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699
(9): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:30 AAS
「1994年3月1日、先生突然のご来社」という一文から始まるA4版29ページにわたる文書の写しがあります。この記録は94年3月1日から3日にかけて、矢継ぎ早に大川がした談話をまとめたものです。

大川が本部に来たときの会話は、日頃からとりあえず秘書が聞き逃さないようにしていましたが、このように突然の来社というのは何かあるということで、通常のモードとは違って一言一句まで拾われて記録されます。馬鹿正直に残してくれたおかげで、こうして実情をお伝えすることができます。秘書局のナイスな仕事ですね。村田さん御苦労さまでした。

以下の記録をご覧いただければ分かりますが、この時は「虚業教団」が出版されてしばらく経過しているものの、狂団として組織的な対応ができていない状態に、大川自身がいてもたってもいられなくなって出てきた状態でのベラベラトークです。時期的には躁の頃になるでしょう。

大川の特徴として、何度も同じ話がループする傾向があります。特に意識が固着して気になって仕方ない件でそうなります。編集して読みやすくしようかとも思いましたが、こうした事も大川のメンタリティーを示す要素としてそのままにすることにしました。

また、この時も登場する各個人に対して極めて醜い罵詈雑言を並べていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川隆法の自己都合から発した妄言・妄想であり、各人の真実ではないことを指摘しておきます。
省1
700
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:35 AAS
>>699

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.1

【セミナーの前座】
日曜の行事のとき、 10分間、開会の挨拶と前座をかねて、事務局長に話してもらおう。会としてやっている雰囲気にした方がいい。言って欲しいことは2点ある。

①あとの話のとっかかりになること。結婚して六年、その結果会が非常に堅固になって発展した。総合本部としての見解を述べる。自分で言うと反発される恐れがあるので。

②主宰補佐が何をしているか、会員も知らないし、虚業教団でも奥さんだけやっていて給料貰っていると言っているから、これも自分で「私は仕事をしています」と言うのは不本意。だから事務局長から、主宰補佐は何をされているかを話す。あと、主宰先生が結婚されたおかげで、ご利益で結婚できた方が多い。他にも幸福な現象が出て、結婚しやすくなった。あとの話ができるだけ被害を被らないように。原は虚言癖があると言ってよい。初期、僕らの結婚を邪魔しようと画策した不信心者だった。
省3
701
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:37 AAS
>>700

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.2

【悪魔の入り方】
ルシファーの入りかたは、 88年2月に土田に。 高橋守と組んでやろうとしたときに、危ないと思って僕が二人の分断に入った。会議に出て、対決して潰した。高橋守も常時入られていたが、とりあえず土田を潰した。次はルシファーが原に行って、関谷は89年からずっと入っていた。
89年末から90年3月まで、ルシファーは細川さんに入った。ルシファーに狙われて残ったのは細川一人。とりあえず四国へ行ってもらって、今は抜けている。
次ルシファーが編集に来て、伊澤と根本に入った。それで、編集に著作権があると言い出した。それで、 90年5月菊池さんを入れて、伊澤を出した。

9 0年の後半の拡張期の失敗は天狗指導による失敗。戦いをすることで意志統一をしていた。91年1 1月、竹内に覚が入った。日本海に出して、抜けるのに半年ぐらいかかった。今回も国際局長とって、覚に入られた。仏弟子は狙われる。高橋大亀も92年の1 2月から93年4月までは、覚がしょっ中入っていた。今は抜けている。覚筋は仕事のとこがやられた。ルはいま、 K社に事務所を移してやっている。
あと、 93年1 0月、組織として管理部門を削っていたのでやられた。秘書も若い人で回していたが、 93年1 1月は秘書部門がガタガタになった。それで、管理部門を増強しないといけないということで、山本さんは削り専門だから出した。山本、壱岐に悪魔が入ったのではない。守護霊があばれていただけ。93年の1 1月一杯は覚が暴れていた。次はドームをつぶすのが主眼だった。だから大阪を捨てた。 K社も虚業教団をドームの前に出して、内は覚が来て、外はルが仕切っていた。先生の回りを薄くするのは極めて危険。運転手一人でもやられると(悪魔)来る。その手薄なとき、須呂を狂わせたら潰れる。須呂にやられたらいかんと思って、指導局に避難させた。おかげで、秘書は11、 12月さらに被害が大きくなった。弱くなったところ、心労しているところをやられる。
92年は4月ごろから、小澤さんがおかしくなった。小澤さんは仕事をしていなかったから、せめて先生の行事についていって、挨拶をさせようとしたが、 92年の4月から6月までは山本さんとの戦いになった。僕は結局、仕事の方をとった。
92年6月には小澤さんに悪霊が入っていた。理事長、理事制度はまつりあげに近かった。外に敵がいたので、成功したように見せないといけなかったから。だから半年して元に戻した。 92年春から財政的に均衡。だから正当に処遇できるようになった。そのあとは、財政一本で来た。財政に貢献するものをプラス、しないものをマイナスとして93年秋まで来た。
702
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:39 AAS
>>701

