[過去ログ] ■□■天皇制は百害あって一利なし 6■□■ (587レス)
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33: 2014/08/02(土)11:52 ID:1BeoD4J9(1/3) AAS
天皇制アンケートのまえに判断の基礎になる情報提供が必要。
天皇制の由来、過去の経緯、天皇主権から国民主権になった理由。
天皇制のメリット、デメリット。
年間に投じられる国費の額。
男女平等の国家の象徴なのに、天皇は特定家系の長男だけなのか。

なぜ、憲法で天皇だけが規定されているのに親戚まで公費で養うのか。

一度、敬称は天皇夫婦以外の大人はさん、こどもはちゃん、で統一されたはずが、右翼の抗議で変えた経緯。

天皇の孫の小学生のガキに、様をつけてるのは誰の圧力か。

名誉社長に皇后、皇族が就く、日本赤十字を批判すると右翼の街宣車がすぐに嫌がらせを始めるのはなぜか。
省2
34
(1): 迷信の「国民主権」、反人民の「人民主権」 2014/08/02(土)12:07 ID:M+lFwgvF(1/2) AAS
 
エドマンド・バーク リバイバル(保守主義・伝統主義)
//www.geocities.jp/burke_revival/jinnkenn.htm

A迷信の「国民主権」、反人民の「人民主権」

・・・真正自由主義の政治における統治の権力は、法によって制限を受けるし、権力の分立によるチェック・アンド・バランスによる制約も受ける。

つまりそれ(統治の権力)は、主権という最高性、独立性というものとは両立していない。このため、主権をもって、この統治権を統一的に表現する根元であるとか、統治権を正当化する根拠であるとかの法技術的な説明を展開せざるをえない。

ということは、「無制限の権力」と定義されていたはずの主権が、「統治権の根元」などと全く別の次元の定義にすりかえられている。つまり、主権の定義は成立しえない。定義ができないということはそもそも存在していないからである。
省7
35
(1): 2014/08/02(土)12:07 ID:K5z+q1QV(7/16) AAS
○ ハイル デスラー (1)

恐らくデスラーさんは、『ある特定社会が有する認識にもとづき、社会的圧力等々によってすべての人間を矯正するという条件を介せば、
誰しもが疑問に『思うことがない』以上、正しい客観が存在する事例に該当する!』 こんなことを考えてるだと思います。
目的そのものが『正しい客観』に到る為のものである以上、人為的に疑問に思わせないようにすることは、正しいと考えるのがその背景になると思います。

仮にデスラーさんの希望が適い、天皇制を廃止することができたら、同じことを望むのではないでしょうか。
『天皇に対する評価は、私しデスラー総統が描くもの唯一正しい以上、天皇制を支持する原住民のような考えを矯正し、
誰しもが疑問に『思う』ことがない社会は、唯一正しい客観的な社会だ!』 

彼が主張してることを総合すれば、こんな社会が浮かび上がることなります。

○ ハイル デスラー! (2)
省7
36
(1): 2014/08/02(土)12:08 ID:K5z+q1QV(8/16) AAS
○ ハイル デスラー (3)

人は環境の中で生き、その人の価値関心を媒介に状況が構成される。
つまり、状況とはその人の信条体系であって、普遍的な真実を示すものじゃない。
歴史認識や社会を俯瞰すると、認識の違いが生じるのはこの為だ。
こうした差異の存在が生じることを積極的に受容できない人間ほど、
自分の信条体系に添わないものは、「信仰に基づく事実に反する認識」だと言い出すことになる。

もちろん認識の違いは、どうして生じるかについて理解することは、認識の差異を能動的に受容する上で大切な振る舞いだが、
一方で受容することができない物は、政治で言えば選択プロセスの遡上にあげることなく、強制的に排除すべきだといった考えは、
それこそ全体主義的な社会を予感させることになる。

○ ハイル デスラー (4)
省12
37
(1): 迷信の「国民主権」、反人民の「人民主権」 2014/08/02(土)12:08 ID:M+lFwgvF(2/2) AAS
 
  (>>34の続き)

・・・A迷信の「国民主権」、反人民の「人民主権」

国家の政治における。(「国民主権」)などの主権の概念は、F・ハイエク(ノーベル経済学賞、政治哲学者)によれば、迷信であるという。ハイエク曰く、

「主権がどこにあるのかと問われるなら、どこにもないというのがその答えである。立憲政治は制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はありえない。
・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、あらゆる法がある立法機関の計画的な決定から生まれる、という誤った信念に由来する迷信である。」

一言で言えば、現代国家の、国内法や国内政治において、主権(無制限の権力)などというものは存在し得ない。存在しえない(していない)のに存在しうると信仰すれば、たしかに迷信と言うしかない。
主権が存在しえないのは、自由を価値とする政治は、立憲主義に立脚せざるをえないからである。立憲主義とは国家権力を制限することであり、それは無制限の権力を否定することにほかならない。一方、主権とは無制限の絶対的な権力のことである。
このために、立憲主義は、必然的に、主権を否定し主権を国内政治から排除することになる。だから、立憲主義の国家の政治には、主権は存在しえない。また、存在させてはならない。
省5
38
(1): デスラー総統 2014/08/02(土)13:09 ID:aHWCrT5q(4/9) AAS
>>22>>25 ID:K5z+q1QV
論破済みのガラクタ理論を何の修正もせずに並べ立てても虚しいだけ。

