【無名】東京の武将たち【知りたい】 [無断転載禁止]©2ch.net (806レス)
上下前次1-新
351: 2017/11/30(木)11:35 ID:9frVxLvp(5/16) AAS
まず、武蔵千葉氏は下総に戻れなかった、
だけれども東常縁は1469年に息子縁数を残し帰国とあるので
下総で古河公方の勢力が強い中でも残っているのである
ではどこにいたのか、自分は古河勢が巻き返し図った際、匝瑳郡まで逃れたことから
今の東総地区にいたと思われる
さらに上記の武田、里見は成氏に呼ばれたとあるが、
堀越公方政知は成氏方の諸将を懐柔することに努めたことや、
東常縁がそのまま存在していることから、実は武田、里見、酒井、土岐氏は
中央側の東常縁と成氏側とをいききしたりなど、
定説通りには動いてなかったのかもしれない
そして大須賀左馬助・国分五郎などは東常縁の味方をしたようだ
逆に酒井定隆は成氏の客将になったという
1462年 武蔵千葉実胤隠居
(堀越公方と扇谷上杉が揉めたため、三浦氏や大森氏とともに隠居)
このことからこの時には立場から見て扇谷で出世してることが分かる
(後に実胤は上杉顕房の娘、自胤は長尾景信の娘で景仲の孫を嫁にしている)
いつごろから赤塚、石浜わからないがこの時には所領していたのではないか
それから隠居に伴い弟自胤が当主になり、宗家の千葉介も公認されている
そして実胤は出奔したと言われる
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 455 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.006s