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.3

【内患との戦い方のソフトを】
内憂外患だった。今回は内患との戦い方のソフトを確立しようとしている。91年は外患との戦いだった。今だったら即刻首になる。まどかが、原の言うことを信じるか、主宰の言うことを信じるかなんて、失礼な話。幼稚園のようなものだった。
うちも組織を強化して、戦う方法を確立しないといけない。以前は2年かかったのを、今は2〜3ヶ月で確立しようとしている。そのうちスクランブルを。ルも編集の根本に入ったので、原稿おこしを分散しないといけなくなった。あそこのとこは危ない。

【戦う武器】
あと、話としては別だが、本を出して遊撃隊にするなら、編集の強化を。西部支部の中川を入れて、課長4人にしてもいいと思う。月刊誌以外にも、武器を考えないといけない。外に対するパトリオットがいる。虚業教団と逆のものをマーケットに出す必要がある。内部の人で分担執筆する方法と、あるいはダイヤモンド社から出そうとして、先生にインタビューした人も書き手として使って、うちとしても大本営的に出す。幸福の科学出版で出してもいい。「幸福の科学発展の秘密」 、 「悪人退治に成功したとこは発展する」とか・・。うちもマスコミとしての戦い方をボンボンやらないといけない。逆の情報を流して。学会もやっている。池○と小沢の対談をルポ風にやって、池○の方が上だと。活字で戦わないと大人にならない。 1万部でも2万部でもいい。「宗教の反撃」でも効いているはず。マーケットに出すだけでいい。 500人、 1000人、読んでもらったらいい。中和するのに。だから、編集強化、一般本も混ぜて、大本営と敵攻撃の本をつくってパトリオットしないと。大人の戦い方がいる。
703
(2): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:42 AAS
>>702

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.4

【原】
あと、被害者の会もあるが、杉並支部も被害者の会のダミーで戦わせた方がいい。
原の家の回りに100枚でもビラをまいたらこたえる。①虚言、②夫に飯もつくらなかった、③悪霊つきでヨガをやっている。何か悪さをしたら、パトリオットで入れる。そうしたら、恥ずかしくて近所も歩けない。原もただの仙人。

【コスモメイト】
コスモメイトも反撃するかも知れないが、み○ず学園は、今学生募集をしている。
学園長だから。この一ケ月がかきいれどき。駅前で夕方からまく。杉並支部で。うちの戦い方は、ゲリラ的にやる。

【関谷】
あと、関谷は世田谷支部。公団アパート。近所の人にお知らせ。この人は虚言癖があるから気をつけよ。こういうゲリラをしないと宗教としては少し弱い。裁判所以外戦えないのではいけない。日蓮聖人に相談したら、 「そうですね。私だったら、5人くらいで行って、折伏しますわ」と言っていた。被害者の会も別動隊をつくらんといかん。ゲリラも宗教的な活動です。
省3
704
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:45 AAS
>>703

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.5

(昼食会:局長六人と三本部長)
これ以上、組織を大きくするんだったら、戦うことをしないと。 91年は外患と戦ったが、こんどは内患と戦っていく。

(前田:Lフォーラムも潰さないといけない。関谷-石毛一伊澤一中村とつながっている。伊澤が一番画策している。 K社との接点があるのは伊澤)

