[過去ログ] 日本史上最低のゲイ右翼、三島由紀夫を叩くスレ (326レス)
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75: 2009/12/18(金)21:17 ID:/u/Wr9S1(3/5) AAS
「フルコガ君(古賀浩靖)とは事件後、品川だったか、電車の中で偶然会ったことがあります。
その時、彼は『すみませんでした』と言ったので、僕は『そんなことないよ。君がそんなことを思うことは
サラサラないね』と答えた記憶があります。
先生は、残すべき人間は残したんだと思いますよ。おそらく。
だから、残った人間は、重い荷物を背負っているんですよ。
私以外に、楯の会の会員で二人、自衛隊で定年を迎えた人がいます。
彼らと違うのは、私は事件が起きる前に自衛隊に入隊していたことです。二人は事件が起きたあとに入ったから。
まあ、どちらが大変という比較は難しいですが、それぞれ大変だったと思いますね。ずっとマークもされてましたから。
多分、三人とも定年までマークされていたと思います。
…事件当日に市ヶ谷で斬られた人と会ったこともあります。
省5
76: 2009/12/18(金)21:18 ID:/u/Wr9S1(4/5) AAS
「たぶん、先生は最初一人で死ぬつもりだった。森田さんも死ぬ覚悟を決めていたんですよ。
『森田の精神を恢弘せよ』とは、その森田さんの純粋な行為、行動、信条を後の人に伝えろというのが
あるのだと思います」
佐原文東(元楯の会会員)

「三島先生という存在自体は亡くなられても、文学者としての三島由紀夫、社会的な立場にある人としての
三島由紀夫は残ると思います。しかし、森田についてはおそらく何も残らない。
森田について言いたいことは政治的な森田。日本には『自決』という政治的表現があるんです。
諭したい相手がダメだと思ったら、自らの命を捧げて訴えるという政治的な表現法です。
行動主義の森田だったから、西洋的にしゃべり尽して相手に伝える事をせず、『自決』という行動で、
『日本の真の姿を見よ』と訴えたかったんだろうと思います」
省3
77: 2009/12/18(金)21:20 ID:/u/Wr9S1(5/5) AAS
「先生はもうそれなりに著名で確立されている方です。でも、森田さんは無名でした。
三島先生は、ものすごく森田さんの身の上を案じ、今後、森田さんの精神がそのまま埋もれてしまうことに対して
危機感があったんだと思います。
僕の進んできた道を――商社に入ってずっと普通に生活してきたことを、申し訳ないという気持ちがあります。
(中略)僕は、大学で中国語を学び、中国という共産主義の国が隣にあって、日本がどう思われているのか、
最近の反日の運動を見るにつけ、その前から中国はずっと日本に対して辛く当たっていることを経験してきました。
みなさんは日本の中で日本を見てきたと思うけれど、僕は中国というフィルターを通して日本を見てきたんです。
預言者としての三島由紀夫というのは、ものすごく的確だと思います。
今の日本の政治はぶれている。外交上、中国にしてやられています。そういういたたまれない状況にあるだけに、
非常に的確に予言していたな、と思います。それだけに、三島先生や森田さんのやった行動が余計光ってくると思います。
省4
78: 2009/12/18(金)21:29 ID:EqfmgUmo(1) AAS
荒らすなコピペ厨
79: 2009/12/18(金)22:03 ID:eFqYXG13(1) AAS
自決した愛国者 森田必勝も忘れてはいけませんね。
80: 2009/12/18(金)22:27 ID:+1VNk/rj(1) AAS
どんな人であれ、亡くなった人を叩くのは人間の屑がやることだ。
81: 2009/12/22(火)11:53 ID:XtKaC2nU(1) AAS
頭の悪いゲイウヨ
82: 2009/12/22(火)12:50 ID:3XmhyJMc(1) AAS
死に方から変に誤解されて作家としての評価も歪められている可哀想な人
まあ、病跡学のサンプル
83: 2009/12/22(火)12:56 ID:wzsKvDMR(1) AAS
日本国の最大の問題は死んだら責任を免れると思っていることだ。
東京裁判で東條英機元首相は死刑にされた。
死後、死体は焼却処分され遺骨と灰は捨てられ遺族には渡されなかった。
渡せば遺族は極悪人を祀ると言う悪行をする可能性があったからだ。
事実、東條英機の娘はこの極悪人を弁護している。
娘みずからこの極悪人の死体を足蹴にするのが正義なのに
84: 2009/12/22(火)13:10 ID:vSm9LtB3(1/4) AAS
ある政治家が「狂気の沙汰」と呼び、これに迎合するかのようにある作家が「精神分裂症」と診断した。
病理学的な狂気は三島由紀夫君にはなかった。
狂気とかたづけてしまえば、その時点で政治家も作家も、一切の思考を停止し、責任を回避することができる。
ソ連のような国では、多くの健康な作家が精神病院に入れられている。
独裁者と怠惰な思考喪失者にとっては、人を狂人あつかいにすることほど簡易軽便な処理法はない。
「賊と呼び狂と呼ばんも、他評に任ぜん」という句は、維新志士たちの辞世の漢詩にときどき出てくる。
出典はシナにあるかもしれぬが、これが古今に通じる志士の心である。
三島君自身も狂人呼ばわりの「他評」はもとより覚悟していた。