>>26 ID:K5z+q1QV
>1.実益は変化という事実でもって生じるとするデスラーさんの主張は間違いであり、そこには『評価』という個々の人達による意識の投げ掛けがある。

→ 「変化」がなきゃ、何をきっかけにどう評価するわけさ? えぇ?
 「無くなったら困る」ってのも、「無くなった時に起こる変化」が社会や自分にとって不都合だからってことだろが。

>2.個々の人達の評価は、様々な観点からそれが為される。上記例で言えば『子会社』として観点、『会社グループ』として観点といった、
  一つの対象はある人の中でも、観点の立位置からも評価が別れることがある。複数の人同士であればなお更である。

→ A社の人間から見てもB社の人間から見ても、
 「A社が受注したことはA社にとっては実益であり、B社にとっては不利益である」という評価は不変である。
省4
39
(1): 2014/08/02(土)14:02 ID:1BeoD4J9(2/3) AAS
世襲天皇制は、いまの日本では例外中の例外。
国民の間では、不法行為(長男子相続、家長制度、男女差別、本家分家制度)、罰則(人権の広範な制約)をもって禁止されているものですらある。

これらと不可分一体である、天皇制は害悪であるから、常にそれらの害を上回るメリットがあることを示し続けなければならない(ゼロシーリング)。
そして、それが出来なくなったとき、またはメリットが下回ったとき、天皇制は廃止される。
40
(1): 2014/08/02(土)14:08 ID:X2qnVspm(1) AAS
>>39
>これらと不可分一体である、
>天皇制は害悪であるから、
>常にそれらの害を上回るメリットがあることを示し続けなければならない(ゼロシーリング)。
>そして、それが出来なくなったとき、
>またはメリットが下回ったとき、天皇制は廃止される。

現在のメリットは、
西欧諸侯との外交的な友好関係において、
相手にも存在している王室などと、
同じような貴族的な位置で会談が出来るというメリットがあるわけだろう。
省2
41: 2014/08/02(土)14:13 ID:aLi+U+Hv(4/6) AAS
日本における君主(皇室)のあり方に関する議論スレ
2chスレ:seiji
42
(1): 旧きものへの畏敬の念 2014/08/02(土)14:20 ID:aLi+U+Hv(5/6) AAS
 
 (>>32の続き)

・・・ルソーもホッブスもマルクスもヒトラーもレーニンも皆この点で共通している。亡命先でも、いつも祖国や亡命国の文明社会の「改造」「変革」「革命」の手段を思考し、実行の機を窺う野蛮な人間であった。

第二点の、「(古来より受け継がれてきた智)見」と道徳/自由との関係については、バークは次のように述べている。バーク曰く、

「我々は神を怖れます。畏敬の眼で王を見上げます。議会に対しては愛着の、判事たちに対しては服従の、聖職者に対しては崇敬の、貴族に対しては尊敬の、眼を上げます。

なぜでしょうか(?)。心の中でそうした観念を前にする時、そのように心を動かされるのが自然だからです。
省9
43
(1): 旧きものへの畏敬の念 2014/08/02(土)14:26 ID:aLi+U+Hv(6/6) AAS
 
 (>>42△の続き)

・・・さらに「(古来から受け継がれてきた智)見」を持つことで、自分の物事の考え方の基準を智恵と美徳という正しい基盤に据えることができるため、
ある物事に判断や決定を加える際に、不安や疑問を抱いて躊躇することなく、堂々と正しい決定を下す自信が持てるということである。

逆に、「(智)見」という感情を人間から除去すれば人間は道徳を除去する。不道徳化、つまり、背徳に陥る。このことは、「(智)見」という感情を全面排除することを論じたルソーやマルクスが、道徳を全否定したことでもわかるであろう。

王制や既存宗教や貴族制を支える「(古来から受け継がれてきた智)見」を「裸の理性」において否定し排除したレーニンの革命ロシア(ソ連)は無道徳国家となった。
20世紀の社会主義の歴史は、バークの「(智)見の哲学」の偉大さと真理性を力強く証明した。

つまり、「(智)見」こそが道徳感情の温室である。「(智)見」が規制されて排除されれば、道徳は消えていくしかない。日本国においても、上記の「(智)見」が一つずつ消えていくにつれ、道徳が消え自由が消えていくのである。
省7
44: デスラー総統 2014/08/02(土)14:56 ID:aHWCrT5q(5/9) AAS
>>35>>36 ID:K5z+q1QV
「主張の間違いを指摘すること」と「主張を認めない・許さない」の区別がつかない馬鹿。
何度も言ってるが、ぼくを納得させる必要などない。ぼくはぼくで、事実を指摘し続けるだけ。
その事実を読んでどう考えるかは、読む人それぞれが決めればいいことだ。
その事実とは、以下のようなモノである。

