信長は過大評価という学者の言のレベルはこんなもの (934レス)
上下前次1-新
803: 2021/06/20(日)19:47 ID:9nQthAwL(1) AAS
>>801
斎藤家の家臣時代を長くやったかと言えば義龍はナレ死
その息子の龍興は無かったことに
本能寺の原因で新たに発見された斎藤利三と長宗我部関連やると思ったら何にもやらず、wikiに載ってるようなカビが生えたような逸話集を垂れ流しただけ
信忠とともに討死する道三の忘れ形見の斎藤利治も無かったことに
そんな扱いなら斎藤家に尺を取るな
804(1): 2021/06/25(金)15:38 ID:dy+/wqJR(1) AAS
検地は同時期に各地の大名が行っている
むしろ北条などで竿指検地の導入も始まる一方
織田支配下の一部では指出検地すら実施されておらずこれも近年指摘される信長の旧態的な内政の一例
柴田勝家の越前における「刀さらへ」は豊臣政権の刀狩とは大きく性質の異なるもの
信長の資金稼ぎに関しては堺への「矢銭二万貫」に象徴されるような
上洛以降に強まる畿内一円における際限なき課税(ちなみに矢銭を拒否した尼崎は市街焼き討ち)、
朝倉滅亡後には朝倉に協力していた座すら保護しての座役銭の徴収といった旧態的な方法こそが大きな源泉となった
ちなみに本能寺の変の後、明智光秀が行った最初の政策は三好氏が廃止し信長が復活させた京の地子銭の再廃止
だけど現在の社会でも政界とか見ていると
別に革新的な政策とかではなく
省1
805(1): 2021/06/25(金)17:27 ID:7ppQimab(1) AAS
北条の一部でやっている政策を、織田家の一部ではやっていないという指摘に意味はあるのだろうか?
806: 2021/06/26(土)22:06 ID:kpWEjw4h(1) AAS
恐喝が一番儲かる時代だな
807(1): 2021/06/26(土)23:02 ID:oCTJ5XpC(1) AAS
>>805
西国より東国のほうが先進的な政策を実行してたみたいな指摘じゃね
808: 2021/06/27(日)01:29 ID:D2yM/qtj(1) AAS
伊勢新九郎の代から検地始めた北条家と
信長の代から検地始めた織田家で差があるのは当たり前
809(1): 2021/06/27(日)06:47 ID:3Py6B1GV(1) AAS
>>804
検地なんて農民の隠し田畑を暴くだけで大した政策ではないのに
過大評価するアホの多いこと
810: 2021/06/27(日)17:07 ID:LnhnJibP(1) AAS
>>807
ただの詭弁じゃ?全体で比較するんじゃなく、
北条家の一部の先進地域と織田家の後進地域の一部の比較だし。
これだと、織田家で竿丈量地やってる一方、
北条支配下の一部では差出検地すらしていないって書くことだってできる。
811: 2021/06/27(日)21:40 ID:DP0FZsR4(1) AAS
>>809
お前があほじゃい
812: 2021/06/27(日)23:30 ID:nFOU1an4(1) AAS
上で池上擁護してボロクソに論破された阿呆が帰ってきた?