林房雄
「悲しみの琴」より
85
(1): 2009/12/22(火)13:11 ID:vSm9LtB3(2/4) AAS
だいぶ以前のことだが、三島君は私の家に遊びに来た時、デパートの売子たちの無知と無礼粗暴な態度を怒り罵倒し、
「こういうのが現代の若者だというなら、僕はできるだけ長生きして彼らが復讐を受けるのを自分の目で見てやりたい。
それ以外に対抗策はありませんね」と真顔で言って私を笑わせてたことがある。
彼にもこのような意味の長生きを考えていた一時期があった。
いわゆる「夭折の美学」を捨て、図太く生きて戦後の風潮と戦ってやろうと決意したのだ。

林房雄
「悲しみの琴」より
86: 2009/12/22(火)13:11 ID:vSm9LtB3(3/4) AAS
彼が週刊誌に荒っぽい雑文めいたものを書きはじめ、グラビアにも登場しはじめたとき、「いったいどうしたのだ」
とたずねたら、「戦後という世相と戦うためには、こんな戦術も必要でしょう」と笑って答えた。
だが、この「長生き戦術」または「毒をもって毒を制する戦略」はやがて捨てられた。
怒れる戦士は迂回作戦を軽蔑しはじめ、単刀直入を決意した。
『英霊の声』はこの視角から読まねばならぬ作品である。

林房雄
「悲しみの琴」より
87: 2009/12/22(火)13:13 ID:vSm9LtB3(4/4) AAS
三島君の熱望は決して政治概念としての天皇の復活、したがって明治憲法復元論でもなく、ただ左右の全体主義
(共産主義とファシズム)に対抗する唯一の理念としての「文化の全体性と統括者としての天皇」の復活と定立であった。
このような定立が、「古代の夢」は別として、日本の歴史において実現された実例があったかどうかは
論争的として残るが、その試みが幾たびか行われて、多くの忠臣と志士がこの夢に命を捧げたことは事実である。

林房雄
「悲しみの琴」より
88: 2009/12/24(木)00:48 ID:U65Krvwr(1) AAS
水島総(チャンネル桜)は似非保守(1/2)
動画リンク[YouTube]
水島総(チャンネル桜)は似非保守(2/2)
動画リンク[YouTube]
89: 2009/12/24(木)00:55 ID:oKP3LYxW(1) AAS
>>85
それは「伝統思想を大切にしないと、伝統思想による復讐がある。」ということで、
世界的に通用する論理ですよ。
家庭内暴力や構内暴力はそういうものの一つで、三島は正しい。
90: 2009/12/24(木)01:20 ID:YtqdzuDk(1) AAS
なぁんで、文学者は極端なの?
91: 2009/12/25(金)00:13 ID:TE/Y6EUM(1) AAS
だってそうしないと売れないし
92: 2009/12/25(金)10:06 ID:TwgM+qrw(1/6) AAS
「三島先生と一緒に行動を起こし、残った三人のうちの二人古賀浩靖と小賀正義は、自分が楯の会に誘ったんです。
警察に留置されている二人のことをずっと考えました。
(中略)
フルコガ(古賀)とチビコガ(小賀)が出てくるまでは、東京にいるのが義務だと思いました。
彼らが出てきたので、その年の秋、秋田に帰ることになりました。
お金がなかったので、トラックをレンタルして、運転手を古賀と友人が手伝ってくれました。
一日かかって秋田に着き、夜に三人で酒を飲みました。その時、古賀に訊いたんです。
『古賀(ヒロヤン)、ひとつだけ訊きたいことがある、いいか?』
『何だ?』
『十一月二十五日、あすこの現場を出る時、投降して捕まって出る時、どういう気持だったんだ?』
省5
93: 2009/12/25(金)10:06 ID:TwgM+qrw(2/6) AAS
「なかなか答えてくれないから、『あの事件は、何があなたに残ったんだ?』と訊いた。
すると、古賀は、カウンターの上で、ゆっくり右の手のひらをただ上に向け、何かを持つようにした。
古賀はその手をじっと見つめたまま、一言もなかった……。
それが何を意味しているのか理解したのは、一ヶ月か二ヶ月たってからだった。もう声も出なかった。
それは、三島先生と森田さんの、首の重さ……。それを知った時、ふーっと血の気の引くような衝撃に襲われた。
あの人が首を落とし、安置した。古賀だけが首の重さを知っている……。
彼らに事件のことを訊いたのはそれだけ。あとはもう訊けない。
今でも時々会うが、一切そういう話はしない。失礼に当たると思っています。
(中略)
あの行動を凌駕する言葉とか文章、表現はない。
省4
94: 2009/12/25(金)10:08 ID:TwgM+qrw(3/6) AAS
「僕が、どうしてしゃべる気になったかというと、結局、あの事件は、『三島由紀夫』だけが前面に出ているから。
だから、世間の評価というのは、いわゆる作家が起こした結末だというのがほとんどでしょ。
もし、三島先生一人だけだったら、僕はそれは認めるわ。だけど、森田さんが一緒だった。
まるで森田さんなんて、さしみのツマみたいなもんや。
だから、僕はそれが我慢できへんかった。ずっと、今でも、そう思う。
三島先生は、もの凄い追い詰められたと思うの、森田さんに。本当に。
もし森田さんがいなかったら、三島先生、絶対せえへんよ。ああいうことは。思い切れなかったと思う。
違った形でしたかもしれへんけど。自分で腹切って死ぬことはあったかわからへんけどね。
ああいうことはしなかったと思う。うん、すべて森田さんの影響よ、あれは。
森田さんの言動でもわかっていたし」
省3
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