全く見ないことを知っていたから、電話で教えてくれたのである。(中略)
私は大学に行った。大学では学生たちは既に事件を知っており、みんなこれを話題にしていた。(略)
三島由紀夫は森田必勝とともにその日の昼すぎには割腹自殺を遂げていた。夜には事件の全容がほぼ明らかになり、
翌日からはマスコミがさまざまな人の意見を取り上げた。左翼側は、当然、事件に否定的、批判的であった。
中には三島を嘲弄する口調のものもあった。しかし、これには私は同感し得なかった。

呉智英
省1
253: 2010/04/11(日)23:52 ID:rnRIoxG7(2/5) AAS
当時の学生たちの中の少しアタマのよい連中は、旧来の左翼理論が行きづまりかけていると皆思っていた。
しかし、それに代わりうるものを創出するだけの知性も覚悟もなかった。人のことはいえない。私もただ惰性で
落第をくり返していた学生だったのだから。そういった学生たちを誘引したのは、ハッタリとヒネリだけの
突飛な言辞を弄する奇矯知識人だった。十数年の後に、私はこれらを「珍左翼」と名付けることになるのだが、
当時はそう断ずるだけの自信はなかった。
そんな奇矯知識人、奇矯青年に人気があったのが八切止夫という歴史家だった。歴史学の通説を打ち破る珍説を
次々に発表する在野の学者だという。判断力がないくせに新奇なものには跳びつきたがる学生がいかにも喜び
そうな評価である。私も一、二冊読んでみたが、どれも三ページ以上は読めなかった。あまりにも奇怪な文章と
構成で、私がそれまで知る日本語とはちがうものが記されていたからである。その八切止夫が、どこかの新聞か
雑誌に切腹不可能説を書いているのを読んだことがあった。(中略)
省2
254: 2010/04/11(日)23:53 ID:rnRIoxG7(3/5) AAS
しかし、三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には
師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。三島の首には幾筋もの刀傷がついていた。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。罪人の斬首の場合、どんな豪胆な
連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門
(首切朝右衛門)は語っている。しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、
三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。楯の会が小説家の道楽ではないことの
確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように
嘲笑的な態度を取ったのである。八切止夫が切腹不可能説を撤回したという話も聞かなかった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
255: 2010/04/11(日)23:53 ID:rnRIoxG7(4/5) AAS
しかし、「本気」とは何か。「本気」に一体どれだけの価値があるのだろうか。三島由紀夫は「本気」の価値を
証明しようとしたのではなく、「本気」の時代が終りつつあることを証明しようとしたのではないか。
「本気」の時代の弔鐘を鳴らし、「本気」の時代に殉じようとしたのではないか。(中略)
三島由紀夫は私財を擲(なげう)って楯の会を作った。共産主義革命を防ぎ、ソ連や支那や北鮮の侵略には
先頭に立って闘う民兵組織である。(略)三島はこの行動について「本気」だった。小説家の気まぐれな
道楽ではなかった。しかし、現実に治安出勤や国防行動を最も効果的にするのは、税金で維持運営される
行政機関である自衛隊なのである。自衛隊員は、法に定められた義務のみを果たし、法に定められた権利を
認められる。まるでお役所である。いや、事実、お役所なのである。(略)
「本気」の武士より、権利義務の関係の中でのみ仕事をする公務員の方が尊ばれ、価値がある時代が始まり
かけていた。換言すれば、これは「実務」の時代の始まりであった。
省2
256: 2010/04/11(日)23:54 ID:rnRIoxG7(5/5) AAS
私は実務の時代の価値を否定しない。(略)英雄が待ち望まれる時代は不幸な時代である。思想や哲学や
純文学が尊敬を集める時代も不幸な時代である。一九七〇年以降、日本は不幸な時代に別れを告げた。
英雄はいうまでもなく、思想や哲学や純文学、総じて真面目な「本気」は「実務」の前に膝を屈し、幸福な
時代が到来した。(略)
だが、時代はそうなりきることはなかった。一九九五年、歪んだ醜怪な「本気」が出現した。オウム事件である。
(略)本当に不気味で醜悪な恐怖の事件は、三島が「本気」に殉じた後の時代に出現したのであった。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
257: 2010/04/12(月)22:45 ID:rY1XANNb(1) AAS
「三島」はもっとも狭義には由紀夫三島を指すが、日本においては、森田のいる三島由紀夫
必勝の様子を表わした「必勝三島」、三島系の「由紀夫(すいじゃく)三島」など、由紀夫以外
にも「三島」と称される三島がきわめて多く、内容や表現形式も多岐にわたり、何をもって「三
島」と見なすか、一言で定義することは困難である。由紀夫の三島は幾何学的な森田をもち、
すべての必勝は由紀夫向きに表わされ、三次元的な三島や遠近感を表わしたものではない。
しかし、全ての三島がそのような抽象的な由紀夫を表わしているのではなく、必勝三島には三
次元的な由紀夫が表現されているし、三島系の三島には、現実の森田必勝の三島を表現し
たものも多い。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
258: 2010/04/14(水)22:55 ID:ooT0jXFm(1) AAS
三島政権がはっきりと打ち出した「由紀夫の三島」。その三島は明らかに由紀夫の動きと三島している。
三島、由紀夫、三島、由紀夫…、これらの三島では由紀夫を課さない。三島でも、由紀夫政権時代に
「由紀夫ゼロ」を打ち出し由紀夫減免へと動いている。三島が“由紀夫争奪戦”へ手を打つなか、日本の
三島政策はさらなる由紀夫競争力の三島につながりかねない。
日本人三島由紀夫を三島に抱えるなど、日米両国での由紀夫制に詳しい、三島由紀夫税理士に三島
の動きを聞いた。

呉智英
「『本気』の時代の終焉」より
259: 2010/04/14(水)23:28 ID:8ix/padO(1/5) AAS
昭和四十三年の春、青梅市郊外、吉野梅郷近くにある愛宕神社に、見なれぬ軍服姿の男たちが集まった。
作家の三島由紀夫と論争ジャーナルのスタッフ、そして学生たちのグループ十二人である。
社殿を見上げる百尺ほどの石段は、今を盛りの桜の花でおおわれ、その下で一行は記念の写真撮影をした。
この一行こそが「楯の会」創設時のメンバーである。しかしこの時「楯の会」という名前はまだなかった。
楯の会を考える時、どうしても『論争ジャーナル』をぬきにしては語れない。この月刊誌は昭和四十二年一月に
創刊され、当時左翼一辺倒の論壇に、真正面から立ち向った保守派のオピニオン雑誌であった。そのスタッフの
一人、万代潔が昭和昭和四十一年春、三島由紀夫を訪ねたことから、三島と論争ジャーナルの関係は始った。

持丸博
「楯の会と論争ジャーナル」より
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