813: 2021/07/25(日)01:49 ID:Ah6kOU9V(1) AAS
信長の夢女子みたい
814: 2021/12/28(火)14:02 ID:p5Ul7qQK(1/4) AAS
>>1
織田信長の楽市楽座も兵農分離も戦前の通説が近年の歴史研究で否定されとるんやで
>ちょっと専門的な内容。「楽市楽座」は、信長が始めたわけでもなく、習ったような内容でもなく、自由経済の先駆けのように捉えるのは、後の世の偏った見方のようだ。敵国の近くなど戦略上重要な場所に人を集めるために、安心して商売ができるよう保護したのが「楽市」で、「楽座」の事例は少なく、内容も「座」を廃することではなく、座からの徴収金を減らして商人にとって楽になるという意味であった。教科書で習った「楽座」=「破座」は秀吉の時代の話であるようだ。歴史の教科書はどんどん変わっていくので、世代間の常識に隔絶が生じるなあ。
>刺激的な一冊。「楽市楽座=信長」というイメージを廃し、織豊系以外の大名の「楽市」も考察する。大名ごとに様々な目的で出され、恣意的に運用される「楽市」は「自由な商取引」という言葉だけでは説明がつかず、また商人側も「諸役免除」に拘り、それが「楽市」に伴うものかどうかは重視しない。さらに衝撃は「楽座」で、それが役銭の減免を願う座側の申し出であり、「座の特権廃止」とは全く異なるということ。常識が揺さぶられるエッジの立った内容で、大変勉強になりました。
楽市楽座はあったのか (中世から近世へ)
外部リンク:bookmeter.com
815(1): 2021/12/28(火)14:03 ID:p5Ul7qQK(2/4) AAS
>>1
●「楽市楽座」の実態
織田信長の「楽座」令とは座の廃止どころか座を認めた上で税を軽減するという座の優遇政策だった
朝倉氏の滅亡後、朝倉の庇護下にあった座を織田氏が安堵した史料も残る
実際の座の廃止にあたる「破座」令は後年の豊臣政権下で行われた
そもそも「楽市楽座」の通説は皇国史観で悪名高い戦前期歴史学の権威・平泉澄が捏造したもの
そして「鎖国」や「士農工商」同様、史実と大きく乖離した内容が歴史教科書に載ってしまった
関所についても信長は他の大名と同じく支配拡大で不要になった軍事関は廃止しても
関税を徴収する商業関は多くが存続し、恭順した勢力の既得権益が保証された事例も多い
例えば信長支配後の京では関税徴収の先駆けの「京の七口」が存続しており
省4
816(1): 2021/12/28(火)14:03 ID:p5Ul7qQK(3/4) AAS
●「兵農分離」の実態
90年代に大ヒットした井沢元彦のトンデモ歴史ファンタジー「逆説の日本史」によって
「戦国時代、信長以前の大名の主兵力は農民で合戦は農閑期しか行えなかった。それを信長は「兵農分離」を行い常備軍を有して一年中合戦を行えるようにした」という俗説が世間に広まったが…
この「信長の兵農分離」概説、現在多くの歴史研究者に多方面から否定されている。
そもそも信長が兵農分離政策を行った証拠とされてきた史料
(「信長公記」中の記述)とは、実は
古くは朝倉氏が分国法で定めるなど既に各地の大名が行っていた城下集住すら織田氏は遅れていた、信長の革新性どころか後進性を示すだけのものであった。
兵農分離を行った証拠は実はない(真田丸の時代考証・丸島和洋氏の解説)
外部リンク:togetter.com
ちなみにその記述を要約すると「信長は安土に移転後も未だに城下に妻子を移住させない家臣達に怒り、失火事件を機に彼らの実家を焼き討ちした」というもの。
省3
817: 2021/12/28(火)14:04 ID:p5Ul7qQK(4/4) AAS
●信長の肖像画
織田信長の肖像は従来緑色の服装の肖像画(長興寺蔵)がポピュラーで教科書にも載ってきたが
近年の歴史研究の書籍ではこちらの肖像画(大徳寺蔵)が採用されてきている
画像リンク[jpg]:www.shouzou.com
画像リンク[gif]:star.ap.teacup.com
この肖像画は生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したもので緑のものより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
有名な緑色の肖像画は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと考えられ、
他に残る複数の肖像画もやはり(大徳寺蔵)やその模写を基に描かれたとされる。
818(1): 2021/12/28(火)18:34 ID:hilAdjhW(1) AAS
フロイスの評価通りなんだろ
真面目で公平で正義感が強くて、そして戦争に強かったから天下を取れたんだよ
819(1): 2021/12/28(火)21:34 ID:gG/TBs5O(1) AAS
なるほどな
なんでその当たり前が語られなかったんだ??
820: 2022/01/02(日)12:22 ID:Y6ZwlWYk(1) AAS
運と国力ですね
821(2): 2022/01/03(月)20:55 ID:MZIiaKhD(1) AAS
>>819
歴史学者はなんだかんだで西洋資料を忌避してるからじゃないか?
ただの読書になっちゃって学者気分が味わえない、
分からないとこは外国語学者に聞く羽目になるし
822(1): 2022/01/03(月)22:15 ID:aPU3/RrP(1) AAS
>>821
でも日本側の一級史料の信長公記の評価と一致してるじゃん
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