[過去ログ] ■□■天皇制は百害あって一利なし 6■□■ (587レス)
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71(1): 君主制の廃止・解体による国民の惨劇事例 2014/08/02(土)22:31 ID:Cp6A//F+(1/2) AAS
(>>47の続き)
・・・それはまた、全ロシア人を「この世に神はいない」の、絶望と慨嘆の奈落に確実に突き落とすことができた。手の施しようのない大量餓死は、「教会は無力!」「信仰も無効!」だと体験させて棄教に至らしめる。
そして信者から見放された教会に対しては、無制限の破壊と教会財産の没収が、抵抗する民衆がいないため、円滑に遂行できる。一石二鳥である。
(レーニンは言う、)「飢えた人々が人肉を喰い、道に何十、何百という死体が転がっている今こそ、・・・容赦ない力で教会財産を没収することができる・・・我々は何億ルーブルもの宝を手に入れることができる」
(1922年3月クルトワほか『共産主義国書』、恵雅堂出版、134頁)
この世を生き地獄にする、レーニンの「人工餓死」という処刑方法は、農民からの生産量以上の食糧徴発であった。それは、銃殺という殺戮の手間を省くだけでなく、この徴発した食糧を海外に売って外貨を手にし、武器の大量購入を可能にした。一石二鳥である。
省7
72(1): 君主制の廃止・解体による国民の惨劇事例 2014/08/02(土)22:34 ID:Cp6A//F+(2/2) AAS
(>>71の続き)
・・・が、スターリンの殺戮は問題としても、レーニンのそれは美化して、レーニンの残酷残忍性を隠すのが日本の学界の通弊である。
それはともかく、最後の皇帝ニコライU世の治世(1894年〜1917年)において、レーニンのような空前絶後の国民殺しはあったのか、と問うて見るがよい。全く無かった。
(帝政期のロシア)皇帝は、反乱者を弾圧しても流刑にしても、レーニンに比すれば、その苛烈さは無きに等しいものであった。皇帝に処刑されたものの数を仮に数百名とすれば(レーニンのそれの)1万分の1であるから、0.01%である。
レーニン/スターリンの統計「6,600万人」に比すれば0.001%である。現にレーニンは、ニコライ皇帝下の1897年から1900年にかけての3年間、シベリア流刑(エニセイスク県シュシェンスコエ村)となったが、
労働はせず読書の日々であり、レーニンが創った(何割かが餓死・凍死・拷問で必ず死ぬ)強制重労働収容所に比すれば、天と地の差どころではない、文字どおりの天国であった。
省8
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