K社の校正を一件いくら、でやっていたのが、うちの編集局長までもらって、それを取られて暴れている。自意識の高い人ほどそうなる。彼がおかしくなって、菊池さんを呼んだ。人事的に見ると、総合職と専門職と一般職を明確にしなかったのが問題だった。いま、西荻のカルマの刈り取りをさせられている。うちの人のいいとこと、こちらから何も言わなくて、悪いことばっかり言うとことだったらどうなるかだ。けじめの問題だった。細川、前田、坂下は88年から知っているので、切り返さんと。知らない者は言うことができない。92年高橋守がTVに出ても、白木、山本が「この人誰ですか」の世界だった。そういうことにガン細胞がある以上、そのところと戦わないと。生き残っている人は責任がある。細川さんなんか、責任の塊。虫歯を治さずに、上からかぶせて、ときどき下が痛むといった状況だ。あのとき発展の方ばかりに目が行っていて、ネガティブなことはまあまあというとこがあった。 88、 89年にガタガタが集中していた。88年12月から89年12月は細川事務局長。88年に集まった人たちが問題で、根は87年にあった。幸福の科学が団体として自立していこうとするときに起きている問題。K社が追い込まれている。捏造がこたえているので、ニュースソースを出さざるをえなくなった。
省3
705
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:48 AAS
>>704

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.6

あと、もう一つ騙されたのは、細川さんで、口座開くのに、 「一千万円以上ないと、口座は開きません」と言っていた。それを東販で直接聞いたら、 「お金なんか一銭もなくても開けますよ」と言われたので、それを高橋守に言ったら、 「いや、太陽出版の社長がそう言っていた」と言い逃れた。それでドローになった。あれは情報戦争で敗れていた。
あと、 「原稿くれんかったら、印税を払わない」と脅して来た。 「幸福の科学に本を売らん」、こういうことをした。元が原がらみ。あの人がカモられて、裏口から入ってこられたのにやられた。 「こんないいもの、うちで出させて下さい。こんないいものは、いい活字といい紙で出させて下さい」と。こんなものに騙された。見積が高かったので、一旦は断ったが、月刊誌を原価でやりたいというので入られたのかも知れない。それが87年の5月。あそこで入って、そのあと小冊子にきた。
彼は会員になったとき、うちの本は一冊しか読んでいなかった。幹部でもないのに。
出版社を出したとき、株は出さなかった。それを外したので暴れられた。出版営業部長の肩書きも、本人が「書店回りするとき困るので」ということで、勝手につくったもの。営業部長の方が偉いんだということだった。構造的には原のヨガ道場と同じ。相入れでなかったらやれないということ。うちからヨガ道場に会員が行った。
しかし、ヨガと一緒には出来ない。これも利権から入ってきた。
一つは、 GLA系統の信仰心がないのと宗教の裏口を言うのとが原因。
高橋信次先生も「私のことも疑いなさい」というのはアマチュア。宗教嫌いも学会へのカウンター。
あと、 「宗教で金儲けしてはいかん」というのが、他の人を利用するようになって、その人をよいしょしなければいかなくなるので、宗教の純粋性がなくなる。だから事務所と職員を入れて専門家集団にしないといけないということで、やった。
706
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:50 AAS
>>705

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.7

【高橋守】
彼は、前田、高橋が一番よく知っている。出版が素人だから、なめられたんだと思う。こんな連中なら騙して入れると。ずっと入れると思ったのに、意外に厳しい目で自分を見ていたんだなと分かったのが87年の12月。前田さんが悪い目で見ていた。僕も宗教的幹部になる人ではないと思っていた。

(前田:高橋守がもっと悪くなったのが、土田の影響)。

【土田】
土田は何の力があって、うちを破壊したのだろう。87年夏、 「筆を折る」ということをやたら言っていたが、それを聞かず、高橋を事務局長に入れたのを恨みに思っていたのかな。
省10
707
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:53 AAS
>>706

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.8

そのころから紙の話が出てきた。工場を持っていないから外注。 「じゃ、納品書を出せ」と言ったら、 「そんなものはない」。部数が嘘で、いい値だから。増刷も半年も出ないというので、これはおかしいと思った。部数は今でも嘘だと思っている。
すでにあのころで、潮文社で、初版で一万部刷っていた。それまでの最高が潮文社でも八千部で、通常は三千部だった。土屋も結構出ていた。うちの出版知識が十分でないので、ろうだんされていた。外すのは外したが、出版としては一年中断した。
土屋があったので、本は出せたが、本を全部取られたら、教団は潰れていた。

