[過去ログ]
天皇制の廃止 その47 (1002レス)
天皇制の廃止 その47 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1685358321/
上
下
前
次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
92: 名無しさん@3周年 [sage] 2023/07/06(木) 01:36:59.86 ID:01VeIHDy 昔于老(せき うろう、? - 253年?)は、 新羅の軍人・高級官僚。第10代の王奈解尼師今の長子であり、弟に昔利音がいる。 あるいは角干(1等官の伊伐飡の別名)の昔水老の子ともいう。 230年に奈解尼師今が死去したときに于老は太子の位にあったが王位を継がず、 奈解尼師今にとっては従兄にあたる助賁尼師今が王位を継承した。 後に助賁尼師今の王系が途絶えたときに、于老の子が16代王の訖解尼師今となった。 数々の軍功とともに悲劇的な最期を迎えたことが、 『三国史記』巻45に列伝を建てられて記されている。 助賁尼師今の2年(231年)7月に伊飡(2等官)の位で大将軍となり、甘文国(慶尚北道金泉市)の討伐を行う。233年5月及び7月には新羅は倭人の侵攻を受けたが、7月の侵攻の際には于老は沙道(慶尚北道浦項市)で迎え撃ち、兵船を焼き払って倭人を壊滅させる功があった。これらの功績があって、 244年1月には舒弗邯(1等官の伊伐飡の別名)に引き上げられ、 軍事の統括を委任された。翌245年10月には高句麗の侵攻を受けて出撃したが、 勝つことができず馬頭柵(京畿道抱川市)まで退却した。 このとき寒さが厳しかったために、兵卒を労わるために自ら薪を燃やして暖をとらせ、 人々からは慕われた。沾解尼師今(在位:247年 - 261年)の 時代に新羅の支配下にあった沙梁伐国(慶尚北道尚州市)が 反乱を起こして百済に帰順したときにも、于老が出撃して沙梁伐国を討滅したという。 のちに倭国の使者葛那古を接待したときに、 戯れに「汝の王を塩奴(潮汲み人夫)にして、王妃を炊事婦にしよう」 と言ってしまったために、倭王は大いに怒り、将軍の于道朱君(武内宿禰?)を 派遣して新羅に攻めてきた。 于老は倭軍の陣に赴いて失言をわびたが、 倭人は許さず、于老は捕らえられて焼き殺されてしまった。 于老の死後、味鄒尼師今の時代になって倭国の大臣が新羅に訪れたとき、 于老の妻が味鄒尼師今に願い出て、 私的に倭国の大臣を饗応した。 大臣が泥酔したところを壮士に命じて庭に引きずりおろして焼き殺し、怨みを晴らした。 このことが原因で倭人は 新羅の首都金城(慶州市)を攻撃してきたが、勝てずして引き揚げたという。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/seiji/1685358321/92
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 910 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.011s