天 皇 が 存 在 す る こ と で 何 が ど う な っ て 、 ど ん な 実 益 が 社 会 に も た ら さ れ て い る の か 。

 = 誰 が 何 を す る ( あ る い は 、 し な い ) こ と で 、 社 会 の 何 が 良 く な っ て い る の か 。

天 皇 制 を 廃 止 す る と 何 が ど う な っ て 、 ど ん な 実 害 が 社 会 に も た ら さ れ る の か 。

 = 誰 が 何 を す る ( あ る い は 、 し な い ) こ と で 、 社 会 の 何 が 悪 く な る の か 。
省2
45
(1): 旧きものへの畏敬の念 2014/08/02(土)15:23 ID:s4tttTFk(1/3) AAS
 
 (>>43の続き)

・・・バーク曰く、

「(フランス)革新(思想)に対する我々(英国民)のかたくなな抵抗のお陰で、また、我が国民性の冷たい鈍重さのおで、我々(英国)は依然として祖先の刻印(王制)を持ち続けているのです。

我々は、十四世紀の思想(=コモン・ロー思想)の持っていた高貴と尊厳を失ってはいません。今までのところは自らを洗練して野蛮人と化してもいません。我々はルソー(=理神論)への改宗者ではありません。ヴォルテール(=無神論)の徒でもありません。

エルヴェシウス(=唯物論)は我々の間では少しも浸透しませんでした。(ヴォルテールのような)無神論者は我々の説教師ではありませんし、(ルソーのような)気狂いが、我が(=英国の)立法者(=国会議員)なのでもありません。
省9
46
(1): 旧きものへの畏敬の念 2014/08/02(土)15:27 ID:s4tttTFk(2/3) AAS
 
 (>>45の続き)

・・・「デモクラシー」は国家権力の暴走を促進することはあっても、決して止めることはできない。それがデモクラシーの本質である。

例えばヒトラーのナチ(ス)・ドイツはデモクラシー下の国民の民主的な選挙によって誕生したが、その政権の危険性について気付いた時、既にドイツ国民の力では、その権力の暴走を止められなかった。

  ーーー
・・・(※4)君主制の廃止・解体による国民の惨劇事例

君主制が次の二つの機能を持つことは、「近代最初の血塗られた蛮行」フランス革命で王制廃止後のギロチンによる人民の大量殺戮(約50万人に及ぶ)において、すでに十分証明されていた。
省8
47
(1): 旧きものへの畏敬の念 2014/08/02(土)15:32 ID:s4tttTFk(3/3) AAS
 
 (>>46の続き)

・・・メンギスツ共産政権の悪魔の餓死政策を隠蔽して、それへの国際的非難を(飢饉による餓死への援助という)人道問題に逸らすために、メンギスツ政権と共謀した巨大犯罪であった。
「100万人殺人の隠蔽工作に加担した(女優)K・T(原著では実名)」の罪は、永遠に糾弾されねばならない。

ウォロ/キグレ州の農民に対し、共産政権はまず、働けるものすべてを銃口の恐怖下でエチオピア西部の湿地帯へ開拓と称して「強制移住」させ、そこで1日11時間、週6日半の強制労働の刑に処した。「強制移住」時に約束した家も農機具も種もみも与えられなかった。

(働けるものが全くいなくなり、)老人と子供だけが残されたウォロ/キグレ州の農村は荒廃し、これらの老人と子供が飢餓に瀕した。彼らは食糧を求めて、首都アディスアベバを目指し、その路上、ばたばたと死亡した。餓死である。

これが、エチオピア大量餓死の真因、しかも唯一の真因である。
エチオピアがいかに貧しくとも、ハイレ・セラシェ皇帝が在位していたら決してあり得なかった1984年の阿鼻叫喚の地獄は、皇帝制度の廃止によって発生したのである。忘れてはならない歴史事実である。
省7
48: 2014/08/02(土)15:51 ID:cIQuc0J8(1/4) AAS
日本!
49: 2014/08/02(土)15:52 ID:cIQuc0J8(2/4) AAS
日本!日本!日本!
50: 2014/08/02(土)15:53 ID:cIQuc0J8(3/4) AAS
日本!日本!
51: 2014/08/02(土)15:53 ID:cIQuc0J8(4/4) AAS
日本!日本!日本! 日本!日本!日本!
52: 2014/08/02(土)15:54 ID:1BeoD4J9(3/3) AAS
現在、王室制度がある国家でも、相手方の王室の有無によってどんな違いをつけるというのか。

ワールドパワーである米国、中国、ロシアを見ればわかるが国家の評価は文化度、経済力、軍事力などの総合である国力であって、王室の有無などまったくもって考慮されていないことは明らかである。
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