潮文社も、卑弥呼の霊言から、 「幸福の科学という名前は認められん。科学という名前なんかだめだ。 ハイビジョン・センターという名前でないと」と。潮文社も流れ的には、いずれ分かれる運命にあったが、会の名前に文句をつけてきた。シルバー・バーチを出していて、 「霊媒は名前を出さない」と言っていた。出版は難しい。
いつのまにか、うちの出版が出るようになった。 (89年初めから)そのころの時期と、信仰心をたてないとやれないという時期とが同じだった。コスモも「紙を仕入れたのに」とか、 「株をもらえないか」とか言ってきたが、素質としては駄目だった。うちの、大幹部みたいに言って、言いがかりを言うのは糞飯もの。「発展の原理」の講演会のとき、 「神の手足として動かなければいけない」と言ったら、そのあと、本人が出てきて、 「あれは私のことを言って下さって、私は神の手足としてやっています」と言っていた。彼の手足は、講演会のとき、花輪を入れることで、そんなんでは、大黒天の名には値しない。そういう入りかただった。法的には弟子になれるものではなかった。研修会も参加試験があるから入れなかった。
708
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:56 AAS
>>707

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.9

【関谷】
関谷に言っているのは原。一緒に一年間住んでいたのは事実。その間に、ああいうことを言った。亭主への不満を言わんといかんとこを。四月に原から泣きの電話が入ってきた。 「関谷に、旅行しようと言ったら、断られた」と。関谷は離婚話で疲れたので、湯治場に一人で行って疲れを癒したいと言った。原は「前の奥さんのこと、そんなに忘れられないのか」と思ったが、関谷はそういうことを、原がどう感じるかということは全く感じない人だった。
もう一つは、 88年6月に原の方から、事務所でがっかりしたことがあった。それは、関谷が直接原に、結婚の少し前、 「実は前の奥さんが喜んでくれると思って○○○カットをしているが、これを元に戻した方がいいか」と聞いてきた。それで、原はカクッと来てしまった。「44でも、私は初婚ですよ」と。6月に結婚式をあげたが、新婚旅行と称して、病院に入院して○○○カットを治していた。普通は成田離婚になるタイプだ。

(前田:関谷は煩悩の強い人でした)

その前は奥さんがいたにもかかわらず、会の中では独身と称していた。若い女の子を誘って飯につれていった。原も独身だと思っていた。奥さんのいるのがわかったら、 「独身ではあるが、籍だけは抜いていない」と言っていた。 88年2月、別居を5年もしているので、一日で籍を抜けますからと言っていたが、実際に籍を抜く段になって、財産のことで奥さんに暴れられた。関谷の情けないとこは、自分名義の家土地なのに、自分が出て行って別居し、とられたこと。その疲れでか、四月には一人で温泉に行った。 6月はまた、病院へ入った。そんなことを棚に上げて、「予言が外れた」と言っているのではかなわん。自力で破壊する人にはかなわん。
それ以外でも、原は「関谷は、はったりを言って、あとで駄目になるケースが多い」と言っていた。あんなの予言のせいにされるのは、かたはら痛い。こちらは紳士で、悪口言わないのをいいことにしている。仕事面では、書類仕事ができなかった。会議も腰が痛いと称して出なかった。理解ができなかった。人事異動ということが、理解できなかった。仕事で言っている話が、見えない。
省2
709
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)20:59 AAS
>>708

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.10

【原】
原は、表の世界では通用しない論理の人。87年後半から邪魔をしていた。 87年6月に事務所が出来た段階で、切るべきという論点があった。できる仕事がなくなって、ブローカーみたいになった。そのブローカーがまともに機能しなかった。ブローカーをとったら、辞めてもらわないといけない状態だった。潮文社の社長に『大川隆法は宗教好きな人には天皇みたいなもんだから、あなたが人に会わさないように防波堤にならんといかん』と言われたのを金科玉条みたいにしていた。それに虚言癖と妄想癖があった。女性にも権力欲があるんだね。40代の女性だから、僕は中性と見ていた。若い女性を秘書に使ったら、変なことを言われる恐れがあったから、おばさんを秘書にした。あのへんも高橋さん、苦労した。栗原も常時霊障だった。初年度、安くあげたつけだったかな。原に、 「幸福の科学についてきたいのなら、結婚してヨガをやめて、弟子としてついてきなさい」と言ったのは、 50にもなったら、ヨガも出来なくなるとあわれに思ったから。ヨガ教室に20人しか来ないのと、 ドームで5万人来るのとを一緒にはできない。原はミニ教祖第一号で、ヨガ教団を幸福の科学から外すとき、 一緒に会員を連れていかれた。宗教は他の悪口を言うと、そこの宗教にはいることができる。この手法で入るパターンが多い。
GLAの人と見るんじゃなくて、ヨガだったから。GLA本流ではなくて、仙人だったから。天狗は持っているが、仙人の方がこぼれるのは早い。原は幸福の科学に不満、関谷は仕事で椅子に座れなかったんだから。最初、手伝った人は、何とかして幸福の科学に残してやりたいと思ったのが仇となった。今だったら、職員をするのは無理。関谷も「どうぞ、在家の財務部長で」と言うところ。原だったら、婦人部でも弾かれると思う。
もう一つ、ここは宗教的に大事だが、原はGLAの別派をいっぱい回ってきて、ここは本物だと思って、自分がやめてきたところを、うちがGLAの再興として、見返したかった。高橋佳子を見返してやりたいと思っていた。
710
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)21:02 AAS
>>709

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.11

【GLA】
うちは弟子筋宗教ではなく、 GLAの親分とぶつけても、うちの方が大きい。
GLA筋の一派をつくるというより、高橋信次のGLAはうちから見たら、小乗教団までいっていない。 祇園精舎に入る前の遊行している段階までしかいっていない団体。
だからヨガ仙人が来れる段階だった。小乗は戒律もあるし、教学もしっかりしている。うちはすでに大乗。僕も大乗の仏陀の意識でやっている。びるしゃな、阿弥陀、大日如来の性格であって、人間釈迦の性格ではない。これがキリスト教的に言うと救世主と同じ。うちは救世主・大乗運動。だからGLAとはあわない。
GLAは伝道ができない、信仰心がたたない、知識学習を厭う(霊能教団だから) 、献本ができない、まさしく宗教のアンチテーゼとして隙間産業的に入った。長くやっていれば、ここをクリアしなければいけない。うちはGLAにないものを88、89、90年と入れてきたから、違ったものに見える。 GLAも現在邪教。うちとしては、ここが違っていると言わないといけない。
あと、宗教は悪、ということを言っていた。宗教でお金集めをしたらいかんと言っていた。だから布施が成り立たない。信仰がないことと布施が成り立たないのは一緒のこと。おかげで高電工業は儲かって、 48ヶ月分のボーナスを出した。うちはこのやり方とは決別した。89年の阿部事件は信仰心がたつか、たたないかの問題だった。教祖も疑いなさいというんだったら、宗教は成り立たない。事業家だから、そう言うのは宗教として責任を持てないと言っていたことと同じ。これを逆手にとっていた。だから死後あんなに分裂した。みんなで疑って。これは宗教とは言わない。
711
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)21:04 AAS
>>710

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.12

【幸福の科学の流れ】
幸福の科学の流れは、
第一段階:顧問と霊言票を出した段階。これはスピリチュアリズム的な段階だった。
第二段階:86年、 87年の西荻時代。GLAの系統で、 GLAの復興運動に見えていた。
第三段階:88年、 89年。組織宗教に切り替わっている。事務所、職員と、過渡期で、 GLA遺伝子が落ちてきている。88、 89年と拡張期(90年は伝道開始期)。
第四段階:91年の宗教法人。フライデー事件。外に対しても戦う。
第五段階: 92、 93年は仏教路線を引いた。仏教教学を固め、仏教教団としてものを言えるようにした。

この段階で、 GLAの教義は通用しなくなった。GLAも最後に仏陀でなくエル・ ランティだと言ったが、それで混乱。エル・ランティがわからなかった。それで、弟子が高橋先生は混乱していたので、魔が入ったのだとまで言い出す者があった。
省1
712
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)21:07 AAS
>>711

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.13

【仏教】
仏教は修行と伝道。仏教も祇園精舎や竹林精舎で組織、資金力ができて変わっている。最初貧しくて、乞食坊主でやっていたが、教団が大きくなって、建物の中で寝るようになり、在家も接待するようになった。教団が豊かになった段階で分派ができたのがタイバダッタ。木の下でしか寝てはいけない、接待は受けてはならない、物は持たないということで、発展を拒否した。これが88年の変わったことにしている。当時の仏陀の考えは、 「教団が大きくなったのだから、考え方を変えないといけない」と言っていた。それを「堕落」と称して反旗を翻した。「生活方式は規模相応に考えればいい」と言っていたが、ダイバダッタは秀才だったが、 「それは許さない」と言って反抗した。幸福の科学で言えば、 「西荻から出たらいかん」ということと同じ。

裏切りのユダが銀貸30枚で情報を売っているのと一緒。ユダも総務系統の人で、お金と宿泊手配の役だった。ユダの裏切りの理由はいくつかあって、
①階級の低い人とイエス様が交わっていた。取税人や娼婦。
②マグダラのマリアがイエス様の恋人役だったが、ユダもマリアが好きだった。それで、嫉妬した。色情系統。
③メシアだったら、奇跡を起こすはずだ。 「自分はもう少ししたら、十字架にかかって殺される」といっているが、それだったらメシアではないと、試す気持ちがあった。 「メシアなら、ユダヤの王にならんといかん、おかしい」と言う。それで試しの気持ちが起きてきた。 「自分で自分を救ってみろ」と。イエス様の考えがわかっていない。自分の考えでメシアはかくあるべしと考えていた。イエス様の王国は霊の王国と言ってもわからなかった。そのあと、鶏と畑を買って、残りの銀貨はエルサレムの賽銭籍に放り込んで、柿の木で首をつった。魔が入ったのは間違いない。

一定の法則があるから、必ず枝葉と幹がひっくり返るとこに疑いが入る。宗穀的にはそんなとこだった。原問題もヨガ教団とは一緒にやれない、信仰心のない人が不幸になるのはその通り。帰依していたら、そうならなかった。それを不幸になったのは、あの教えがおかしいからだと言っている。ヤーヴェの神のときだったら、ああいう人は殺されている。高橋先生がヤーヴェかどうかは罰を与えないからわからんが、他の神様を信じたというだけで、ヤーヴェは民族ごと許さない人だから。
713
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)21:10 AAS
>>712

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.14

【キリスト教の信仰】
ヨブは信仰深い人だったが、悪魔が試しに入って、神を悪く言うようになった。そうしたら、神が、 「お前に何がわかるか、お前は宇宙の始まりを知っているか、お前は人間の始まりを知っているか」と言った。指導局はヨブ記を読むこと。 信じていても試しが来る。 アブラハムもイサクを生け贄に出さなくてはいけなくなったが、その通りイサクを生け賢にしようとしたら、神が「わかった」と言って、そのとき生け贄の山羊がやってきた。
キリスト教の信仰は神への従順と服従。 現時点では、この世の常識に反していることが多い。神の声が臨むときは、世直しのとき。三次元的価値観と宗教的価値観の戦い。これが宗教をやる人はいつも試されている。
714
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)21:12 AAS
>>713

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.15

【関谷】
関谷は男らしくない。女々しかったから、ああだこうだと言っている。それで家庭の中の恥ずかしいことを外にまでぶちまけて、みんなに迷惑をかけている。坂下も87年、 88年を知っているんじゃないか。

(坂下:愚痴も言っていました。自分がかわいく、救世の観点からは考えていませんでした) 。

大黒天なら、あんたの方が頑張った。結局、その人の自覚の問題。具合が悪くなったら、暴れるなんて。
結論は、ふさわしくなかった人。本来なら、頭ごなしに怒らんといかん人。「どうぞお引き取り下さい」と。そんなんで、うちの信用性をゆらがされるんでは害悪の方が大きい。フォーカス、月刊朝日からK社に続いている。根本を叩く。 K社はうちは、捏造と言っていたが、それが苦しくて、実は情報源があると出してきた。原がかんでいるかな?関谷はいま、別の女と同棲している。 K社も、あと原久子著で出したいだろうな。一回引っ張。出したら・ ・。 91年一回内容証明を出したから。関谷は、出したが、なめていたんだと思う。関谷自身は原をずっと好きだった。関谷は中島の肉体にも興味があった。うちがはじまる七年くらい前からすでに原のさんすけさんみたいだった。妹みたいなではなかった。韓国の○○を日本に呼び込むのに二人でやっていた。原のお父さんから、関谷と結婚したらどうかと、二回すすめられた。関谷は原のお父さんともゴルフをやっていた。中島を飯に誘ったときは、若い子が好きという状態だった。ヨガに出入りするようになってから、奥さんとうまくいかなくなった。夜はしょっちゅう拒否されていた。それが二代続いた。マゾっていた。気に言ってもらえると思ってやっていたことが裏目に出る。
715
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)21:15 AAS
>>714

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.16

【阿部】
88年夏より原が阿部を囲い込んだ。無許可で工事して、事務局に請求書が回ってきた。半年間折伏してたから、阿部は抜け出せなかった。うちの人としては道連れになったのは阿部一人。原は阿部を幸福の科学に対する担保でとっていた。阿部は過去世が阿難で、よう切れんと思っていた。阿部をつかんでいるかぎり、幸福の科学に憑依していれると思っていた。関谷は阿部に嫉妬していた。原は関谷の代用物で阿部を囲い込んで、実年齢が20代の人と競争していた。原が阿部をたてて、たてて、増上慢にしていた。僕らの認識では阿部は実務ができないということで、一致していた。会社では絶対に出世しないタイプだった。答案も20代の人にしてはよく書けているというだけで、それが出来たら、何でもできると思うのは、思う方が悪い。すごい増上慢だった。ああいうのが独覚に相当する。みんなと一緒にやらない。声聞にならない。性格的には問題があった。人がどうみているか、経験が足りなかった。部分をほめられたら、全部ほめられたと思って実務が出来ないということで、オコゼになった。最初はワープロができるということで、すごいと言われたが、最後は先生の原稿は自分しか直せないと言い出したので、仕事が出来ないことを自覚してもらうため、しごきに入ったら、潰れた。阿部を担いで、ヨガ教室で別派をつくるつもりでいたんだと思う。編集においておいて、校正させてたら、いつのまにか自分が書いたという雰囲気になっていた。原に囲われて、乗せられて、大事にされていた。高橋先生のすすめで、結婚していたら、抜けれていた。
彼は、もう一つ、マザコンで、京都の母ちゃんから毎日電話がかかってきていた。それと原の二人の女性がかかってきて、 縛りあげられた。89年2月地下の事務所に入った。88年9月原はさらに青年局長室をつくった。主宰をそこに入れる自己実現を阿部でした。
716
(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)21:17 AAS
>>715

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.17

【原姉妹】
原は宗教として法をやりたいというのと、男を用いたいというのとが入り組んで異常だった。法を求めて、男を抑圧してきて、性欲を抑えてきたのが、伏流水として、男を囲い込んだりして、出てきた。精神分析的な遠源は親。原の父は役人だったが、浮気をして家に帰ってこない。しばらくしたら、母も家にいなくなって、カラオケにいった。仕方がないので、子ども二人に近所の人がご飯やおやつをもってきた。親はお金だけは置いていった。体はボロボロ、それでヨガをやった。だから親に復讐しようとしている。 40代の女姉妹二人、結婚しないことで親に復讐しようとしている。妹の方は霊障で、幸福の科学の看板をかけるとき、暴れた。近所から気違いみたいに見えるといって。88年4月、結婚式の二ヶ月前に入籍。妹に気づかれると邪魔されると言って。関谷は婿養子なので、財産をとられると言って暴れるから。財産には執着のある家だった。家庭の個人的な問題を幸福の科学とべったにされた。

【信仰心】
結局、信仰心の問題と仕事レベルの問題だった。今だったら「宜保愛子」のとこへ行ったらよかった。「うちなる神がいるから、自分とこを信じたらいい」というのは、これは仏性と成仏で切ったところ。これだったら、宗教がいらなくなる。やっぱり、あてものレベルの宗教観だった。高橋信次があてもの宗教に近かった。リーディングが間違っていた。宣伝としてはよかったが、うちと違って、あてものとしてデビューした。教団としてやっとなりかかったとき死亡。信仰心なく、霊現象をみんなで喜ぶところだった。うちは法による救済にいっている。個人相談はもう無理。原は、 「高橋信次霊がいっているとこは全部外れている」と言っているが、全部外れていたら発展していない。運営は霊による指導を受けているから、生長の家より大きい。大きくなった速さでは新記録。それは、それだけよくあたったということ。あてものでやっているところは、たとえ百発百中でも、 10年たっても同じ大きさでやっている。
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(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)21:20 AAS
>>716

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.18

【事務局長】
あと、細川自身も、 「いろいろありましたわな」、では済まない。ちゃんと切り返す義務がある。それをしなかったから、こうなっている。原もそうだが、高橋、細川、小沢の事務局長は、あまり叱っていない。叱ると都合の悪いことを上げなくなるから。山本さんから、叱られだした。関谷に対しては、何カ所か仕事に対して怒っている。その内容は本当は細川に言わないといかんのが含まれていた。資金の詰めを考えていない。人事採用の出鱈目、ずさん。給料も決まっていない。事務所、婦人部、スケジュール的なこと。九州に行くのも10時間かかった。羽田までは一時間半で着くと言ったが、土曜日は三時間以内で着くことはなかった。仕事になっていないということで怒った。事務局長が怒られても当然というのも含まれていた。
それを多少恨みに思っているのがあるかも知れない。 89年は特に仕事はひどかった。あっちもこっちも滅茶苦茶。

(前田:原、関谷、法についていけないのが問題。事務的に怒られたことではケロッとしていた。前日行って一時間半で行けたんだよな・・と)

法以前の知的理解力の問題。自分の本では、私は学習団体に戻って欲しいと言っているが、西萩で本を並べると「この本読んだかな、読んでなかったかな」の世界だった。だんだん優秀な人が入ってきて、押し込められていた。最初いいとこどりして、途中挫折。いい人だと思われたいという執着があった。結構腹黒いとこがある。
法より知的学習のところ。とてもついていけなかった。原も反省、瞑想だけ。人事系統の話をしてもさっぱり。事務局づけで入れとこと言っても、事務局づけって何だろうね、だった。
もう一つは、言葉が通じないのが大きかった。仕事カルチャーになると、ニュアンスで言って、合点してやるんだが、それができなかった。1000円冊を渡して、何か適当に食べ物を買って来てくれ、でわかるところが、何と何を何個買って来てくれ、と言わなければわからなかった。最近ようやく言葉が通しるレベルに来た。
細川のとき、 技術系の人が多くて、これが通じない原因だった。高橋さんも何で電子工学をやったんだ。人生計画として間違ったんじゃないか。商学部がよかった。細川さん、都市工で設計事務所。これも人生の設計ミスだった。電子工学と都市工を事務局長にして破壊されたのは大きかった。NTTみたいな大きいとこは、基本的には、潜在的失業者。実務のとこも混乱が大きかった。残っている者としては、知っておいてほしい。この辺で墓穴を掘った。出来が悪かったが、辞めたのはもっと出来が悪かった。
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(1): アルゴラブ◆gNfxxWHnBY 2011/10/01(土)21:22 AAS
>>717

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.19

【当会のカルチャー】
当会としては、もう一回カルチャーのやり直し。いま、それができつつある。これは外に対しては、言うべきでない。関谷にしては無理だった。結婚するというので、釣合をとらせんといかんので、本部講師、局長にしたが、温情がわからんのだな。
支部にいったら講師として持ち上げられていた。九州に行ったら金粉の出た人がいたが、それは受講者に偉い人がいたから。それに関谷はインテリコンプレックスがあった。創○学○の早坂や島野は、うちへ来て、こんな人と一緒に勉強させられるのはいやだと暴れた。うちは一緒に勉強するだけでなしに、成績も張り出される。
学会でも、関本だったら、即部長ですと言っていた。うちは、インテリに対しては薄情な使い方をしているように見えるらしい。学会は、集まっている人が副会長でも地上げ屋みたいな人が出てくるから。○○○○は高利貸し、他日は営業部長だった。初期の人をどう遇するかが難しい。飾りで祭れば害になる。いま、少し出来るようになった。まだ拮抗状態。踏み込むとこまで行っていない。異常事態になったら、もたない。

【当会の正史】
日曜のセミナーで、主宰補佐白身が虚業教団に反駁する。うちの悪い癖は、組織があっても大将戦になるとこ。今度は主宰浦佐。いつまでたっても組絵として成熟度が足りない。細川、前田、坂下、多少言い返さないと。昔のことほじくり返されて、今の幸福の科学のことを批判しているんだから。中でそういう病巣もあったが、何年たっても使われているから、他教団、マスコミにもまた使われる。当会としての正統な歴史をつくり、悪霊は悪霊、駄目は駄目とはっきり言う。お人好しだと利用されるから。弁護士にだけ頼っているのは宗教としては情けない。舌戦、ペンで戦う。中と外の敵と戦える体制をつくらないと駄目。西荻の最初からいた人は、ここ2、 3年で入ってきた人に比べ、極端に信仰心が弱い。ここがカルチャーギャップ。

【迎撃体制】
いままさしく折伏。折伏部門ができるかどうか、議論して落とせるか。これをやらんと、組織としての発展はない。その弱さが害を大きくして、戦うときは全面戦争以外出来なくしている。支部でやれるとこは支部で。被害者の会でやれるとこは被害者の会で。ちょっとオープンすぎる。裁判以外で出来ないということは。島田に反論するのも2年かかった。いまだったらすぐに迎撃する体制をつくらんといかん。
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